早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。
【泣きじゃくる子どものように】
ショッピングセンターで「あれが欲しい」と泣きながら地団駄を踏んで訴える子どもがいた。当然のごとく、保護者はどうにか我が子を宥(なだ)めようと、あの手この手で子供の意識を目の前にあるおもちゃから逸(そ)らそうと必死であった。それとは裏腹に子供の甲高い泣き声は増していくばかりで、人々はその様子を横目で見ながら通り過ぎて行った。母親もその人間たちと同様に、泣きわめく子どもをちらと見て、「あなたはあんな手のかかることしない子どもだったのよ」と言って微笑みかけた。
ほどなくして声は小さくなっていったが、あの子は望み通り欲しいものを手にすることができたのだろうか、それとも親が一から丁寧に話した説明に納得をして諦めたのだろうか。歩き進めるうちに遠く離れていたので結末は分からないが、その子供の様子はなぜか私の目の奥に焼き付いて離れようとはしなかった。
目の前にいる人間はこの光景を何回も目にしており、あまり動揺した様子を見せなかった。いつも通り「何か嫌なことがあった?」とだけ聞いて、それ以上の何かをするわけでもなく、ただただ “空気” として、泣きじゃくる私を見守っていた。
どうしようもなく嫌な何か、例えば私の中の閉じ込めた記憶を引き出すような言葉をくらった日だったり、何日間も限界まで働き詰めた後だったり、そんな状態に陥ったときは決まって「発作」のようなものを起こしていた。
人から舐められた言葉や態度を向けられたのが嫌だったのか、それがきっかけでもっと前の嫌な出来事を思い出したのか、それとも一つの何かというよりも自分のとってきた様々な選択に対してなのか、考え得る答えは沢山あった。でもそこに行きつく前に理性よりも感情の濁流にのまれて、訳も分からず涙を溢れさせていた。わんわんと、小さな子供のように。ただそれも長くは続かず、大抵5分から10分くらいで収まることの方が多い。目の周りを真っ赤にさせた私に対して、きまってタオルに包んだ保冷剤を差し出して「後でコンビニにでも行こうか」とだけ声をかける、それが一連の流れであった。
【女優時代は月に一度、発作が起こっていた】
このような発作みたいなものは女優時代に月に一回程度起こしていた。そのぐらいの頻度、かつ絶対に自分にとって安全地帯でしか起こさず、加えて収まってしまえば急に憑(つ)き物がとれたかのように元気になるのを分かっていたので、何か対処をしなくても大丈夫と特に問題視はしていなかった。それは私にとってもだし、一緒にいる人にとっても「気が済むまで付き合おう」ぐらいの気持ちであった。
原因に関しては何となく心当たりがあったものの、汚いものには蓋をするではないけれど、考えたくないことは全て頭の隅にひとまとめにして、見て見ぬふりをするようにしていた。それが一番苦しまずに済むし、そうすることが自分を守るためだと信じきっていた。色々なことに気がついて、ある意味「正気」に戻ったら、きっと自らが抱える全て―女優という仕事にも大事な人たちに深い苦しみを与えたことなどに対して耐えられなくなると、心のどこかで悟っていたからだ。
しかしながら引退して、発作は緩く長く続くものに変化した。すぐに収まるのではなく、何となく調子がおかしいという状態を引きずっていた。何かができないわけではないけれど、いつもの半分ぐらいの力でしか物事を対処できない、そんな毎日であった。なぜそうなったかについて、何となく察しはついていた。怒涛のような日々や「AV女優である私」から放り出されたことで、「私」に費やせる時間が無限となってしまったからだ。
これまでの生活スタイルとは打って変わって、家の中で黙々と仕事をするようになり、必然的に一人になる時間が増えた。一人でいるとふとした瞬間に色んなことを考えてしまう。自分の未来について、思考を停止させていた過去について。そして一度ぐるぐると考え始めたら、なかなか途中で脱することはできなかった。
【過去の自分の清算】
初めは、失ったものばかり数えていた。これまで何とも思っていなかったことでも、時間が経ってみると「ああ、やってしまったな」とか「あれはひどい出来事であったな」と感じてしまうことは多くある。二度と同じ形に戻らないものを記憶の中から探し当てては、バラバラに壊れてしまったことを悔やむばかりであった。
しかし、人生の区切りを迎えた今に、これまで見て見ぬふりをしてきた都合の悪いものたちの精算をしないのならば、いつやるんだろうと考えていた。先送りにすれば、きっと今の自分は楽だろうけれど、また同じようなことを繰り返し、結果的に考えないといけないことは増えてしまう。だったら、今やった方が良い。それが私の出した結論であった。
そうして一年近く、過去の自分の清算を行った。自分の中で答えが見つからなければ、本や人の話からヒントを得て、納得いくまで考え込んだ。途中で何度か嫌になって放り出すこともあり、時間はかかってしまったが、あらかた片づけることはできた。
その過程が記されているのが、この「私をほどく」である。自分の過去について、一つ一つ見直して「これはこういうことだ」と答えを導き出すのはなかなか骨の折れる作業であったが、こうやって自分と真剣に向き合える時間を持てたのは幸せなことかもしれない。
次週からは、私が出した様々な結論について話していきたいと思う。
(第12回へつづく)
文:神野藍
※毎週金曜日、午前8時に配信予定