◆必勝か、多極化か
岸田総理は3月21日、ウクライナの首都キーウを電撃訪問、ゼレンスキー大統領と会談しました。
外遊先のインドからポーランド経由で同国入り、再び同国を経由して帰国したのはご存じの通り。
訪問にあたっては、総理の地元である広島の名物「必勝しゃもじ」と、折り鶴をモチーフにしたランプを土産に持っていったとか。
「必勝しゃもじ」は、読んで字のごとく、しゃもじに「必勝」と書いた縁起物。
敵を「召し捕る」(=メシ取る)というシャレなのだそうです。
松野博一官房長官によれば、総理の土産には「ロシアによるウクライナ侵略に立ち向かうゼレンスキー氏への激励と、平和を祈念する思いを伝達する」意味合いがあったとのこと。
平和への祈念が盛り込まれてはいるものの、「必勝」と謳ったからには、ロシアとウクライナの戦争において、後者の側に立つ姿勢を明確にしたことになります。
他方、中国の習近平主席は3月20日にロシアを訪問、二日連続でプーチン大統領と会談。
中国はウクライナとも接触を重ねており、両国が対話する必要性を強調していますので、「岸田はゼレンスキーの側につき、習はプーチンの側についた」と単純に図式化することはできません。
ただし「岸田は米欧が主導する形での事態収拾こそ望ましいと見なしているのにたいし、習はそのような収拾を否定的にとらえている」とは言えるでしょう。
習近平はモスクワ到着の際、ロシアとともに「世界の多極化と国際関係の民主化を推進」すると述べているのです。
これが「ウクライナ戦争と『反グローバリズム聖戦』」(令和の真相47)で紹介したロシアの思想家アレクサンドル・ドゥーギンの主張と重なるのは、むろん偶然ではありません。
「いつまでも米欧の好きにはさせない」という次第です。
◆「守護」が真に意味するもの
関連して紹介したいのが、エミー賞の候補になったこともあるジャーナリスト、メリッサ・チャン(香港生まれですが、現在はアメリカに帰化、ロサンゼルスとベルリンを拠点に活動しています)が、3月22日に送信したツイート。
どうぞ。
悲しくなると書いた以上、チャンは「守護=善、破壊=悪」の発想のもと、「現在の中国は守護者ではなく破壊者である」と考えていることになります。
しかるにお立ち会い。
ここで言う「守護」とは、一体何を守ることなのか?
逆に「破壊」とは何を壊すことなのか?
メリッサ・チャンなら「民主主義」と答えるでしょうが、これは十分に正しくありません。
本当の正解は「国際秩序の現状」。
くだんの秩序は、米欧、とくにアメリカの覇権を前提とするため、「権威主義にたいする自由民主主義の優越」を謳っているだけの話なのですよ。
「守護=善、破壊=悪」の発想にしても、そんな現状を望ましいものと見なしたときに初めて成立する。
裏を返せばチャンのツイートは、百年あまり前に近衛文麿が展開した主張の正しさを立証するものでもあります。
この主張については、「ウクライナ戦争と近衛文麿の洞察」(令和の真相44)でも論じたものの、あらためて紹介しておきましょう。
【現状維持を便利(注:都合がいい)とする国は平和を叫び、現状破壊を便利とする国は戦争を唱ふ。平和主義なるゆえに必ずしも正義人道に叶(かな)うにあらず、軍国主義なるがゆえに必ずしも正義人道に反するにあらず。要はただ、その現状なるものの如何(いかん)にあり。】(表記を一部変更)
ハイ、明快ですね。
現状が良いものなら「守護=善、破壊=悪」ですが、そうでない場合には「破壊=善、守護=悪」の発想も成立するのです。
現状破壊はつねに犠牲を伴うため、善悪が逆転するハードルは相当に高い。
よほど深刻な弊害がないかぎり、「破壊=善」の発想に走るべきではありません。
だとしても、秩序の維持をめぐる善悪の評価は絶対ではない。
それは現状をどう評価するかによって変わってくるのです。
◆現状はどこまで便利なのだ?
