早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。
✴︎連載全50回分を加筆修正し、書き下ろし原稿を加えて一冊に編んだ単行本『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』が6月17日に発売決定・予約開始!作家・鈴木涼美さんも絶賛した衝撃エッセイ!
【高校生のときから飲み続けている処方薬】
「子ども産めるのって女の人だけがもつ権利でしょ。男には産めないんだから。だったらそれに付随する生理だって、何だって、全部しょうがなくない?」
かえす言葉も力もなくて、ただただにこやかに笑っただけであった。
朝六時前。設定している目覚ましの音よりもずっと早く、ベッドに差し込んでくる光に起こされる。ぼんやりとしつつも、眠っている間に届いていた通知をざっと目を通して、のそのそと身体を起こすと、階下から察しの良い犬が走り回る音が聞こえてくる。階段を降り、何百回と繰り返されたルーティンをこなしていく。そして最後に小さな錠剤をシートから押し出し、少し冷ましたお湯で身体に取り込んでいく。ずらっと空になったシートを眺めるたびに「あ、こんなに日数が経ったのか」と時間の経過を感じてしまう。
28錠全てが空になったシートをこれまでいくつゴミ箱に捨てただろうか。こんな小指の爪の半分の大きさにも満たない粒が、こんなにも自分の生命のかたちを変えていると思うと、その存在に感謝する半面、これが世界から消えたら私はどうするのだろうと考えるだけで少しぞっとしてしまう。
最近ピル処方の広告の多さに、「以前よりも一般的になったのだな」と感心するのと同時に、「気軽にもらえるのだから使いますよね?」という押しつけを感じられて、げんなりしてしまう自分がいる。数年飲んでいて自身は便利に感じていても、あくまでピルは〈処方薬〉であって、〈サプリメント〉ではない。それだけ身体に大きく作用するものだから、仲良い友達にだって手放しに薦めるものではないと分かっているからだ。
SNSを眺めていると「生理を自在にコントロールする薬」や「飲んでおけば避妊ができる薬」といった便利でポジティブなイメージだけがアピールされている場合が多い。昔「ピルを飲めば、もう出血しないんでしょ」と言われて唖然としたこともある。私からしてみれば、便利ではあるが〈飲み始めてみないと、どうなるか分からない博打薬〉だと思っている。ピルを初めて口にしたのは婦人科系の病気を抱えていた高校生のときで、そこから一度も中断することなく飲み続けている。
【ニュートラルな状態に自分をコントロールしたくて】
初めて処方されたとき、薬に慣れるまで長くて数か月かかると言われた。ひどい風邪のときに処方される抗生物質だってそんなことを言われたことがないのにと驚いたが、医師の説明通り頭痛や吐き気など何かしらの具合の悪さが二週間ほど続き、こんな状態なら飲まない方がマシだと考えてしまうほどであった。
それでも辞めることができないのは、なるべくニュートラルな状態に自分をコントロールしておきたいと願ってしまうからだ。何の不調や不安、例えば床に這いつくばってしまうような下腹部痛に襲われたくないだとか、突然の出血で服を汚したくないだとか、それらのことを抱えずに生きるために。私の考える〈ふつう〉というスタートラインに立つためなら、検査や処方にかかる金額や手間、常飲することで発生する血栓症のリスクすら受け入れようと思うのだ。
身体の中心から流れ出る血や、その血を排出するために収縮する鋭い痛みを感じる度に昔恋人に言い放たれた言葉が突き刺さる。確かに私は生物学上女であることは間違いないし、身体に備わった機能で言うならば子どもを産むこともできる。そのために毎月血を垂れ流すことも仕方がないと理解しているし、毎日欠かさず薬を飲み続けることでふつうのスタートラインに立てるようにしている。
だからこそ、無責任に放たれる他人からの「自分の身体なのだからコントロールしろ」だとか「ピル飲めば全部解決するんでしょ」なんて言葉を易々と受け入れることはできないし、かといって反論するほどの材料も持ち合わせていないのでただ笑って受け流す。気を遣ってほしいとか慰めてほしいとも思っていない。こんな風に考えるのはわがままなのだろうか。
自分で選んだわけではないというやるせなさを抱えながらも、誰にも文句を言うことができないから、無条件で受け入れて、生きている。もし人間をかたち作った神様が目の前にいるのならば、「もう少し頑張って進化させろよ」とぶん殴ってやりたい。
(第24回へつづく)
文:神野藍
※毎週金曜日、午前8時に配信予定