時代は乱世です。何が起きるか予測がつかない。

これまでのやり方が通用しない。そんな時代だからこそ、硬直してしまいがちなアタマを柔らかくしてみませんか? いえ、あなたの人生を変えてしまうかもしれない・・・「視点が変わる読書」連載第3回「名作童話に込められた社会的メッセージ」。『家なき娘』(エクトル・マロ著)を紹介します。童話作家たちはその物語を通して訴えていたことがあった。



『家なき娘』『ハイジ』名作童話に込められた社会的メッセージと...の画像はこちら >>



「視点が変わる読書」第3回 名作童話に込められた社会的メッセージ『家なき娘』エクトル・マロ著 津田 穣 訳 岩波文庫

 



 今年の夏は暑かった。午前8時には気温が30度を超え、昼ともなればギラギラの炎天下。夜になっても気温は27度を下回らず、散歩どころか買い物すら行く気になれなかった。仕事がない限り外出をしなかったので、これまででいちばん家にいる時間が多い夏になった。



 時間を持て余し一部屋を占領している書庫の本を漁っていたら、昭和16年発行の岩波文庫『家なき娘』上・下巻が出てきた。表紙の横書きのタイトルが右から書かれていて、本文が旧仮名使いの古い本だ。読み出したら、これが面白い。









 そういえば子供の頃、「カルピスファミリー劇場」というテレビのアニメ番組があって、この本を原作にした『ペリーヌ物語』を放送していたなと思い調べてみると、何とアマゾンプライムビデオで全53話が無料で見られることが分かった!



 日本でアマゾンプライムビデオのサービスが開始されたのは2015年9月だが、たった8年で昔のアニメ作品の多くが無料で見られるようになったのだ。

再放送を待って、録画して見なければならなかった時代を知っているだけに、便利さが身に染みる。



 ちなみに「カルピスファミリー劇場」の本来の名称は「世界名作劇場」で、日本国外の文学作品を原作とするテレビアニメシリーズであり、『ムーミン』(1969年)が最初である。有名なところでは『アルプスの少女ハイジ』(1974年)があり、これは現在「家庭教師のトライ」がCMキャラクターに使用しているので、馴染みのある人も多いだろう。



『ペリーヌ物語』は「世界名作劇場」第4作目にあたり、1978年1月1日から12月31日にかけて、毎週日曜日の19時30分~20時、フジテレビ系で放送された。当時中学2年生だった私は毎週この時間を楽しみにしていた。中学2年にもなって幼稚過ぎると思われるかもしれないが、成長には個人差があるので、仕方がない。



 『家なき娘』の舞台は19世紀末のフランス。主人公のペリーヌ・パンダヴォワーヌは12、13歳の少女で両親とともにインドからフランス北部のマロクールに向かって旅を続けていたが、ボスニアで父が、パリで母が亡くなり、一人ぼっちになってしまう。そもそも何故3人がマロクールへ旅をしていたかと言えば、ペリーヌの父、エドモンはマロクールでジュート織物大工場を営むヴュルフラン・パンダヴォワーヌの一人息子であり、英国人との混血であるインド人マリ・ドレサニと結婚したため父に勘当されていたのだが、インドでの生活が難しくなったため、マロクールに戻ることを決意したのだった。ペリーヌは亡くなった両親の言いつけに従い、一人でマロクールを目指すが途中で路銀がつき、行倒れてしまう。



 『ペリーヌ物語』は原作を忠実に再現していて、パリで母を失ってからのペリーヌの様子は見ていて痛ましい。身なりの貧しさをみくびられ、パン屋でお金をだましとられたり、農婦に泥棒呼ばわりされたり、風邪を引いて熱が出て歩けなくなり、木の下に倒れこんだり。



 しかし、そこからペリーヌが自分の力で運命を切り開いていくところがこの物語の真骨頂である。



 屑屋の女性に助けられ、無事マロクールに着いたペリーヌだったが、両親の結婚を認めていない祖父は自分をすんなり孫と受け入れてはくれないだろうと、すぐには名乗り出ず、祖父が経営する工場でトロッコ押しの仕事を始める。また女工用の宿舎のひどさに辟易し、池の畔の小屋で一人暮らしを始める。トロッコ押しで稼いだわずかなお金をやりくりして靴や下着を手作りし、魚を釣り、野に生えている野菜を摘んで食事を作るなどしてしのいだのだ。



