本書は浅川氏による天下の奇書『カイロ大学 ‟闘争と平和”の混沌』(ベスト新書、2017)の続編とも呼ぶべき本です。しかし『カイロ大学 ‟闘争と平和”の混沌』が抱腹絶倒の大学論だったのに対し、『エジプトの国家エージェント 小池百合子』は小池百合子を断罪する告発本です。
浅川氏はすっかり変わってしまったのでしょうか。鍵は、『カイロ大学』にあります。浅川氏は言います。
「天性の俳優たちがそこら中にいるカイロが面白くないはずはありません。カイロという街はリアルな演劇空間です。その演劇の行方を左右するのがバクシーシ交渉なのです」(『カイロ大学』54頁)
バクシーシは「心付け」「チップ」を意味しますが、浅川氏はカイロ生活でバクシーシを賞金にすることで盛り上がる即興劇を堪能しました。「断定と誇張」というスタイルで、細かい事実関係より、脈絡がなくとも大言壮語で強調し、自分の言葉に酔い、聴衆や読者の感情を揺さぶることで、聴衆が信じた誇張が真実になります。交渉のポイントは壮大で本題と無関係な脈絡のないメッセージを堂々と宣言することです。(『カイロ大学』57頁参照)
つまり『エジプトの国家エージェント 小池百合子』は、学歴詐称問題で「小池百合子叩き」でメディアが盛り上がっているところで、断定と誇張、脈絡のない大法螺を、浅井氏自身が自分の言葉に酔い、聴衆や読者の感情を揺さぶるような語り口で熱弁を振るうことで、日本国民をエジプト流の即興劇に巻き込み、小池百合子本のベストセラーというバクシーシの「おまけ」も手にしようとやってみせた、ある意味「劇中劇』とも言えるようなパフォーマンスだったというわけです。
一言でいえば、読者は浅川氏の浅川劇場の壮大な悪ふざけに乗せられた、ということです。付録の真面目な「正義派」のジャーナリストの郷原氏との対談「カイロ大学〝超法規的〟卒業の闇」も、郷原氏がカイロや中東の実情を知らないのを良いことに、悲憤慷慨する語り口で断定と誇張をこれでもか、これでもか、と繰り返し、エジプトを認知戦に長けた狡猾な諜報大国、小池百合子をそのエジプトが日本支配の為に送り込んだエージェントの世紀の大悪人、という読者が信じ込みたい、義憤に駆られてゾクゾクするような興奮しやすい陰謀論のストーリーに落とし込むために狂言回しの役を演じさせられているのは気の毒な話です。
とはいえ、そう言われても、エジプトの現実を知らない、というか想像することも出来ない読者の皆さんは、半信半疑かもしれません。順を追って説明していきましょう。
先ずは『エジプトの国家エージェント 小池百合子』の話から。
『エジプトの国家エージェント 小池百合子』によると、小池百合子は、情報大臣や副首相を務めたエジプトの政治家アブドゥルカーディル・ハーテム博士の養女になったが(36頁)、このハーテムとは「プロパガンダの父」でありイスラエル軍の不意を突いた奇襲攻撃を仕掛け情報戦で勝利した第4次中東戦争における「戦略的欺瞞計画」を立案したほどの人物、とあります(41頁)。(注1)
(注1) ハーテムとは、私自身、留学した直後の1986年に、エジプトを訪れた斎藤積平日本イスラーム団体協議会会長の紹介で小池百合子氏の父勇次郎とハーテムに紹介されたことがある。当時のハーテムは既に完全に過去の人であり、おざなりに挨拶を交わしただけで、特に便宜を図ってもらうこともなく、会ったのはその1回だけでした。ハーテムの事務所を去った後、斎藤氏と勇次郎氏が、最近の日本の政治家は皆ダメだ、中曽根ももはや国士としての志を失っている、といった放談に終始していたことだけが印象に残っています。斎藤氏と小池百合子、勇次郎父娘の関係については、山田敏弘「古家百合子の知られざるイスラーム人脈を読み解く」『宗教問題』19号(2017年夏)69-74頁、本剛四郎「小池百合子と中東をつないだ日本人ムスリム、斎藤積平小伝」『宗教問題』31号(2020年夏)30-35頁参照。
