昨年末に公開された映画『市子』が静かに、楚々と人気を続けている。その証として、上映を続ける映画館もある。
主役の川辺市子を演じるのは、杉咲花。市子と三年間、共に暮らしていた長谷川義則役には若葉竜也。現在放送中のドラマ『アンメット』(フジテレビ、関西テレビ系)で共演中の二人が、先に共演した作品でもある。あらかじめ伝えておくが、役柄は映画とドラマでは全く違う。
この作品に込められた言説はなんだろう。作品の評判を聞いて、自宅で鑑賞したけれど物語が進むにつれて思うところが勃発。結局2回も観た私の感想をどうぞ。
◾️市子が抗うことはできない過去
“長谷川義則(若葉)は三年間、共に暮らした恋人の川辺市子(杉咲)にプロポーズをした直後、市子は義則の前から姿を消す。家出というレベルではなく、忽然と消えた。警察に捜索願いを出して、刑事に事情を話すと、義則が全く知らなかった市子の過去が次々に浮上してくる。どれだけ彼女を探しても、存在の決定打に辿り着くことはなく、ついに知ったのは彼女が”市子“ではないこと。結婚しようと思っていた相手の素性に、義則はひたすら苦悩する”
現在放送中の春ドラマでは、記憶喪失を主軸にした連続ドラマが5作品も放送されて、ネットニュースの話題をさらった。同レベルではないけれど、ここ数年、映画では戸籍をめぐる作品がいくつか上映されている。『市子』も同じく、物語の原点になっているのは市子の戸籍だ。
上映時間の126分中、自宅で観ているにも関わらず、息つく時間がなかったように思う。自分の動作で思い出すとするなら、鑑賞中は目をかっ開いていたことくらいだろうか。それほどに一人のおばさん(私)が吸い込まれたのは、やはり杉咲花の鬼気迫る演技。市子が高校生のシーンから彼女は登場する。
「今日も、暑いなあ……」
生まれてきてから、一度も自分の居場所を持ったことがない市子。
◾️「花は水をあげないと、枯れるから好き」
目を見張ったのはパンニング(カメラの位置を変えないまま、左右の場面を映すこと)の激しさだ。セリフの応酬には、市子の魂の叫びが篭っている。私が観てきた邦画作品では一番長く、そして激しかったように思う。このシーンへ対するかのように、杉咲花による約6分間の、全くセリフがないシーンもある。一つの作品に表れた、激情と沈黙の応酬。注目してほしいシーンだ。そして映画には他にも市子の寂しさと狂気が、濁流のように流れてくる。
「ただ普通に生きたいだけ」
彼女が放った一言には、私たちが知る由もない願いがある。どんなに大人になっても見つかることのない自分の在処と、常に隣り合わせの壮絶と地獄。
「花は水をあげないと、枯れるから好き」
映画のセリフとして聞いているだけなら流してしまうけれど、この一言には彼女がここまで経験してきた、凄惨な事実が込められている気がした。
◾️市子の最期はどんなものだろうか
鑑賞中、市子が逃げ走る姿を見ていたら、一人の人物を思い出した。殺人、逃亡犯だった福田和子(2005年没)だ。1982年に殺人事件を起こして、1997年に逮捕される。約15年間、逃げ回っている最中、いつも彼女には味方になってくれるパートナーがいた。それだけ魅力があったのだろう。特に石川県の和菓子屋の主人に見初められて、若女将のように働いていたエピソードは色濃い。主人からプロポーズも受けていたという。ただ周囲の警察への通報で、福田はまた逃亡する。着の身着の儘、自転車で逃げたというのは有名な話だ。
市子と環境やスタートは違うけれど、この狭い日本国内を逃げ回っていたという事実が、私に二人の女性を彷彿させた。福田は逮捕から約五年後、まるで逃亡で知力体力を使い切ったかのように病死にて、獄中で人生の幕を下ろした。
「きっと明日はいい天気」
劇中で市子は童謡『虹』を口ずさんでいた。このワンフレーズが物悲しくもあり、彼女の最後を示しているようで、少し震えてしまった。そして映画『市子』が公開から全く色褪せることなく、むしろ色が深まりながら皆に愛されていく理由がわかった。それは観ている私たちも義則や北秀和(演:森永悠希 市子の高校時代の同級生)のように、市子の虜なのだ。
※映画『市子』はAmazonプライム・ビデオにて配信中。その他、上映映画館もあり。詳しくは公式サイトにて確認を
文:小林久乃(コラムニスト、編集者)