何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。

そんな時代だからこそ、硬直してしまいがちなアタマを柔らかくしてみませんか? あなたの人生が変わるきっかけになってしまうかもしれない・・・「視点が変わる読書」。連載第7回は、辰巳芳子著『手しおにかけた私の料理 辰巳芳子がつたえる母の味』を紹介します。



「自己表現を志すなら、男も女も〝だし〟は自分でひけ。料理は人...の画像はこちら >>



 





「視点が変わる読書」第7回 料理は人生を映す



手しおにかけた私の料理 辰巳芳子がつたえる母の味』辰巳芳子【編】(婦人之友社)

 



 久しぶりに会った友人と銀座の焼鳥屋に行った。昭和23年の老舗だが、敷居も値段も高くない。高くないどころか安くて美味しいため、開店の17時には店の前に行列ができほどだ。予約は不可で、いつだったか小池百合子都知事が都庁の職員とおぼしき人を連れて来ていたが、他の客と同じように並んでいた。



 店を訪れたのは4年ぶり。コロナ以降初めてである。10分ほど並んで店内に入り、品書きを見ると、8本コース4,000円とある。随分上がったな。確か前に来た時は10本コースが3千円だったはずだが……。



 しかし、あのコロナ禍を乗り切るのは並大抵のことではなかっただろうし、物価も上がっている今、前と同じ値段というのはあり得ないだろう。

お客さんだって、前と同じくらい入っているわけではないのかもしれない。実際カウンターの客は外国人ばかり。以前のような会社帰りに仲間で飲んでいる人たちは少ない。恐らく外食をする人が減っているのだ。



 かくゆう私も、コロナ前は週の半分は外食だったが、今は週に一度も外食をしないこともめずらしくない。コロナの呪縛は解かれ、煩わしい規制はなくなったのだから、自由に外食ができるのに、それをする気にならない。逆にどうして昔はあんなに外食をしていたのだろうかと不思議な気さえする。



 外食が減った分、当然のことながら自炊が増えた。元々料理は嫌いではなく、こまめに作ってはいた。ただ独り身の期間が長く、子供もいないため、外食で肉や揚げ物など、カロリー過多の料理を食べ、酒を飲んでいる分、家では胃休めという感じだった。朝は果物だけ、昼はワカメうどん、夜は野菜のおひたしと卵焼きと魚の塩焼きなど。凝った料理を作る必要がないので、レパートリーも少なかった。



 それがほとんど毎日家で食事をしなければならなくなり、同じような料理ばかりでは飽きるし、味気ないと、テレビの料理番組や新聞、雑誌で紹介されるレシピを見ながら作り始めたら、面白くなった。



 ハンバーグなどデパートで成形された物を買って家で焼いていたが、タネを自分で作れば三分の一くらいの値段で結構おいしくできるし、冷凍すれば日持ちもする。缶詰を温めていただけのマッシュルームのスープも、マッシュルームとタマネギと牛乳にちょっと手間をかければ、缶詰よりはるかに美味しいものが出来上がった。イワシの開いたものを買ってきてオイルサーディンにしたり、トンカツ一枚揚げるのは難しいので、肉を小さく切って一口カツを作ったりなど、レパートリーは増えていった。



 そうした状況の中、料理そのものへの興味が深まり、読み返したのが、『手しおにかけた私の料理 辰巳芳子がつたえる母の味』であった。



 この本の元となる『手しおにかけた私の料理』は昭和35年に刊行されている。著者は辰巳浜子。日本の料理研究家の草分け的存在だが、本人は料理研究家と呼ばれることを嫌っていたそうだ。実際普通の主婦で、料理も独学。家で客にふるまっていた料理が評判になり、雑誌やテレビに登場するようになった。本に紹介される料理は自身が日々作っていた家庭料理であり、「明け暮れつくり、そして食べなければならぬ家庭料理は、栄養、経済、美味、衛生が絶対必要です。それは細心の注意と、たゆまぬ努力と、深い愛情の積み重ねを、日々の生活に忠実に行う以外にないものと思います」が、彼女のモットーだった。





 本の内容はたとえ出版から100年が経とうとも色褪せないものであるが、時代の状況も、それを扱う人々の状況も変わったとして、平成4年、浜子の娘である辰巳芳子が丁寧な解説を加えて復刊したのが『手しおにかけた私の料理 辰巳芳子がつたえる母の味』である。



