早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。

その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、しずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでいてほしい・・・」連載第3回。



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AV女優「渡辺まお」の身バレが起きたとき、私が思った本当のこ...の画像はこちら >>





【私がAV女優になっていなかったら】



 嫌いでも好きでもない。誇るものでも懐かしさを覚えるものでもない。「地元」という認識も薄く、どちらかというと「そこに生まれたからそこで育った」ぐらいの気持ちだ。きっと私の生い立ちは大して面白くない。「家庭環境が最悪だった」「非行ばっかりしていた」「家に借金がある」とかみんなが望む分かりやすい不幸な要因は存在しない。



 存在しないからこそ人は私の過去が気になるのだろう、「まっとうに育ったのにどうして」と。「AV女優がまっとうな生き方ではない」と考える人からすれば、そう思うのは自然なことだろう。ただそれはあなたがこれまで歩んできた人生で形成された価値観であって、私の価値観ではない。何が大切で、何が許せないかはそれぞれ個人が決定することだ。



 人生は選択の連続だ。生まれてから死ぬまで定められたルートだけを歩むわけがない。何度も選択を迫られて、ここまでたどり着いた。それが正解か間違いかは死ぬときにならないと最終的には判断はつかないだろうが、現時点では私にとっては正しい道だったのだと思う。AV女優になっていようがいまいが、きっと楽しい人生は送れていただろうが、ここまでガツンとした刺激は得られなかったし、何よりAV女優になったことで今まで見えなかったことが見えるようになった。それは私にとって非常に大きな収穫であった。



 そのまま女優にならないで過ごしていたら、今頃私は人の痛みが分からない、それこそ排他的で、学歴主義のつまらない人間が出来上がっていただろう。人を見て「なんでそんなこともできないの、なぜ理解できないの」が心の中の口癖になっていたのかもしれない。そんな風にならなくて心底ほっとしている。人の痛みに気が付けるのも、人に寄り添えるようになったのも、そして思いのほか「生を渇望している」ということを理解できたのも、あの二年間があったからだ。





■AV女優「渡辺まお」が誕生した瞬間



「緊張しなくて大丈夫だよ、何も考えずに男優さんに身を任せれば大丈夫」



 部屋の中心にぽつんと置かれたソファに座った私に、監督は気を遣って話しかけていた。もっと技術的な話をされるのだと身構えていたから、少し驚いてしまった。

スタジオには沢山スタッフがいるはずなのに、その部屋には私と、監督と、男優と、照明のスタッフの4人。人が多いと私が集中できないだろうと思って、人数を調整してくれたのだろう。



 時計の針は10時半を指していた。ほぼ香盤表通りの時刻に初めての撮影がスタートした。カメラの前や大勢の前でセックスするのは初めてだったが、不思議と緊張はしなかった。綿密に組まれたスケジュールを淡々と、ミスなくこなしていく。そこにはずば抜けた感動も衝撃もなかった。



 というのも正直な話、この撮影の記憶がぽっかりと抜け落ちているのだ。記憶力には自信がある方なのだが、この日だけは靄がかかっているみたいにはっきりとしていないのだ。普段であれば、共演した男優の名前をちゃんと記憶しているのだが、それすら覚えていない。今はっきりと思い出せることは、昼食にオーベルジーヌのカレーを食べたことと、予定通りに全てのコーナーの撮影が二十三時頃に終わり、スタジオが入ったマンションを出た時に「あれ、帰りってどっち向かえばいいんだろう」と悩んだことぐらいだ。これに関しては嫌すぎて記憶を封印したというよりも、必死に期待に応えようとした結果、記憶するという行為に脳みそのリソースがさけなかっただけだろうと考えている。



 こんな風に割とあっけなく、「渡辺まお」という女優は誕生した。事務所の面接を受けてから1か月半後の出来事であった。そして初めての撮影から2か月半後、私のデビュー作がこの世に発売された。マネージャーからは「他の単体女優やセール作品を抑えて1位なのはすごい」とメッセージが届いていたが、その人気は渡辺まお自体が持つ魅力だけで勝ち取ったというよりは、発売日の数日前から私の個人情報が全てネットに流出する、いわゆる「身バレ」によって話題となっていたからだ。





■「身バレ」が起こったとき、私が思った本当のこと



 これを読んでいるあなたに聞いてみたいのだが、ネットに巣くう魔物たちに面白おかしくおもちゃにされたら、どういう気持ちになるのだろうか。名前、誕生日、在籍している大学、実家の住所、その他諸々流出した上に、赤の他人が何も知らないのに勝手に善悪のジャッジをしてくる、そんな状況だ。きっとごく普通の安定した精神状況を保つことは不可能だろう。私も内心はそうだった。傷ついてないわけなかった。夜中目をつぶった後に何も考えないように睡眠薬で無理やり意識を失わせていた。そんな状況下であっても、マネージャーやメーカー、その他大勢の前では、



「え!大丈夫ですよ。メンタル強いので。

むしろこうやって話題になって作品が売れてくれたので凄く嬉しいです。」



とだけ話していた。ここまで盛大な身バレが起こると、多くの場合ひっそりと引退するものだ。もちろん周りの大人たちが心配していたのは、私の精神状態よりも、お金を稼ぐことができる道具がいなくなるかもしれないということなのは理解していた。ビジネスだからしょうがない。残酷かもしれないが、商品として扱われる以上は売れる女優が正義で正解なのだ。周囲の大人たちは何も悪くない。



 ただ本当のことを言うならば、もっと守られたかった。「強いね」よりも「何とかするよ」と誰かに言われたかった。





(第4回へつづく)



 



文:神野藍



※毎週金曜日、午前8時に配信予定

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