早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。
【セックスは「する」か「しないか」、「できる」か「できないか」】
「俺の好きなことじゃなくて、○○の好きなこととかやってほしいことやろうよ。教えて?」
ああ、その質問を投げかけられていることが一番嫌で、反吐が出そうになっているの、頭が良いのに何も気が付いてないのかな。もう今更好きなことなんてないよ。何が好きかなんて分からないし、とっくの昔にそんな感情どこかにいったよ。尽くして幸せってそんな気分に一生浸って、私のことなんか構うな。
そんな棘のある言葉を目の前にいる無防備な存在に突き刺すほど、私は正直な人間ではない。隣で横たわる身体にぴったりと顔をくっつけて、「何でそんなこと聞くの。何やってても好きだよ」と上ずった声でなだめようとする。決して目を見て話すことはできない。
大人たちは言う。「セックスは大事な人とする行為だよ」と。
私はこの教えがずっと腑に落ちなかった。その日に初めて会った相手だって、この人は信頼できるかもと思った相手だって、みんな私を見て、息が上がり、熱を帯びた目で獣のように身体を暴いてきた。その一連の行為に「私が大事か?」なんて問いは浮かんでいないだろうし、目の前にいる人たちは誰も私に対して「大事にしなよ」なんて咎めることはしなかった。私も罪悪感などを含めマイナスの感情を抱くことはなかった。相手に対して特別な愛情を持っているかというよりも、「する」か「しないか」、「できる」か「できないか」の問題だと考えていた。そう気がついたころには、私の中でセックスは愛情の表現方法ではなくなっていた。
大人たちは言う。「セックスを対価に何かを得てはいけないよ」と。
大抵の人が「金銭感覚がおかしくなる」だとか「そんなことしていたら危ないよ」と口を揃えて言ってくるが、あまり理解ができなかった。
しかしながら、それが間違いだと気が付いたころには、大事なものをいくつか失っていた。肉体的なことで言えば、詳しいことは書かないが、AV女優として迎えた2年目の夏にとある検査にひっかかった。「大したことはないだろう」と高を括っていたが、結果的に今も年に何回かは大きな病院で検査を受けないといけなくなっている。別にAV女優だからという因果関係は認められないが、精神的にはそうは割り切れない。他人に易々と身体を差し出した代償が自分に降りかかってきて、直感で「自業自得だ」と思った。身体的なサインを受け取って初めて「ああ、自分を大事にしないといけないんだな」と悟った。ただ、身体に関しては定期的に医者の元に行けばどうにかはなるので、私にとっては正直そこまで厄介ではなかった。
【セックスに対して何も感じなくなった・・・】
それ以上に私が手を焼いているのは、セックスに対して何も感じなくなったことである。
だって「私」として、相手とセックスしていないのだから、しょうがないことである。
仕事のとき、事前に与えられた情報をもとに「この子だったらこんな立ち回りをして、こんな風な言葉を相手に言うだろうな」と理想の女の子の存在を作り上げて、それをスタートの合図と共に「私」を消して、「理想の女の子」になりきってセックスしてきた。加えて、カメラが回っているのもあって、常に自分のことを第三者の視点から俯瞰するようにしていた。仕事としてはその方がしやすかったし、もちろん作品のクオリティは上がり、私の評価にもつながった
しかしながら、その行為を何度も繰り返しているうちに、カメラが回っていないところでも同じことができるようになってしまった。セックスの最中に真っ先に浮かぶことは「こんな風にやられたいんだろうな」とか「いつこの言葉を言おうかな」ということばかりだ。そういった思考が身体に沁みついているのもあるが、元々人のことをじっと観察するタイプであったし、相手が期待するであろうことを感じ取るのは得意な方だ。台本が無くても同じようなことをするのは簡単で、それはどんなに好きな相手だろうが、どんな状況であろうが、相手の理想になりきってセックスしてしまう癖は未だに抜けていない。カメラなんて存在しないはずなのに、自分をセックスに参加してる当事者だと思うことができないのだ。
過去に「セックス、完璧だよね。
【お金を稼ぐ手段としてセックスを用いている女の子たち】
SNSを眺めていて、「若いうちにコスパ良く稼いだ方が良い」という考えでお金を稼ぐ手段としてセックスを用いている女の子たちを見ていると、昔の自分とどうしても重ね合わせてしまう。「実体験の伴わない大人の薄っぺらい言いつけを守ってもしょうもない。そんなことよりも自分が全て正しい」という思い込みに浸っているうちは、何も考えずに無鉄砲に突き進んでいけるだろう。その時間が終わった後に、何も思考を働かせないほどの愚鈍であるか、もしくは自分で落としどころを付けられる覚悟があるならば止めはしないが、私は手放しにオススメはしない。
大事なものは自分が失ってから気がつくことが多い。
でも、気がついたころにはもう取り戻すことができないほど自分が遠くまできてしまっていて、どうしようもできない。
私も昔の自分に言い聞かせてあげたいけれど、きっと言うことは聞かないだろう。そういう人間だって私が一番理解しているし、何より身をもって経験して良かったと思えているから、それでいいのだ。
(第14回へつづく)
文:神野藍
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