パンデミック、グローバリズムの崩壊、ウクライナ戦争、安倍元総理の暗殺・・・何が起きても不思議ではない時代。だからこそ自分の足元から見つめなおしてみよう。

耳を澄まし、よく観察してみること。森先生の日常は、私たちをはっとさせる思考の世界へと導いてくれます。「静かに生きて考える」連載第26回。





第26回 働くことは「偉い」のか?



【日本人に特有の2つの価値観】



 最近は薄れているのかもしれないけれど、僕が若い頃には、日本に特有の価値観が2つあった。まず、「若いことは良いことだ」というもの。そして、「働くことは良いことだ」というものである。皆さんの価値観はいかがだろうか?



 日本のアニメやドラマなどでは、正義の味方や主人公がとにかく若い。外国のヒーロたちはそれほど若くない。変だな、と子供のときに感じた。日本の場合、十代くらいの少年少女が主人公で、世界の危機を救ったりする。そして、だいたい悪役は老人だった。これは、時代劇でもほぼ同じ。



 たぶん、戦争あるいは敗戦が影響していたのだろう。年寄りたちは間違っていた、だから若い世代が、一からやり直さなければならない、という空気があったのではないか。



 また、日本の高温多湿な自然環境では、古いものは自然に腐り、朽ちていく。伊勢神宮のように、常に新しく作り替えなければいけない。これを「禊(みそぎ)」という。そんな精神が根底にあるためか、新しく若いものは正しく、古く老いたものは汚れている、と感じるのか。



 日本以外では、ほとんどこの逆である。若いというのは、未熟であり、美しくない。成熟したもの、老練なものが美しい。良いものは、古くなっても残るし、長く愛される。だから、アンティークは高くなる。アメリカンヒーロなんかも、三十代以上だったりする。

むしろ、悪役の方が若いという設定が多い。



 もう一つの「働くことは良いことだ」という価値観は、日本人なら「当たり前だ」と考えるだろう。だが、これも日本以外ではあまりない傾向といえる。ヨーロッパなどでは、働くことは「罪悪」に近いものにイメージされている。つまり、なにか悪いことをしたから働かなければならないのだ。働くことが健全だ、という価値観が最近はかなり広がってきているけれど、「良い」というよりも「悪くない」くらいの意味で、日本のように、「働く人は偉い」とまではいかない。



 日本人は、老人がなかなか職を退かない。働いていないと偉くなくなってしまうためだろう。もう働く必要がない人まで、「一生現役」などと威張っている。自分が生活するのに必要な分だけを稼がせてもらう、という控えめな意識、働くことの後ろめたさがない。





【働く人が偉いというのは経済社会だから?】



 そもそも、労働よりも大事なものが昔はあった。それは、外敵からの防衛である。

どの社会にも軍隊があり、城壁を作って街や集落を守った。この責務を担っていたのが、王様や貴族だったし、日本では武士だった。武士は基本的に労働をしない。労働は、下々の者たちが担当する。大昔の社会でも、男たちは戦いのために普段は遊んでいて、働くのは女や子供だった。こういった歴史があるから、労働は良いことでも偉いことでもない、という価値感が今も残っているのだろう。



 現代社会では、これを国家や軍隊や警察が担っているから、一般市民は武器を持たずに働くことができる。けれども、今の市民は、国家や軍隊や警察が「偉い」とは感じていない。特に日本では、そう感じる人が少ないだろう。これは、戦争に負けたことの影響が大きい、と思う。戦争に勝ってきた国では、わりと国家や軍隊や警察が尊敬の対象となっている。



 戦国武将は、「天下統一」を掲げていたが、それはその地方の民衆が望んでいたことではない。

「守ってもらえてありがたい」くらいは思っていただろうけれど、戦(いくさ)は御免だったはず。だいいち、大名は民衆によって選ばれた人物でもなかった。人々は貧しいし、力がないから、働かざるをえない立場だった。労働は貧しさと非力の象徴だったのだ。



