芸術家の卵たちが集う場所ーー世間一般がそう感じている東京藝術大学でヴァイオリンを学び首席で卒業した齋藤真知亜氏。学生時代のアルバイトについて語った話が『クラシック音楽を10倍楽しむ  魔境のオーケストラ入門』(KKベストセラーズ)にある。

同氏が20歳のとき(1982年)の東京都の最低賃金は442円。いったい、どんなバイトをしていたのだろうか?



元N響フォアシュピーラーが語る藝大生時代の「バイト」事情とは...の画像はこちら >>



■助っ人バイト「エキストラ」



 僕にとって大学は夢や希望を抱ける場所ではありませんでした。でも、入学と同時に一人暮らしを始め、仕送りとは別にある程度の生活費を稼がねばなりませんでしたから、むしろその方がありがたかったともいえます。後ろめたさを感じることなく、学業よりアルバイトに精を出すことができたからです。



 アルバイトといってもそこは音大生ですから、コンビニや牛丼屋で働かなくても、音楽の仕事がたくさんありました。中でも、僕が積極的にやっていたのがオーケストラの仕事です。



 オーケストラにアルバイトの学生が入る余地があるのかと不思議に思うかもしれませんが、実はあるのです。「エキストラ」です。



 映画やテレビなど映像の世界では、通行人や群衆など「その他大勢」という意味で使われる言葉ですが、オーケストラでは正規の楽団員が休むときの代役を、こう呼びます。小さなオーケストラが大編成の曲をやるとき、楽団員では足りないパートをエキストラで補うこともあります。



 どんなオーケストラでも、もちろんN響にも必ずといっていいほどエキストラがいます。特にヴァイオリンのように人数の多いパートでは、毎回エキストラを探します。

エキストラ専門でいろいろなオーケストラで演奏している「常トラ」と呼ばれる人もいます。



 助っ人とはいえ、音大生なら誰でもできるわけではなく、そのオーケストラで通用するだけの技術が求められます。たいていは、楽団員の学校の後輩や元教え子の中から腕がいいと見込まれた人に声がかかります。





■世間の3倍以上の高収入をゲット!



 当時のギャラは、アマチュアオーケストラの場合、練習2回とゲネプロと本番で計1万5千円くらいでした。高くはありませんが、そのころはバイトは時給千円を超えればいい方でしたから、10時間程度の実働でこの金額は決して悪くありません。



 何よりもオーケストラの現場を学べるのですから、こんなにありがたいことはありませんでした。



 何人かで合奏団を編成し、各地で音楽教室をするような仕事もありました。当時は地方の学校や市民ホールなどで、音楽教室という名称のミニコンサートが盛んに催されていたのです。数日間の拘束になることもありますが、旅行気分を味わえてお金ももらえる楽しい仕事でした。



 エキストラより手っ取り早くお金を稼ぎたいと思ったら、スタジオのバイトがありました。指定された時間にスタジオに行き、渡された譜面を見て、その場でレコーディングするのです。



 譜面にはタイトルも歌詞も、もちろん歌い手の名前もありません。

「いい曲だなあ」と思いながら弾いたら、あとで松田聖子の曲になっていてびっくりしたこともあります。このようなスタジオレコーディングの仕事の時給は4500円ほどだったでしょうか。2~3時間で終わるので、1日に何本か掛け持ちしてその場でギャラをもらい、そのまま友だちと遊びに行くこともありました。



 スタジオのアルバイトは、最初のころは大学の先輩に紹介してもらいました。プロの演奏家が集まるお店に出入りし、仲良くなって声をかけてもらうこともありました。



 そのうちに「齋藤真知亜というやつがいる」という噂が広まると、レコード会社の人やスタジオミュージシャンから直接電話がかかってくるようになりました。アルバイトで弾く曲の多くはポピュラーミュージックでした。どれもパガニーニなどの曲に比べれば易しく思える曲ばかりでしたが、初見である程度弾くことはできても、2回目はもう本番です。それが世に残る作品になるということで、常にものすごいプレッシャーを感じていました。



(齋藤真知亜著『クラシック音楽を10倍楽しむ  魔境のオーケストラ入門』から本文抜粋)

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