「ニッポンに王子様はもういない。愛も性もゼイタク品となった時代をサバイブする、すべての女性が読むべき激辛にして、効果抜群のワクチン本だ。」作家・石田衣良さんが絶賛した藤森かよこ氏の最新刊『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』が話題だ。
◆AV動画は性体験未経験者の性交マニュアルになっている!?
『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』を書くにあたって、私はタブレットで検索して無料AV動画をあれこれ鑑賞してみた。やはり無料で視聴できるような類のものは程度が低い。「支配欲と性欲が未分化の頭の悪い類の男性の一方的な性器の摩擦運動と、それに快楽を感じているふりをしている暇な女性」しか登場しない。
AV動画というものは未経験者の性交のマニュアルとしても利用されるらしい。マニュアルがないと動けないように教育され、自分で考え試すことに慣れていない人間は、何でもすぐに真(ま)に受けるから困る。ひとりひとり違う人間相手やひとつひとつ違う状況に対してマニュアルは参考にしかならない。相手の心を推しはかり手探りで回答を見つけなければならない。試行錯誤です。
私が視聴した無料AV動画の女優さんは、大きな声を出して騒ぐわりには、あまり楽しんでいないように見えた。稀に、「お! これはほんとうに快楽を感じているぞ!」と見える性交シーンもあったが、性交というよりは、互いの性器で優しく整体し合ってるような趣(おもむき)であった。そういう退屈な性交動画のほうが、女性としては見るに堪えないような暴力的なだけの性交動画より、リアルで真実に近い(と思う)。
華道家から極道になるという非常に特異なキャリアを経て、ピンク映画の助監督となり、日活ロマンポルノやAVなどの監督として500タイトルを超える作品をつくってきた代々木忠は、『生きる哲学としてのセックス』(幻冬舎新書、2018年)において、こう書いている。
「いいセックスをするには、相手の目を見て言葉を交わすことが欠かせない。お互いを見つめ合えば、感情が動く。セックスは性器の繋がりだけでなく、社会的なプライドを捨て、自分を相手に明け渡し、愛おしいと感じながら相手の歓喜の目に出会うとき、さらに深い快感が津波となって押し寄せる、これが『目合(見つめ合い)でイク』、すなわちオーガズムである」と。
見つめ合うことの重要性は、科学的にも証明できる。獣医学者の津曲茂久は『性のトリセツ―「性活力」あふれる生き方のすすめ』(緑書房、2018年)において次のことを指摘している。犬との信頼関係がある飼い主は、犬から注視される時間が長くなる。飼い主を信じていない犬は飼い主からすぐに目を背ける。犬から長く見つめられる飼い主にしろ、飼い主から長く見つめられる犬にせよ、尿中オキシトシン値が高くなる。オキシトシンとは愛情ホルモンとか抱擁ホルモンと呼ばれるものであり、見つめ合うことはオキシトシンの分泌を促し互いへの信頼と愛情を高めるのだ。スマホばかり弄(いじ)っていないで、家族やペットの目を見つめよう。見つめ合おう。
話を戻す。さすがに、代々木忠は、性交は単なる互いの性器の摩擦ではなく、人格の深いところに触れ合う機会だということを、わかっている。こういうことを書くことができる代々木忠の作品ならば、日本人の性交を貧しくさせる類のAV動画とは一線を画すに違いない。私は代々木作品を視聴してみようと思ったのだが、『(秘)追跡レポート初夜の性態』とか『ドキュメント ザ・オナニー』とか『性感極秘テクニック』とか『素人発情地帯』とかの代々木作品のタイトルに腰が引けてしまって、まだ実行していない。
そのほかに、女性監督による女性向けAVもあるそうだが、そちらも視聴していない。やはり、私はすでに性交実践者の現役ではないので、そこまでの元気がない。すみません。
◆性交はしなくても、心が他者や世界に開かれている人は存在する
ともかく、理由はさまざまではあるが、この世の中では、相手のことなど何も考えていない似非(えせ)性交がおびただしく実践されている。そのために傷ついている人々が、これもまたおびただしく存在している。その類の似非性交によって自分の心が傷ついていること自体がわからない人々も多く存在している。
寂しく狭い似非性交の結果として生まれた子どもたちは、親の寂しい狭い人生に巻き込まれ影響を受け、寂しい狭い人生を反復し、さらに寂しい狭い似非性交を反復し、ついには性交からも、性愛からも、性からも、性を含む生そのものからも退却し、それは世代的に連鎖していくのかもしれない。
おそらく、あの機嫌の悪い目つきの尖(とが)った店員さんも、仕事は常に部下に丸投げで嫌味しか言わないあの上司も、重箱の隅をつつくようなことばかり言い呼吸するように嘘ばかりついているあの同僚も、ブラック労働を従業員に強いる悪名高いあの飲食店チェーンの経営者も、何を言っているのかわからないあの政治家も、匿名でSNSに誹謗中傷を書き散らしている人も、アマゾンのレヴューで「スカスカで中身がない」と拙著について評した誰かも、寂しい狭い似非性交の派生物かもしれない。
性交はしなくても、心が他者や世界に開かれている人は存在する。性交以外にも、心を他者や世界に開くことを可能にする活動はいっぱいある。
ただ、性交は、人間が自分以外の人間の存在の尊厳をリアルに感じる貴重な機会になりえるし、自分という存在全部を受容してもらえる貴重な機会のひとつになりえるし、それは人生の宝物であり、その宝物が愛の種(たね)となり、他人への理解を深めることになると、私は言いたいだけだ。
性愛にいたるどころか、性器の一方的摩擦運動としての似非性交が多い日本は、猥雑卑猥(わいざつひわい)ではあるが活力がない。まず、日本の性交をただの性器の摩擦運動以上のものにするために、性交の教科書としてのAVの質を向上させなければならないのかもしれない。
若い頃に、私はちゃんとした性交の手順やマナーを書いた英語の書籍を途中まで読んだことがある。けっこう分厚い本だった。大学の図書館で見つけて、図書館で読んでいた。日本語で書かれた同類の書籍は読むのがはばかられたから。そこには、良いセックスのためには、性交相手に対する思いやり(consideration)が必要と書かれていた。
今ならば、AV男優でAV監督でもあり性の啓蒙家でもあるしみけん(そうゆうペンネーム)の『しみけん式「超」SEXメソッド 本物とはつねにシンプルである イラスト版』(セブン新社、2022年)がいい。非常に実践的で男性にも女性にも有益だと思う。
(『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』の本文より抜粋)
文:藤森かよこ