早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。

その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでほしい」赤裸々に綴る連載エッセイ「私をほどく」第35回。「怒りを怒りとして」「悲しみを悲しみとして」自分の中に生まれた感情を適切に処理できていなかった・・・神野がいま気づいたことだという。





【無神経な発言を浴びせられるのは日常茶飯事だった】



「神野さんってちゃんと人間らしくて安心しました。」



「書いているものを読むと人間みがあって、親しみやすさが湧きました。」



 彼らからはこれまで私は何に見えていたのだろうか。少なくとも〈現実世界に存在する一人の人間〉には見えていないのは確かである。きっと私が考えているほどの深い意味は無いのだろうが、どうしても心の柔らかい部分に引っかかってしまうのである。



 一人の人間として扱われていないと感じることは数えきれないほどあった。現実でも、ネットでも、まるで連れて歩けるアクセサリーや誰かに自慢するためのコレクションのように扱われたり、無配慮で無遠慮な質問や発言をぶつけられたりするのは日常のことであった。性別や年齢関係なくそんな人間は沢山いて、これまでに浴びせられた言葉をかき集めたら醜悪な本ができてしまうだろう。



 そんな中で、愚かにも小さな呪いを自分自身にかけていた。



 誰かから軽んじられるのも、傷つけられるのも心のどこかで仕方がないことだと思っていた。

何の落ち度もないような、真っ白で眩しい道を歩んできていないのは自覚していたし、何かを反論するほどの言葉も持ち合わせていなかった。どんなにまっすぐな言葉を投げかけたところで、最終的に「そんな職業についていたのが悪いんだろ」なんて言われてしまえば、言葉を尽くした意味がないほどに一瞬にして終結してしまう。そんな無駄なことをするぐらいなら、何か起こった際に「私さえ気にしなければ、そもそも何の問題も起きていない」と言い聞かせる方が、生まれてくるどろどろとした感情を薄めることができる。こうして時間をかけて、自らに呪いを刷り込んでいった。



「あのさ、いつまで自分のことを軽く見てくる人間に対して気を遣ったり、何事もなかったように振る舞ったりするの? こっちがそんな優しくする必要ある?」



 つい先日、思わずため息をついてしまいたくなるような、明らかにこちらとあちらの境界線を踏み越えたメッセージが続いた。私は相変わらず、届いたものをさっと目を通し、見ず知らずの人のものは特に何も行動を起こさず、仕事の関係で顔を合わせたぐらいの人のものは波風を立てたくないのもあって、適当ながらもそれなりに愛想よく返していた。そんなことをやっている私を見て、パートナーが先ほどの疑問を呈してきたのである。核心をついた発言と、私の瞳をしっかりと捉えて離さない眼差しを前にして、変に答えを誤魔化して逃げるような真似はできなかった。





セックスするだけの人形?】



 最後に自分の中に生まれた感情を、怒りを怒りとして、悲しみを悲しみとして適切に処理をしたのはいつだっただろうか。怒りを覚えたとしても、そのエネルギーを相手に返すような行為はしてこなかった。静観することが一番の解決だと思っていたが、現実は相手を図に乗らせるだけで何の解決にも繋がらない。そして何よりも、私が私の人生を卑下して、何かに対して諦めを持っていることが一番の問題で、こんなちっぽけなことに縛られていた自分が恥ずかしくなってしまった。

そんな過去の自分にも、未来の自分にも示しのつかない馬鹿なことは全て辞めてしまおう、そう誓った。



 思いのほか行動に移してみるとあっけなく、抱えてきたものが軽くなった。こんなことなら早くやってしまえばよかったが、これまでの人生と違う波に乗り始めた今のタイミングだからこそ、こんなに簡単にできたのかもしれない。



 私は〈渡辺まお〉でもあったし、現在〈神野藍〉である。それと同時に〈私〉であることも紛れもない事実である。そして全ての存在が意思や感情が存在するれっきとした人間であって、セックスするだけの人形でもなければ、誰かが作り上げたこうあるべきという理想の姿を演じる人形でもないのだ。



 「私の好きなようにさせて」



 最後で一回きりの人生を私と、私が抱えられるだけの大事な存在のため、欲のおもむくままに歩んでいきたい、もう何にもーそれは他人や、時には自分にさえも屈することなく。





(第36回へつづく)





文:神野藍





※毎週金曜日、午前8時に配信予定 

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