早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。

その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでいてほしい」赤裸々に綴る連載エッセイ「私をほどく」第31回。2023年は神野にとって「人生のサイクル」に当たる大きな変化の年だったという・・・





【人生のサイクルって何年?】



 今年について考えようとあれこれ出来事を振り返っているときに、ふと一、二年ぐらい前に「人生のサイクルって何年ぐらい?」と長い付き合いの友人から聞かれたことを思い出した。



 ここでいう人生のサイクルとは、進学や就職などのごく一般的な指標で区切られたものではなく、自分の人生における「ここで大きく変化した」だとか、「この期間はこういう人生を歩んでいた」と何かしらの意味付けができるサイクルのことを指している。



 私の人生の場合は4年だ。ぴったりではないものの、大体それぐらいの年数で大きな変化の波が押し寄せてきて、自分自身を取り巻く環境であったり、考え方であったりを一変させていく。私が観測している中で、最後に波が押し寄せてきたのは20歳のときで、ちょうど私が沢山の道がある中でAV女優という生き方を選択して駆け出して行った時期で、人生がこれまでとは違う方向へと動き出した瞬間であった。





 さて、冒頭の話に戻る。そんな会話を思い出しながらも、特に気にも留めずにどんな年であったか紙に書き出し続けていた。手に入れたもの、手放したもの、変化したもの、変化しないもの。それぞれ項目立てて整理していく。

一つ一つ短い言葉で書き出しているはずなのに、ペンを走らせるスピードは一向に落ちる気配もなく、はっと我に返ったときには余白が見つからないぐらいにびっしりと埋め尽くされていた。





 それを眺めた瞬間、私はとあることに気がついたのだ。



 「あ、今年だ。今年でちょうど4年。」だと。





 沢山の新しい縁が繋がったと同時に、これまでの私を形成してきたものや前回のサイクルの中で新たに生まれてしまったしがらみを手放した一年であった。そういった〈人生の新陳代謝みたいなもの〉はこれまでもあったが、今回はいつも以上に大きく手放し、大きく手にした感触がある。自分と対峙する時間が長くなったことで、自分にとって不必要なものが何であるかを自覚しやすくなったというのもあるだろうが、一番の要因として考えられるのは私の中で「別れ」の意味を捉え直したことだろう。





【私の中にいた大きな存在との別れ】



 今までは何かを手放す行為がひどく恐ろしいもののように思っていた。自分にとってあまり良くない状況であることを自覚しながらも、何かしらの偶然で私の前からぱっと消えてくれないかなんて願いつつ、ずるずると先延ばしにする癖がついていた。自分が招いた事態とはいえ、その時間が長くなるほどに心身ともにじりじりと削られていくのは当然のことで、大抵耐え忍ぶことができなくなった瞬間に突発的に片を付け、逃げるように去っていくというのがお決まりであった。



 しかしながら今年立て続けに発生した別れは、どれも私にとって長年積み重ねてきたものであったり、私という存在を構成している要素であったりと、宝物のように心の奥に大事にしてきたものだったからこそ、これまでのような「逃げる」という選択肢はそもそも存在しておらず、正面から向き合うことが前提条件であった。それなりのまとまった期間、苦しみみたいなものが尾を引いて、私の頭の中を占拠するかと予想していたけれど、それは大きく外れた。



 どんなときでも時間は平等に過ぎ去っていくし、どんな状況でも生活は続けていかなければならない。日常を静かにこなしていくうちに、私自身も身を置く環境も徐々に循環していく。もちろんふとした瞬間に痛みを感じた事実を思い出すことがあっても、別れがもたらした痛みそのものは過去のものとなり、そうしているうちに心底出会えてよかったと思える何かと縁が繋がっていくのを実感した。



 ちょうど一年。その循環を何度も感じるうちに、「別れ」というものを肯定的に受け止められている自分がいることに気がついた。もちろん痛みを感じないわけではないが、〈私が私らしく幸せでいるために必要な行為〉だと理解している分、決断と回復の速度は早まったように感じる。きっと私自身が抱え込むことができる総量は決まっていて、新しい何かと出会うためにはどうしても同じくらい何かを手放さなければならないのかもしれない。私はそこまで沢山のものを守れるほど強くはない。これが諦めだと言われればそうなのかもしれないが、私は今抱えられる分だけにしっかりと向き合い、大事な気持ちを注いでいきたいのだ。そのための循環であるならば致し方ない。





 今年はここ数年の中でも特に動きのあった年だった。それは神野藍としても、わたしとしてもそうである。

それらのうちのいくつかはこの連載がきっかけで発生し、書くという行為が私の中にいた大きな存在との別れをもたらした。



その話を次回綴ることで、今年を締めくくるつもりだ。





(第32回へつづく)





文:神野藍





※毎週金曜日、午前8時に配信予定 

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