ウクライナ戦争をめぐっては「国際社会がこぞってロシアを非難、ウクライナを支援しているにもかかわらず、プーチンが意地になって攻撃を続けている」ようなイメージがありますが、これも十分に正しくありません。
作家の一田和樹が「ウクライナ侵攻1年、世界の半分以上はウクライナを支持していない」(ニューズウィーク日本版、2023年3月6日)で指摘するとおり、それは先進国、いわゆる「グローバル・ノース」の間でのこと。
「グローバル・サウス」、途上国の大半は、ウクライナへの武器供与や、ロシアへの制裁といった支援行動とは無縁です。
国の数や人口から言えば、こちらのほうが多いのですぞ。
それどころか、ロシアとの関係を深める国まで見られる始末。
お分かりですね。
グローバル・サウスは現在の国際秩序において割を食いやすいので、現状維持を大して「便利」だと思っていないのです。
だから「守護」にも(積極的には)動かない。
要はただ、その現状なるものの如何にあり!
まさに至言ではありませんか。
メリッサ・チャンを悲しませた「岸田と習の落差」にしても、こうなると「日本は〈善の国〉へと向上したのに、中国は〈悪の国〉に転落しつつある」とばかり解釈することはできなくなる。
日本は国際秩序の現状を非常に便利だと思っているが、中国はそう便利だと思っていない。
じつはそれだけのことなのです。
けれども国際秩序の現状は、わが国にとって本当にそこまで便利なのか?
この点を考えるには、くだんの秩序が持つ性格について、きっちり整理しなければなりません。
すでに述べたとおり、ここには「権威主義にたいする自由民主主義の優越」と、「米欧、とくにアメリカの世界的覇権」という二つの側面が見られるからです。
二つの側面は、重なり合ってこそいるもののイコールではない。
覇権の維持にとって不都合だと判断したら最後、アメリカはしばしば強権的な姿勢に出ています。
近年における代表例は、むろんイラク戦争。
2007年、ミュンヘンで開かれた国際安全保障会議に出席したプーチンが「(一極支配には)民主主義との共通性など全くありません」とイヤミを言ったのにも、相応の根拠があるわけです。
国際秩序の守護は、(自由)民主主義の守護を必ずしも意味しない!
メリッサ・チャンにとっては、いよいよ便利ならざる話になってきましたが、これは日本にとって何を意味するのでしょうか?
◆国際秩序にたいするわが国の立ち位置
20世紀前半、わが国は「欧米列強による植民地支配」という当時の国際秩序を、まったくもって便利ならざるものと見なしました。
近衛文麿の表現を借りれば「正義人道に反するもの」とまで見なしたのです。
それに代わる地域覇権を確立しようと打って出たのが、日中戦争に始まり、太平洋戦争(大東亜戦争)にいたる「昭和の戦争」。
ついでにこれは、欧米、とくにアメリカやイギリスの掲げる自由民主主義よりも、権威主義的な国家主義、ないし全体主義のほうが優れているという発想に基づいたものでもありました。
自由民主主義が幅を利かせた時代は、世界恐慌によって過去のものとなった!
「昭和の戦争」が始まった1930年代には、そんな風潮が支配的だったのです。
すなわち戦前の日本は、自由民主主義の優越に挑戦する形で、国際秩序の現状を破壊、世界の多極化をめざしたことに。
プーチンやドゥーギン、あるいは習近平が拍手喝采しそうですが、結果は無残な敗北に終わりました。
挫折体験がよほど強烈だったのでしょう、戦後日本はきれいに真逆の道を行く。
自由民主主義の優越を絶対視したうえ、それをアメリカの覇権と同一視、〈極東現地妻〉として追随していれば間違いないとばかり、対米従属を決め込んだのです。
いえ、いいんですよ。
そのような振る舞いが国益の追求と合致するのならば。
現に1945年の敗戦から、1989年に昭和が終わるまでの40年あまり、対米従属はわが国に平和と繁栄をもたらしました。
しかしその後は雲行きが怪しくなる。
アメリカ一極支配のもと、新自由主義型グローバリズムが全盛期を迎えたこともあって、従属は貧困化や格差の拡大をもたらすようになったのです。
2010年代に入り、アメリカの覇権が後退するにいたるや、従属が平和の維持を保障するかどうかすら、そう自明ではなくなってきた・・・
以上の経緯、ないし歴史認識を踏まえるとき、わが国にとって便利な国際秩序とはどのようなものか。
「権威主義にたいする自由民主主義の優越」は望ましいでしょう。
敗戦いらい、わが国では自由民主主義がすっかり定着しています。
戦前においても、近代国家としての地歩を築いた明治の終わりあたりから、国家主義志向が台頭する昭和初期までの間は、自由民主主義を肯定する風潮が強かった。
権威主義より自由民主主義のほうが、国民により多くの権利を保障するのを思えば無理からぬこと。
しかも現在、日本周辺で地域覇権の確立をめざしている中国とロシアは、ともに権威主義体制。
自由民主主義の優位を否定するのは、この点でも便利ではありません。
◆二段構えの国家戦略を持て!
