早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。

その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでほしい」 赤裸々に綴る連載エッセイ「私をほどく」第43回。地元を飛び出し、東京での生活は丸6年。目まぐるしく刺激に満ちたこの街から、いま私は離れようとしている・・・







【常に刺激を与えてくれる街】



 3月の下旬だというのに、その日の東京は雪がちらついていた。数時間前までいた仙台でさえ雪なんて降っていなかったのにと、思わずため息が出てしまった。

ぎっしりと荷物が詰め込まれたスーツケースを引きずって、目的地へと急ぐ。事前に実家から荷物を送っていたのもあって、荷物はこれ一つだけだ。18年間過ごした地元を離れて一人で暮らすことへの不安や寂しさよりも、新しい世界への期待感の方がはるかに上回っていた。



 今年で東京での生活も7年目を迎える。もうそんなに時間が経ったのかと驚いてしまうほどに、本当にここでの日々は瞬きするぐらいに一瞬であった。東京という街は嫌いではなかったし、むしろ好き、というよりも順応して生きていた。

昼夜関係なく人が溢れていて騒々しい割に、皆が自分以外の他人に冷酷なまでに無関心だ。それは私も同じで、これまでの隣人の顔も名前も知らずにここまで生きてきた。そもそも隣の人間が何をしてようと、私の安定した生活が脅かされない限りは関係がないと思っていたし、きっとそれは壁を一枚隔てた向こう側でも同じことを考えていただろう。



 ここでの暮らしは嫌いじゃない。声をかければすぐに会える友人が何人もいて、外に出れば無限に新しいコンテンツが生み出されている。電車に乗って一駅隣に行くだけでそこに広がる世界はガラッと変わり、私に刺激を与えてくれる。

しかしながら、ここ数年の間、ふっと浮かんでは消えていく感情があった。





「ここじゃない。ここじゃないどこかに私は行きたい」





 今いる場所や住んでいる家を離れて、様々な土地を訪れた。中でも京都と沖縄は何度も足を運んだ。その度に「ここに住んだら、この欲望は満たされるのか」と何度も考えたが、いまいちそこで生活をしている自分というのはぼんやりとしか描くことができず、気分転換をする旅行先の一つ以上になることはなかった。



 そんな中途半端な感情をどうにか消し去るために、この丸6年で4回の引っ越しをした。

全て住んだ場所はばらばらで、中野区、新宿区、新宿区、港区と巡って、今の東京の南側エリアに住み始めてもうすぐ一年になる。引っ越すと心の中が入れ替えられたような気がして、毎回気分が晴れるのだ。



 住む街を変えると、己の生活スタイルもがらっと変化する。例えば、繁華街に近いエリアに住んでいたときは明け方まで飲み明かすことも多かったが、そこから離れた今は日付が変わる前に夢の中にいることがほとんどである。そんな自分自身の変化を面白がりながらも、半年が過ぎたぐらいで、だんだんと家で過ごすのが嫌になり、「どこかへ行きたい」と願い始めるのだった。どうにかその気持ちを抑えようとした結果、東京という小さな枠の中で何度も街を住み替えることになった。

もちろん思い切って他の場所への移住も何度か考えてみたが、なかなか「生活をする」といった想像ができずに毎回この広いようで小さな枠の中での移動に落ち着いた。





【何年も手入れされていない空き家へ】



 年が変わった頃、とある県の海沿いの道を車で走っていた。窓から眺める海は夕日をうけてきらきらと光り、空の色はどんなにこれまで獲得してきた言葉を尽くしても表現できないくらいに美しいものであった。その景色を眺めていたら、いつの間にか頭の中にはっきりとした〈ここに住んでいる情景〉が流れ込み、口を開いて出た言葉は「私、この街に住もうと思う」であった。



 ずっと暮らしていた東京を離れ、海がすぐ近くにある穏やかな街へ移住する。あんなに東京で家を探すときは築浅で駅から近いところじゃないと嫌だと駄々をこねていた私が選んだ家は、何年も手入れされていない空き家で、しかも車を走らせないと買い物にも行けず、地域の人間としっかりとした関係を持ちながら生きていかないといけないような土地に建っている。

7年前、そんな環境が嫌で嫌でたまらなくなって地元を飛び出した私が聞いたら何ていうだろうか。でも、なぜか今の私にはそれがとんでもなく魅力に思えたのだ。



 この街で失ったと思っていたルーツを一つ一つ思い出しながら、ありのままの私でいることができる人の隣で時を重ねていきたいと、あの海を見て私の心が叫んだのだ。



 どうやら、私の人生の潮目が大きく変化しているようだ。





(第44回へつづく)





文:神野藍





※毎週金曜日、午前8時に配信予定