 私がこの本を初めて手にしたのは、刊行後間もない頃だった。仕事で某有名ファッションデザイナーの広報担当Mさんと知り合い仲良くなって、彼女の家に遊びに行った時のことだ。ふるまわれた卵料理に驚嘆した。大皿にラグビーホールを平たくしたような大きな卵焼きがのっている。オムレツではなく、10個の卵を使った厚焼き卵だという。出汁のしみわたった卵焼きの美味しかったこと! どうやって作ったのか聞くと、件の本を見せてくれた。



 すぐに本を買って読み始めると、料理と同じくらい丁寧に料理に対する心がけが記されていた。



 例えば、「だし」。



 「私たちの先祖は、自分たちを囲む多くの食べものの中から、自然においおいと。現在だしと呼ばれるようになったものを選び出し、しかもこれを安定化し、保存性を高め、恒常的に使ってゆけるようにしていったのです。それは何百年という年月の中で、膨大なる試行錯誤によって、形成されていったに違いません」、「一日が十日、十日が百日、一年が十年、十年が一生。

化学だしで食べる人と、かりに味はそこそこでもしっかり自然のだしからつくったものを食べた人の生涯を比べてみて下さい。日本のだしは、何の難しいとも、手間らしい手間もかかりません。諸外国のスープと比べれば、即席に準じてひけるものです。ですから、時代の中で、自己表現を志す方は、男も女もだしぐらいは、ひける人になっていただきたい」と辰巳芳子さんは言う。



 私はこの箇所を読んで、思わず唸ってしまった。



「自己表現を志すなら、だしは自分でひけ」とは何と深いところをついてくるのだろう! 以来、私は昆布と鰹節でだしをひくようになり、今にいたっている。



 いちばんだしのひき方は、まず鍋に水と昆布を入れて火にかけ、沸騰する直前に昆布を取り出し、ほんの少し水を差してから鰹節を入れさっと煮たてて、漉す――だが、昆布や鰹節の質、水の量、火加減などにより、だしの味は全く違ってくる。



 この本と出会って30年以上が経ち、ようやく自分なりのだしのひき方が分かってきた気がする。だしをひくことそのものが自己表現であったのだ。



 



 忙しいのに、いちいちだしなんかひいてられるか! 今は、いいだしがパックになって売っているのだからそれを使えばいいじゃないかと思う人もいるかもしれない。いや、だしのパックを知っているだけでも上等だ。ある料理番組で、若い主婦が指導してくれる料理研究家に「だしって何ですか?」と聞いているのを見て、驚いたことがある。



 とにかく一度も自分でだしをとったことのない人は、昆布と鰹節でだしをとって、味噌汁を作ってみてください。大げさでなく、料理に対する意識が変わること間違いなしだ。



 この本を読み返して、改めて感じ入る言葉が多々あった。



 「煮炊きものこそは、人間の手より、火が仕上げてくれるものであることを心底、年齢と共にわかり、火加減を掌中におさめるようにして下さい」



 「料理においては、我を捨てて、素材と調理の法則に従うこと、これ以外にないと思います」



 「お料理をよくしたいと思う方々に、山椒の木一本、柚子の木一本をお育てになることをおすすめします。包丁を持つこと、煮ることばかりが料理でないと思います」



 そうだよなぁ。自分でだしをひいて作った吸い物に、自分が育てた柚子の皮を散らしたら、たいそう贅沢な一品になる。



 料理はその人の生活、さらにはその人の人生を映すものなのだと、つくづく思った。



 



 一緒に焼鳥を食べた友人は、Mさんの家に一緒に行った人だった。丁寧に焼かれた、つくね、レバー、ハツ、手羽先などを食べながら、Mさんの話をした。



 Mさんは日本のトップデザイナーの広報というきらびやかな仕事をしながらも、きどったところが全くなく、近所のおばちゃん的なノリのある面白い人だった。とはいえ、部屋はさすがだった。ごく普通の2DKのマンションだったが、彼女の審美眼で選ばれた古民具が置かれ、細部にまで美意識が行き届いていた。

そこにいるだけで、丁寧な暮らしぶりが感じられた。Mさんは40代で仕事を辞めて、郷里の盛岡に帰られ、その後テレビ関係の仕事についたという知らせがきた。しばらく年賀状のやりとりが続いたが、10年ほど前に音信が途絶えた。今頃どうしているのだろう。



 Mさんの家で私は『手しおにかけた私の料理』と出会い、自分でだしをひく生活を送るようになった。これからもだしをひき続けるだろう。生活の支柱を作ってくれた御礼の手紙を出してみようか。



 きっと今でもMさんは、あの時と同じように丁寧に暮らしているに違いない。庭で育てた柚子や山椒や木の芽を料理にあしらい、楽しんでいるのではないだろうか。



 



文:緒形圭子

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