早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。

その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、しずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでいてほしい・・・」連載第25回。



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【医師が私に話してくれたこと】

 



 ある日、一通の封筒がやけに目についた。きっと普段だったら中身を一瞥して「まあ面倒だからいいか」とそのままゴミ箱の中に放り込んでいただろう。ただ、あの夏の日だけは捨てることなく、その紙に記載されていた通りの手順ですんなり予約まで済ませていたのだ。大した理由などなく、本当にただ何となく、呼吸をするぐらい自然なまでに。



 



 「1058番さん、診察室Aにお入りください。」



 淡々としたアナウンスが廊下に鳴り響く。何度も自分に割り振られた数字を確認していたので、呼ばれたのが自分であることはすぐに分かった。腰かけている待合の椅子から目的の場所までは三メートルほどしか離れていないのに、ドアの引手を握るころにはどっと身体が重くなっていた。私を待ち受けていた医師は「早速だけど」と説明をし始めた。自分の内側にしまってある臓器をまじまじと見るのは初めてで、なぜか少しだけ「ちゃんとこの世界で生きているんだ」なんて感動してしまった。

そんな私をよそに医師は話をどんどんすすめていき、何の知識もない私に対してすごくかみ砕いた説明をしてくれた。それにもかかわらず、私の頭に情報として残ったのはほんの少しだけであった。



 



 〈子宮頸がんの一つ手前の異変が起きている状態。何もできることはないけれど経過観察は必要で、半年後にまた検査をしないといけない。〉



 家に帰っても状況が掴めずにふわふわとしていたが、組織をぐりぐりと抉り取られた痛みが先ほどの出来事が現実であることを教えてくれた。私の心に処理しきれない感情が雪崩れ込んできて、何も感じられない状態へと落ちていった。悲しいとか苦しいとか、そんなのがどろどろに混じり合っている。どうにか現実を飲みこむために、ネットで〈原因〉とか〈治療〉とか思いつく言葉を打ち込んで、大量の文字を摂取しても全てが無駄であった。その日は無理やり思考のスイッチを切るために睡眠薬を摂取して眠りについた。目が覚めても、全てが夢だったなんてオチもなく、身体に何か異変が起きたままの日常が始まるだけであった。



 



【「これは天罰だ」と思ってしまった私】

 



 2021年の夏に告げられてから早二年。内臓の中身を撮影し組織を削り取る検査をちょうど四回繰り返した。

医師による診断が下された日は「これは天罰だ」と思った。自分の身体をぞんざいに扱い、愚かにも対価があるからと易々とわたしを明け渡した罪であると。もちろん、経験人数と病気の発症確率に相関関係は認められないとされているし、統計によっては〈不特定多数〉の定義にもばらつきがある。加えてそのように考えること自体がスティグマの片棒を担ぐことになるのだろう。どのような生活を営もうが、きっと病気というものは前触れなく訪れる。しかしながら、まだ幼かった私の心はそう単純に割り切ることができなかった。



 このことは血のつながりはないが、私と同じぐらいに、私を一人の人間として尊く扱う二人にだけ話した。それだけで十分だった。「心配をかけたくない」といった優しい強がりでそうしたわけではない。誰にもこのことについて勝手に判断され、処理されたくなかったのだ。行き場のない破裂しそうな感情を誰かの慰めや心配で癒すのではなく、自分自身の手で沈めなければ意味がないと思ったからだ。



  どうしようもない絶望は嫌いじゃない。

彼らは苦しさを運んでくるが、それと同時にまたとないほどの考える機会を与えてくれるからだ。これまでも何度か似た状況に遭遇したことはあるが、今回の「死の気配」みたいなものは一段と精神をひりつかせた。ここまで深く自分の生と向き合ったのは初めてで、何よりもはっきりと実感したのはちゃんと自分は様々な制限のある中で生きているということだ。精神的にどんなに自由であっても、誰しもが寿命という時間的な制限に縛り付けられている。それを完全に克服するのはきっと私が死んだ後になるだろうし、私は制限のある中で戦っていかないといけない。ある意味それを理解したからこそ、自分というものを構成する一つ一つを純度の高い、もっとわかりやすく言い換えれば私の大事なもので埋め尽くしていきたいし、目の前に広がる道を真っすぐに揺らぐことなく進んでいきたいのだ。ただそれは最短距離で飛んでいきたいとは少し意味が違っていて、一つ一つの選択肢に私の意志がきちんと存在するならば止まっても、走っても、飛んでも良いということだ。



 



【人生の転換点】

 



 人生の転換点はいくつかあって、この出来事もその一つだ。今回書いたのは自分の中できちんとした答えが見えたからだ。また季節を一つ越えれば同じ検査がやってくる。肉壁を削り取られる痛みにも、待合の椅子に一人でじっと座っている孤独感にも慣れたわけではない。ただ自分自身の感情を言葉にできるようになった今、最初のあの日よりも得体も知れない怖さみたいなものは薄くなり、それ以上もそれ以下でもないあるがままの事実を受け入れられるようになったのは事実である。

こうやって正面から逃げずに向き合うことが私にとっての成長であり、克服なのだと思う。



 



 また一つ、私という存在の輪郭がはっきりと見えた気がした。



 



(第26回へつづく)





文:神野藍





※毎週金曜日、午前8時に配信予定 

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