そして都知事選前の2020年6月9日、駐日エジプト大使館のウェブサイトに掲載されたカイロ大学学長による「小池の卒業証明」と「カイロ大学の卒業証書の信憑性に疑義を呈するジャーナリストへの警告」(18頁)が、浅川の手にかかると、我が国の首都の知事を決める選挙活動で再選を目指す現職知事小池が外国政府と通謀、共謀して外国政府の権力行使・介入を手引きしたので「反逆罪」と呼んでも大げさではないという話になっているわけです。
しかし、ハーテムが小池を養女にした、というのも、エジプト人ならよくいう社交辞令で「娘」と言ったというだけの話です。日本でも「おにいさん」「おねえさん」「おじさん」「おばさん」という単語は、親族名称としての兄弟と姉妹、父方と母方の兄弟と姉妹を指す場合と、年長の男性、女性一般を指す場合がありますが、アラブでも、親族名称の多くについて直喩、隠喩で同じような言い回しがあります。日本語だと「娘」は親族名称としても若い女性にも使われますが、息子は若い男にはあまり使われませんね。
なによりも小池がハーテムを「スピリチュアル・ファーザー」と呼んでいることからも(36頁)、「娘」といっても養女ではなく、先生に対する生徒のような関係であったことは明らかです。『エジプトの国家エージェント 小池百合子』は万事がこの調子で、「天性の俳優たち」であるエジプト人たちの暑苦しい濃密なコミュニケーション、芝居じみた大袈裟な言葉遣い、社交儀礼、外交辞令が、おどろおどろしい陰謀論に仕立て直されているのです。
同じことが『カイロ大学』では全く別の筆致でコメディー仕立てで面白おかしく語られています。私もチラッと登場するので、抜き出してみましょう。
カイロ大学の学風はまさに「闘争」と「混乱」です。
−中略−
そんな混乱を経験済みのカイロ大学出身者の共通点は、乱世に強いことです。だからこそ、世界史を動かす、特異な人物を生み出してきたのです。
-中略−
乱世に強いというより、世を混乱に陥れた人物をたくさん輩出しています(6頁)。
-中略−
小池氏卒業の後、日本人で有名な出身者といえば、イスラム法学者でカリフ制復興論者の元同志社大学教授・中田考氏(1992年カイロ大学哲学博士号取得)もいます。現在、その語学力を生かし、SSY(「世界征服に役立つ」の略称)外国語教室でアラビア語、ヘブライ語、トルコ語の教鞭をとっています。
カイロ大学は世界に混乱をもたらす人物と平和を求める出身者が混在しているのが特徴です。どちらの側につくにしても、両者の間では死ぬか生きるかの思想闘争が繰り返されています。
-中略− カイロ大学は「平和学」ならぬ「混乱学」を学ぶ最高のフィールドなのです。
世の中は東大やハーバード大などのエリート大学本であふれています。しかし、混沌とした現代社会では、理路整然を至高の価値とするエリート主義はなんの役にも立ちません。
カイロ大出身者はそれぞれの分野でトップを目指し、世界を変えようと闘争します。その過程で巻き起こる混乱(一般人からみれば)など、一切気になりません。その証拠に都政や国政をいくら混乱させても、平然としているのが小池氏です。カイロ大仕込みの混乱を自ら仕込んでいるのですから、何ともないわけです(7-8頁)。
-中略−
かつて小池氏も「ケイオスティック(混沌に満ちた)・カイロ」という小論を書いています。カイロといえば混沌なのです。ルールなどありません。すべてはカイロ流交渉術で物事がきまる世界です。
1章では実際に小池氏や筆者が留学生活で身につけた、混沌としたカイロ流交渉術を開陳します。
−中略−
6章は、「カイロ大学留学のススメ」です。カオスのような現代世界で生き抜くには、カイロ大学の混沌の中で学ぶのがいちばんの近道です。しかも、日本人には入学試験は課されません。交渉術によって、誰でも入学が可能です。入学できた時点で、カイロ流交渉術をマスターできている証です。その経験とスキル習得だけでも、日本の大学に入るより、たくましくなれるはずです。
