「食堂生まれ、外食育ち」の編集者・新保信長さんが、外食にまつわるアレコレを綴っていく好評の連載エッセイ。ただし、いわゆるグルメエッセイとは違って「味には基本的に言及しない」というのがミソ。

外食ならではの出来事や人間模様について、実家の食堂の思い出も含めて語られるささやかなドラマの数々。いつかあの時の〝外食〟の時空間へーー。それでは【45品目】「大食いと早食い」をご賞味あれ!✴︎連載全50回がついに書籍化、絶賛発売中です!





【45品目】大食いと早食い

 



 新卒で入って10カ月で辞めた会社の近所に、K飯店という中華料理屋があった。一見普通の町中華だが、通りすがりにショーウインドウを見るとギョッとする。普通のラーメンやチャーハンなどのサンプルが並ぶ飾り棚の最下段に、枕かと見紛うような巨大餃子がドーンと鎮座しているのだ。



  それが同店名物「ジャンボ餃子」である。餃子100個分の材料で作ったビッグサイズで、お値段なんと9600円! ただし、1時間以内に一人で完食すれば無料+賞品という大食いチャレンジメニューなのだった。



  チャレンジメニューはほかに、普通サイズの餃子100個(9600円)、一升チャーハン(5840円)、ジャンボラーメン3杯(1890円)がある(値段は2023年時点)。値段的にもボリューム的にも、一番ハードルが低いのはジャンボラーメン3杯だろう。続いて一升チャーハン、餃子100個の順で、ジャンボ餃子は最難関と思われる。何しろ重量2.5㎏、皮の厚さが2~3㎝もあるというから、箸では食べられない。たぶんナイフで切るのだろうが、その作業だけで疲れそうだ。



  もちろん私はそんなジャンボメニューにチャレンジする気は毛頭なく、ときどきランチタイムに訪れてタンメンとか中華丼とか肉野菜いため定食とかを食べていただけである。が、ある日、ふと壁に貼られた完食者リストを見ていたら、一升チャーハン完食者の中に知っている名前があって、「おおっ!」と一人で盛り上がった。



  「法政大学・猪俣隆」



  そう、1986年秋のドラフトで我らが阪神タイガースに1位指名されたサウスポーだ。といっても古株の阪神ファン以外は「誰それ?」って感じだろうが、東京六大学野球で通算20勝7敗、防御率1.87、180奪三振という実績を引っ提げて入団してきた期待の星である。しかも私とは同い年であり、立場は違えど大卒新人として社会に出た1年目同士。その猪俣が学生時代にこの店で一升チャーハンを完食したのかと思うと感慨深かった……というのはウソで、当時の感想は「猪俣、食いすぎ!」というものだった。



  まあ、スポーツ選手が大食いなのは当然としても、世の中には見かけによらず大食いな人がいる。いわゆるフードファイター的な人だって、ジャイアント白田は体もデカかったが、小林尊やギャル曽根なんかは、見た目は普通というかシュッとしたイケメンとギャルで、とても大食いには見えない。そういう人がすごい量をすごい勢いで食べるからこそ驚きがあり、エンタメとして成立したのだろう。



 



 かつて某編集部の同じ班にいた女性編集者も、見かけによらず大食いだった。どちらかといえば小柄な部類で、大人しい感じ。班のメンバーで食事や飲みに行っても、あんまりしゃべらない。

しかし、後半になればなるほど存在感を増すのは、その食いっぷりゆえだ。とにかく黙々とひたすら食っている。大皿に残った料理を「これ食べちゃっていいですか?」と片っ端から食べ尽くす。こういう人が一人いると、注文時にあれもこれもと欲張って頼んでも残さずに済むという、大変ありがたい存在だった。



 それこそ「大食い番組出られるんじゃないの?」と周りは冗談半分で言っていたが、彼女の場合、量は食べるがスピードはないので、テレビ向きではない。その代わり、いつまででも無限に食べている。彼女の口から「もうお腹いっぱいです」という言葉を聞いたことがない。大食いであることは間違いないが、早食いではないのである。



 しかし、世間で「大食い」と言うときには「早食い」要素も含んでいることが多い。大食い番組は、たいてい制限時間内にどれだけ食べられるかを競うものだし、K飯店のチャレンジメニューも1時間という制限時間がある。それがなければ彼女なら餃子100個ぐらい完食できそうな気がする。



 一方、私はといえば、大食いではまったくないが比較的早食いではある。

今は胃腸のことを考えてよく噛んで食べるよう心掛けているが、若い頃は昼メシなんて飲み込む勢いで5分か10分で終わらせるのが常だった。嚥下力も今と違って優れていたので、味噌汁やスープなどなくても平気。何なら水やお茶も必要ないくらいだった。というか、私に限らず30代ぐらいまでの健康な男子はだいたいそんなもんだろう。



 そんな30代も終わりの頃。当時担当していたゲッツ板谷さんの『出禁上等!』という連載の取材で「わんこ豆腐早食い大会」に出場したことがある。伊勢原市の名物イベント「大山とうふまつり」の一環で、90秒間に豆腐を何杯食べられるかを競う。1杯分の豆腐は4分の1丁で、食べ終わると同時に注ぎ足されるわんこそば方式だ。 



 もちろん主役は板谷さんだが、ネタとして担当編集もやらないわけにはいかない。豆腐なんてほぼ液体みたいなもんだし、ツルツル飲み込めばナンボでもいけんじゃね? と思っていたら大間違い。豆腐といえども飲み込むのはそれなりに大変で、3杯目ぐらいまでは快調だったものの、意外と腹にも溜まってくる。結局6杯で制限時間が来てしまった。



 そして、私の次の組に登場した板谷さんは見るからに食いしん坊なデブキャラなため、取材のカメラが「こいつはやりそう!」と寄ってくる。が、健闘むなしく7杯でフィニッシュ。1杯が4分の1丁だから、7杯なら2丁弱。時間があればもっと食えるかもしれないが、早食いでは豆腐もなかなか手強いのだ。



 



 優勝は25杯を食べた男性だった。15杯ぐらいまでいく人はそこそこいたものの、25杯はレベルが違う。私は知らなかったが、板谷さんによるとフードファイターの誰かだったらしい。プロが地域のイベントに出てくるなよとも思ったが、当時は早食いバトルを真似た中学生が窒息死した事件の影響で大食い番組が自粛されていた時期で、賞金稼ぎのために参加していたのかもしれない。



 新卒で入った会社を辞めてからもう35年以上になる。幸い今も編集・ライターとして仕事ができているが、フードファイターはどうなのだろう。体力勝負という点では、もちろんプロ野球も厳しい。学生時代に一升チャーハンを完食した猪俣隆のプロ通算成績は、実働9年で43勝63敗3セーブ、防御率3.68。

微妙な数字ではあるが、暗黒時代の阪神タイガースにあって、93年には11勝しているのだから立派なものだ。引退後はなぜかアメリカで寿司職人となり、2017年の時点ではワシントン近郊の寿司屋で働いていたらしい。



 ちなみに、K飯店のほうは今も健在。ジャンボ餃子は、チャレンジじゃなくても予約して料金を払えば制限時間なしで何人がかりで食べてもいいらしい。機会があれば、週刊誌時代の同じ班だった連中を誘って行ってみたい。食べ切れなくても無限に食べ続ける彼女がいれば大丈夫……なはずである。



 



文:新保信長



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