早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。

その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめる。「どうか私から目をそらさないでいてほしい・・・」連載第4回。



AV女優を引退するときにスタッフに言われた “忘れられない言...の画像はこちら >>



【「今日って予定ある? 予定のモデルが来れなくなってさ」】



 この時間の着信音はなぜこんなにも嫌な気持ちにさせるのだろうか。陽の光が十分に差し込んでいない時間に電話をよこす人間は、画面を見ずとも誰だかわかる。



 「もしもし、まおさん? 起きてる? 朝早くからごめんなんだけど、今日って予定ある? 予定のモデルが来れなくなってさ、二絡みで額はわるくないけど…」



 「お疲れ様ですー、今日の予定ずらせるので、行きます。

現場の入りは何時?」



 「八時かな。七時に迎えに行くから準備しておいて。内容は追って連絡するから。よろしく、ありがとう。」



 用件だけ端的に伝えて電話は切られた。二度寝しようと思えばできるが、そのまま寝てしまったら起きられなくなる気がして、重い体を無理やり動かしベッドを出る。一昨日、昨日と撮影があったので、今日の撮影で三連続となった。



 「昼過ぎまで寝てる予定だったのに」と思いながらも、仕事の方が大事と自分に言い聞かせて準備を始める。準備と言っても現場に行けばメイクさんもいて、衣装もあるので私が準備しないといけないものといえば、契約に必要な印鑑と身分証、あとは撮影時に出演者同士で見せ合う性病検査表ぐらいであった。



 それらをトートバッグに乱雑に詰め込み、適当に引っ張り出したパーカーとスウェットを身に着けて、マネージャーが来るのを待つ。気を抜くと寝てしまいそうだ。さすがに早朝から深夜までの撮影が続くとどうしても疲労は抜けきらないが、仕事が沢山くるうちに結果を出さないと先がないことは理解していたので、身体に鞭打っても頑張ると心に決めていたのだ。



 ラインの通知音が鳴った。

マネージャーが家の前に到着したみたいだ。飼い始めたばかりの犬(名前はピノ)に別れをつげ、家を出る。早稲田に通いやすいように選んだ西武新宿線沿いのこの家は新型コロナの影響で何の意味もなしていない。



 助手席に乗り込み、今日の撮影現場である世田谷のスタジオへと向かう。マネージャーは立て続けにくる連絡を処理しながら、「調子はどう?最近」と聞いてきた。特に良くも悪くもなかったので「楽しいよ」と返答して、当たり障りない会話を続ける。

そんなことをしている間に目的地に到着した。





【いま私が後悔していること】



 今日も長い撮影になりそうだ。現場に入ると不思議と気持ちがすんなりと「渡辺まお」に切り替わって、いつもの私よりも少し声色とテンションが高くなる。スタジオですれ違った人に「おはようございます」と声をかけながら、メイクルームへと向かう。



 現場での流れは大体決まっていて、着いてすぐにバスローブに着替え、メイクをしてもらう。その後に契約書を取り交わす(このあたりの順序は状況に応じて変わることもある)。

それが終わるとシャワーを浴びて、撮影がスタートする。香盤表に沿って全てのシーンを撮り終えればついに帰宅だ。



 私が所属している事務所は自力で帰るのが基本であったが、現場の終了が遅いときはメーカーや制作会社の人が家まで送り届けてくれることもあった。今日もそのパターンで、家に到着したのは24時をまわっていた。送ってくれたスタッフにお礼をして、エントランスに入る。階段を駆け上がり、部屋のドアを開けるとピノがしっぽを振りながら飛びかかってきた。

先ほどまで精神的にも肉体的にも疲労感がピークに達していたのに、無邪気に擦り寄ってくるこの子を見るだけで全回復しそうだ。手早く部屋着に着替え、そのままベッドに倒れこんだ。今日も頑張った。泥のように眠れそうだ。





 色々な役になりきって、現実では起こりえないシチュエーションになぞらえたシナリオを再現するのは楽しかったし、刺激的だった。週刊誌のグラビアやネット番組、ラジオへの出演など色々なことに挑戦できたし、一年経たずにそこまで経験できるのは誰もができることではないので有難い限りであった。



 ただ、いま後悔しているのは、気持ちが揺らいでしまうほど仕事をいれなければよかったということである。あの頃はとにかく必死であった。注目されている分、結果を出して輝いているAV女優にならなくてはいけなくて、チャンスとなり得るものすべてかき集めようとしていた。いくら「楽しいな」「好きだな」と思う仕事でも、根を詰め過ぎればそのうち心身のバランスを崩してしまうことは明らかであった。



 渡辺まおとしての、活動限界、あくまで私自身が考えるという前提だが、身体的にも精神的にも女優として活動できる限界総量は決まっていて、受ける仕事内容によって違うものの、そのゲージは減少の一途をたどると思っている。だからこそ、仕事量や内容をコントロールしつつ、うまく仕事と付き合いながら、それが底尽きないようにしていかないといけないはずであった。



 引退するときに業界歴が長いスタッフに言われた言葉が心にこびりついて離れない。



 「渡辺まおはもっと長く活動できるはずだった。今言っても仕方がないけれど、もっとうまく仕事と付き合えていれば、と思うよ。」





(第5回へつづく)





文:神野藍



※毎週金曜日、午前8時に配信予定