 労働者が偉いという思想は、つい最近になって生まれたもので、社会主義や共産主義の要といえる。「労働者が偉い」と持ち上げるのは、「士農工商」で農民が持ち上げられているのに似ている。それでもやはり一番偉いのは、統治する者であることは、共産主義の国々を見れば歴然だろう。



 資本主義は、「金にものをいわせる」経済社会であり、金を稼げば、誰でも特権を手にできる。平等の精神がこれを支えている。力や血筋や人脈で「偉さ」が決まるのではない分ましだ、という考えである。しかし、賄賂などが罷り通るので、これを法で防ぐしかない。





【支配されたら、支配したくなる】



 それでは、人は何故「偉く」なりたいのか、について考えてみよう。

仕事をするモチベーションは、一般に賃金を得ることだが、出世して偉くなれば、その賃金がアップする。それだけだろうか? 最近の若者は出世したくないという。何故だろうか?



 仕事をすることが偉いという感覚には、仕事で出世をすることで、人を支配できる立場になれる、との羨望と期待が潜んでいる。これは、天下を取ろうとした戦国大名と同じだろう。「偉い」立場とは、古来、人を支配できるポジション、役割なのである。「偉い」者には逆らえない、とのルールがあるからだ。



 しかし、個人の人権が尊重される現代では、このルールに基づく態度は「パワハラ」になる。今では、家庭内でも子供を支配する親は非難される。子供も若者も、今は可愛がられ、誉められ、持ち上げられている。つまり、それほど支配されていない。学校でさえ、支配の感覚が薄れている。



 命令され、嫌なことでも我慢して従ってきたからこそ、いつか自分もあの立場になってやる、というリベンジのモチベーションを持つ。

これまでの出世欲というのは、そんなメカニズムだった。支配する立場になる以外に、自由が得られなかったからだ。



 家庭内で家長に支配されていたら、いつか自分も、と若者は思ったはず。所帯を持つと、一国一城の主だ、などといったものである。



 今の若者が、出世に興味がない、結婚に興味がないのは、「支配欲」が薄れているからであり、その原因は、支配された経験がないためだろう。



 偉くなったところで、どうせ好き勝手にはできない。ちょっとした失言を非難され、夜遊びをすればスクープされる。かつて大きかった役得は、ほぼ消滅したかに見える。だから、誰もなりたがらない。支配欲が薄れたのは、支配が良いことではなくなったからだ。



 すべてがこうだという理屈ではなく、この傾向がかなり多方面で観察できる時代になった、ということ。この変化が悪いという意味で書いているのではない。もっと子供や若者を支配し、我慢をさせ、ハングリィ精神に期待し、這い上がってこい、という世の中にしろといいたくて書いているのでもない。べつに、今のままで良い。平和で自由で、昔より良くなった、と僕は考えている。



 年寄りが仕事にしがみつくのは、その立場の役得のためだけではない。やはり、支配欲があったからだろう。だが、これからは役得も減り、あからさまな支配もできない。したがって、若いうちにあっさり引退する人が増えるはず。



 また、日本で「若さ」がもてはやされるのも、まだ誰にも「支配」されていない、という純粋さに価値を見出したものだったから、この虚構も、いずれは崩れるだろう。なにしろ、「若さ」は、本来はリベンジを目指す好戦的な精神を宿していたが、それが今はもう存在しないからだ。





【それでも戦争は続いている】



 日本以外の多くの国々にとっての「支配」とは、他国からの侵略によるものだったから、その点でも日本が特別だということができる。日本人には、なかなか理解できない「屈辱」があるから戦えるし、やはり働くことは二の次だという精神が、まだ一般的である。つまり、働く者よりも、戦う者が偉い、という価値観である。



 戦うことは貧しさの表れだ、と僕は考えているけれど、それも、戦うことの尊さに隠れてしまうようだ。理屈で説明しても理解は難しいだろう。特に、若い人たちの精神には、戦うことが本能のように刻まれているので、説教で救えるものではない。



 仕事をすることが偉い、という日本の価値観は、平和を前提としている。







文:森博嗣

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