−中略−
本書によって世界最強の大学の存在が世に知れ渡り、カイロ大に留学する後輩が続々と生まれ、混沌とした世界史をリードする人物が誕生する契機になれば幸いです(10頁)。
「カイロといえば混沌なのです。ルールなどありません。すべてはカイロ流交渉術で物事がきまる世界です」。この言葉が、同書が延々と論証する小池百合子の入学、卒業詐称問題がすべて砂上の楼閣、いや蜃気楼であることを示す「隠しフューチャー(Easter Egg)」なのです。
浅川氏が「日本人には入学試験は課されません。交渉術によって、誰でも入学が可能です。入学できた時点で、カイロ流交渉術をマスターできている証です」と言う通り、小池氏の入学詐称問題も、どんな手を使おうと、入学できた時点で、その事実自体が「カイロ流交渉術をマスターできている証」であり、それ以上に詮索するのは無意味です。卒業も同じで、卒業している、とカイロ大に言わせることができれば、それが卒業なのです。(注2)
但し、カイロではルールがあっても、交渉次第でなんとでもなるのですが、逆にルールがあったからといって、ルール通りに話が進まないこともいくらでもあります。発行されるべき書類が予定通りに出ないことなど日常茶飯事です。私自身、卒業証明書はもらいましたが、学位記は何度事務室に取りに行っても「ボクラ」(注3)と言われて追い返され、結局30年以上経ちますが、いまだに手にしていません。
『エジプトの国家エージェント 小池百合子』で挙げられている、日付や名称の矛盾は、すべてこのエジプト人、そしてすっかりエジプト人化していた当時の小池さんの杜撰さ、勘違いなどの所産、「エジプトならそういうこと、よくあるよね」で説明がつく話です。
(注2) 入学手続きについて、浅川氏は「カイロ大学に入学する正規のルートは存在しません、ではどうやって入るのか。一番シンプルな方法は『入れてくれ』と直談判することです。冗談ではありません」と述べた上で、「著者や小池百合子氏はこの方法でカイロ大学へ入学しました」と明言しています。詳細については『カイロ大学』44‐49頁参照。
実は私自身、カイロ大学の入学の手続きの杜撰さは身をもって体験しました。実は写真の通り、私の博士号の学位はHassan Ko Nakataの名前で授与されています。しかしHassan Ko Nakataなどという人間は法的には実在しないのです。実際、私がカイロ大学に提出した書類の一つである日本の外務省の認証班の公印が押された東大文学部の成績証明書の名前はKoh Nakataです。KohとKoが違っているのは問題ではありません。Hassanです。当時、私はカイロでムスリムとして生活していましたので、先生や学生仲間たちからも「ハサン」と呼ばれていたので、うっかりいつものようにHassan Ko Nakataで入学申請したものです。ところが、エジプト人の命名システムでは「某・某の父・某の祖父」です。つまり、この人物は「中田考の息子のハサン」であり、「中田考」の息子であり、「中田考」とは別人、そして私にはハサンという名前の子供はいないので、法的にはどこにも存在しない人物ということになります。それが大学側は、入学申請書類どうしを照合して確認もせずに私の自己申告の自称の通りに、法的に実在しない人間の入学を認めてしまったのです。
しかしそれが博士号授与の時に、この「ハサン中田考」というのは誰だ、お前のパスポートの名前(Koh Nakata)と違うじゃないか、と問題になり、苦労することになったのですが、それは後日談になります。
(注3) 「ボクラ」とは意味論的には「明日」ですが、語用論的には「今日は絶対にやらない。顔を洗って出直して来い!」という意味になります。
