三島由紀夫は晩年の数年間を除き、右翼ではなく保守主義者だった。当時も保守は少数派だったが、いまやほぼ絶滅。

情弱のネトウヨ、新自由主義者、朝から晩までヘイトスピーチを垂れ流している連中が「保守」を自称している状況である。三島が生きていたら、何を思うのか。『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』(KKベストセラーズ)の著者適菜収氏の「だから何度も言ったのに」第51回。





■「ヨドバシカメラは左翼」



 自称ユーチューバーの百田尚樹が立ち上げた「日本保守党」が大阪で開いた街頭演説が騒動になった。同党は大阪市のヨドバシカメラの前で街頭演説を開いたが、人混みでかなり危険な状態になり、ヨドバシカメラの店員とみられる男性が「危ないのでやめていただけないでしょうか」と深々と頭を下げてお願いする中、聴衆は「無理やー!帰れ!」と叫びだし、弁士の河村たかし名古屋市長は終始ニヤニヤと笑みを浮かべていた。



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 ツイッター情報だが、この件に関し、ネトウヨが「ヨドバシカメラは左翼だ」と言い出したとのこと。本当だったら、それこそ「日本スゴイ」。



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「ヨドバシカメラは左翼」というフレーズ。何回聞いても面白い。いろいろ終わっているね。



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 前回も書いたが、百田は社会性の欠片もない人物である。以前、「僕の若い頃、ビジネスホテルには100円入れるとエロビデオが見れる機械があった。

その100円を入れる穴に針金を突っ込んで上手く操作すると、タダで見れた。だから出張に行くときは針金は必需品だった」とツイートしていたが、社会のルールを守ることができない人間は、政治に関わるべきではない。



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 そもそも100円をケチるって、セコすぎる。 名前も百円尚樹に変えたほうがいい。



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 政治に関する見識もゼロ。永遠のゼロ。北方領土の主権を放り投げ、全方位売国路線を突き進み、反日カルト統一教会や悪質マルチ商法の広告塔だった究極の国賊安倍晋三を礼賛してきたネトウヨビジネスライターの百田が、保守党をつくるとか、寝言は寝てから言え。かつて橋下徹や河野太郎を支持していた時点で百田の選球眼・見識は明らかである。



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 だいたい保守でもないのに「保守党」を名乗ること自体がふざけている。党名は「ラブアタッカーと愚鈍な仲間たち」に変更したほうがいい。



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「1割の善良なバカを騙せば、国会議員になれますから」。百田の政治に対するスタンスを如実に示す発言である。

こういう人は政治家にはならないでほしい。国や社会にとって、迷惑以外のなにものでもない。







■世界の静かな中心であれ



 私の著書『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』で、百田について触れた箇所があるので、その部分を抜粋しておく。



 (以下引用)



 以前、安倍晋三とラノベ作家の百田尚樹が『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』という愚にもつかない対談本を出していた。その中で安倍は「世界の歴史を振り返っても、一国のリーダーが判断を誤ったために国が滅びたことは何度もある」などと言っていたが、実際、そうなってしまった。



 三島の読者なら、このタイトルから次の文章を連想するだろう。





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 古代ギリシア人は、小さな国に住み、バランスある思考を持ち、真の現実主義をわがものにしてゐた。われわれは厖大な大国よりも、発狂しやすくない資質を持ってゐることを、感謝しなければならない。世界の静かな中心であれ。(「世界の静かな中心であれ」)





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 安倍は「政治も外交もリアリズムが大切だ」と言う。しかし、リアリズムが完全に欠如しているから政治も外交も失敗したのだ。



 安倍と周辺の一味は、国を乱し、世に害を与えてきた。



 (中略)



 対米、対ロシア、対中国、対北朝鮮……。外交で失敗を重ね、「桜を見る会」や森友学園問題などあらゆる疑惑の追及から逃げ出しただけではないか。



 連中が示しているのはバランスある思考の欠如であり、現実主義の対極にある妄想であり「発狂」そのものである。





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 今年こそは政治も経済も、文化も、本当のバランス、それこそスレッカラシの大人のバランスに達してほしいと思ふのは私一人ではあるまい。小さいバランスではなく、楽天主義と悲観主義、理想と実行、夢と一歩一歩の努力、かういふ対蹠的なものを、両足にどつしりと踏まへたバランス、それこそが本当の現実的な政治、現実的な経済、現実的な文化であると思ふ。



 日本もつひに、野球選手と映画スタアと流行歌手の国になつてしまったか、などというのもヒステリックな詠嘆にすぎない。野球や映画や流行歌がなくつたつて人間は生きてゆけるのだが、さふいふ不必要なものが生活の関心の大きな部分を占めるだけ、余裕のできたことを喜ぶべきだ。ただ不必要なものに大さわぎをして、もつと必要なもの、安定した職や住宅や良い道路などのために大さわぎをしないのが、いかにもアンバランスで、今年こそは必要と不必要の双方を踏まへたバランスがほしい。(同前)





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 これは一九五九年元旦の読売新聞に載った文章だ。



 さすがの三島も正月から世の中に罵声をあびせるようなことはしなかったのだろう。しかし、文章の趣旨は「日本は大人のバランスを持った国ではない」ということである。



 バランスとは何か?



 決断をすぐに出さずに考え続けることである。



 矛盾を抱えこむことである。



 そして思考に常に現実を織り込み続けることである。



 イデオロギーで裁断するのは簡単だ。方程式に当てはめれば簡単に答を導き出せる。そして導き出した「正義」を叫べばいい。世界の真ん中で咲き誇っていればいい。そういう連中を一般に「花畑」と呼ぶ。



 (引用ここまで)



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 次の文章は1970年7月7日のサンケイ新聞に載った「果たし得てゐない約束」という文章である。



 (以下引用)



 私の中の二十五年間を考へると、その空虚に今さらびつくりする。私はほとんど「生きた」とはいへない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。



 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変へはしたが、今もあひかはらずしぶとく生き永らへてゐる。

生き永へえてゐるどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまつた。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善といふおそるべきバチルスである。



 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終はるだらう、と考へてゐた私はずいぶん甘かつた。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。



 (引用ここまで)



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 偽善と詐術、奴隷根性。日本の劣化は止まらない。それに棹を差してきたのが、当の日本人である。バカがバカを支持すれば、当然バカな国になるのである。





文:適菜収

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