そのかぎりにおいて、国際秩序の現状は肯定されるべきもの。
ロシアを非難し、ウクライナを支援するのが正解となります。
ただし、話はここで終わらない。
「米欧、とくにアメリカの世界覇権」という、国際秩序の現状に見られるもう一つの側面は、わが国にとって便利なものではなくなってきているためです。
自由民主主義の優越は支持しつつ、アメリカの覇権からは距離を取る。
わが国の取るべき戦略は、このような二段構えのものでなければなりません。
具体的には、米欧と共同歩調を取るように見せつつ、対米従属を脱却する契機としてウクライナ戦争を活用するということです。
「ウクライナ戦争と『反グローバリズム聖戦』」で指摘したとおり、アメリカがロシアにやろうとしていることと、ロシアがウクライナにやろうとしていることは、本質において同じなのですから、ウクライナを支援することと、アメリカの覇権を批判することは、決して矛盾しません。
「ロシアの行動は、ウクライナの主権を侵害する点で容認しがたい。したがって、わが国はウクライナを支援する。ただし自由民主主義諸国が自己の正義を絶対視し、世界全体に広めようすることも、国際秩序を揺るがすリスクをはらむ。自由民主主義が、権威主義より優れた政治体制だとしてもそうなのである!」
これこそ、わが国が取るべき姿勢なのです。
一極支配の非民主性を直視する点で、この姿勢は多極化志向の側面を持つ。
ただしプーチンや習近平の提唱する多極化が「権威主義を前提として、アメリカの覇権に対抗する」ことをめざすのにたいし、こちらは「自由民主主義の優越を前提としながら、アメリカへの追随に歯止めをかけて、自国の主権を強化する」ことをめざしています。
戦前のあり方と戦後のあり方を望ましい形で融合する、そう形容することもできるでしょう。
私は『平和主義は貧困への道』や『感染の令和』において、戦前と戦後の間にきちんと筋を通せないことこそ、現在のわが国の行き詰まりの真因だと論じてきましたが、くだんの融合が達成されれば、この問題も解決へと向かうはず。
いかなる国にたいしても、自国の国益にかなうかどうかで、協調の度合いを決めてゆくのが、まともな主権国家ではありませんか。
米欧、つまりアメリカと西ヨーロッパ諸国にしたところで、いつも一枚岩というわけではないのですぞ。
とはいえ現在、わが国が取っている姿勢は、そのような剛毅さとは程遠い。
岸田総理は3月26日、防衛大学の卒業式においてこう訓示しています。
【今年5月の広島サミットなどの機会を通じて、G7の結束を主導し、G7として法の支配に基づく国際秩序を守り抜くという決意を示したい】
【自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値や原則を重視しつつ、日米同盟を基軸とし、多国間協力を推進する、積極的な外交を展開していく】
G7、つまり米欧の結束を主導したうえで、日米同盟を基軸とした外交を展開すると来るのですから、二度繰り返される「法の支配」なるものの内実が、「米欧、とくにアメリカの覇権支配」なのは明らかでしょう。
早い話が、これからも対米従属を続け、極東現地妻に徹するという決意表明。
わが国が真に自立する日は、まだまだ遠いのでありました。
文:佐藤健志