 英語が堪能であったことから通訳と翻訳の仕事に採用されたペリーヌは、その仕事ぶりを評価され、祖父ヴュルフランの秘書となる。ヴュルフランはペリーヌが自分の孫であることを知らないまま、彼女の誠実な人柄と意志の強さに引かれていく……。



 中学2年生の時、自分と同じ歳頃の少女が生きるか死ぬかの瀬戸際から、一体どうやって生き延びていくのかを夢中になって見ていたことを思い出した。両親と家に守られているという恵まれた境遇にいながら、自分とペリーヌを重ね合わせていたのだ。



 この度『家なき娘』を読み返してみて、中学生の時には全く関心のなかった物語の背景に興味が湧いた。



『家なき娘』『ハイジ』名作童話に込められた社会的メッセージとは何だったのか?【緒形圭子】
エクトル・マロ(1830〜1907)



◾️18世紀後半のイギリスにおける劣悪な奴隷社会を訴えていた



 エクトル・マロがこの物語を発表したのは、1893年。18世紀後半にイギリスで始まった産業革命は1830年代にはフランスに拡大し、ナポレオン三世が推し進めた結果、大きな成果をあげた。1852年、サンフレール合名会社はフランス北部のソンム県に『家なき娘』のバンダヴォワーヌ工場のモデルとなったジュート工場を開設。

インドの黄麻を原料とするジュート繊維で作られた麻袋は輸送用として需要が急増し、『家なき娘』が発表された頃、工場は大発展を遂げていた。一方で生産重視の工場労働は劣悪を極め、小さな子供までも酷使される有様だった。



 何しろ13歳の少女が朝から晩まで、糸の巻かれた管が積まれた重いトロッコを押し続けるのだ。そうした一日の重労働で手に入るのはたった10スウ(1フランの二分の一)。1スウで買える食べ物といえば小さなパン1個だ。



 マロはペリーヌの労働状況や生活を克明に描くことで、当時現実のものとしてあった児童労働の問題を提起し、労働者が機械の奴隷にならず尊厳を守るために必要なものが人間の強い意志であることを示した。



行倒れて死にかけながらもペリーヌは自分の意志でマロクールを目指し、マロクールでの自活を続けた。その意志の強さが頑なな祖父の心を動かし、最終的にはバンダヴォワーヌ工場やマロクールという町を変えていくのである。



 子供の頃はただ、主人公の身の上に自分を重ね合わせ、その成り行きをわくわくしながら読むばかりで、このような社会的メッセージが物語に込められていようとは、思ってもみなかった。





『家なき娘』『ハイジ』名作童話に込められた社会的メッセージとは何だったのか?【緒形圭子】
フォントネー・スー・ボワにあるエクトル・マロの墓





◾️『ハイジ』に込められていたメッセージとは?



 そうした視点から、『アルプスの少女ハイジ』(原題『ハイジ』)も読み直してみるのも面白い。



 『ハイジ』もまた、『家なき娘』と同様、産業革命期の1880~81年に発表された。作者はスイスの女流児童文学者ヨハンナ・シュピーリ。

スイスの山村ヒルツェルに生まれたシュピーリは教師になるべくチューリッヒに出て、フランス語とピアノを学ぶ傍らゲーテを愛読したという才女だ。『ハイジ』はゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』から着想を得たといわれる。



 孤児になった少女ハイジはアルプスの山の上に住む偏屈な祖父に預けられる。自然の中の生活を楽しむ無邪気なハイジに祖父の心は次第に和らいでいくが、そんな折、ドイツの富裕な貿易商ゼーゼマン家の娘クララの話し相手として、ハイジは突然フランクフルトに連れて行かれる。足が不自由で病身のクララはハイジが来たことを悦ぶが、ハイジは都会のお屋敷での生活になじめず、夢遊病になってしまう。アルプスに帰され、大喜びのハイジと祖父のもとにクララが遊びにやってくる。初めて偉大な山の自然に触れたクララは心身の健康を取り戻し、自分の足で歩けるようになる。



 優れた自然描写と素朴な人間愛で知られる作品だが、この作品にもまた大きな社会的メッセージがこめられている。産業国家へと突き進むドイツと自然と共に生きるスイス、新しいヨーロッパと古きよきヨーロッパの融合である。



 昔読んだ童話を再読し、そこに込められたメッセージを探ってみてはいかがだろう。案外そういうところに現代を生き抜くヒントが見つかるかもしれない。





文:緒形圭子

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