浅川氏は、カイロ大の学風を「闘争と混乱」、乱世に強いことがカイロ大学出身者の共通点である、と喝破しています。その上で、混沌とした現代社会では、理路整然を至高の価値とするエリート主義はなんの役にも立たず、カイロ大学の混沌の中で学ぶのが一番の近道である、と浅川氏は言います。そしてその格好の例として、カイロ大での闘争の中で「混乱」を自らの内に仕込んでいるため都政や国政をいくら混乱させても平然としていられる小池氏を挙げているのです。
『カイロ大学』(ベスト新書)が出版された2017年、1月にバラク・オバマに替わってドナルド・トランプがアメリカの大統領に就任しました。実は浅川氏は、2016年の大統領選挙で世界の大方の予想を裏切ってトランプが勝利することを予言していた世界でも数少ないジャーナリストの一人でした。(注4)
浅川氏は『カイロ大学』執筆時点で、トランプ大統領が引き起こす世界の闘争、混乱、混沌を予想し、その動乱の時代に求められるのが、動乱をものともせず、むしろ動乱の中でこそ生き生きと輝き力を発揮する自分と同じカイロ大学出身の先輩の小池百合子のような〝梟雄〟であることを悟っていたのでしょう。
そして2021年8月15日のアフガニスタンからの米軍の撤退とタリバンの復権を嚆矢として、2022年2月24日のロシアのウクライナ侵攻、2023年10月7日のガザ戦争勃発、2024年6月の欧州議会選挙での極右の伸長、そして11月に行われるアメリカ大統領選挙「もしトラ」をめぐる未曽有の大混乱と、坂道を転げ落ちるように世界は闘争と混乱、混沌の渦に巻き込まれつつあります。
そうであれば、小池百合子をアラブ諜報世界の黒幕の子飼いのエージェントで、エジプトと内通し、東京で手にした巨大な利権を資金源に、アラブの大国エジプトが世界に仕掛ける認知戦に日本を巻き込んで参戦する、という読者を思わずゾクゾクする陰謀論に引き込むおどろおどろしいシナリオも、世界が欧米(+日本)対グローバルサウスに分断され、いつ第三次世界大戦に転化してもおかしくない狐とタヌキのバカし合いの敵味方が入り混じった認知戦、闘争、混乱、混沌の時代を迎えつつあるとの現実に目覚めさせるための道具立てであることになります。
そしてその上で、悪辣な中国、ロシア、朝鮮、インド、欧米の野望が複雑に交差する闘争、混乱、混沌の時代に、これらの国々と対等に渡り合って日本人を守ってくれるのは、汚職と不正に塗れた政治家同士の蟲毒のような醜怪な権力闘争をなりふり構わず勝ち抜いてきた「世界最強のカイロ大学の乱世に強い卒業生である」小池百合子しかないのでは、と読者に思い込ませることができれば、浅川劇場は大成功ということになる。私にはそう思えてなりません。
(注4)浅川芳裕『ドナルド・トランプ 黒の説得術』(東京堂出版:2016年10月26日)、及び以下のその書評参照。
トランプが大統領候補になる前、著者はトランプの演説や討論会をくまなく見ていった結果、「トランプは『話術』のとんでもない達人であり、『説得術』のとてつもない天才である。(略)彼が駆使する技術があまりも自然で、巧み過ぎ、誰もその凄さに気づけないぐらいのレベルに達しているのだ」と分かったという。大方の予想に反して共和党予備選を勝ち上がる。しかもダントツで。
トランプは共和党の歴史上、最も人気を獲得した大統領である。トランプの凄さは、演説の達人・オバマの話術と比較すれば分かる。オバマは説得力で感動させ、聞き手に影響を与える。トランプの話はバカげていて、説得力があるとは思えない。感動できない。にもかかわらず、無意識のうちに聞き手の心に忍び込んでいき、気がついたときにはトランプの虜になってしまう、らしい。(柴田忠男「【書評】米国民が納得も感動もできぬトランプの演説に熱狂する訳」2020年05月26日付『MAG2NEWS』)
文:中田考