週刊文春の報道に端を発した性加害疑惑によって、突如として表舞台から姿を消した「松ちゃん」こと松本人志。見逃してはならないのは、テレビの腐敗だ。
■ロンドンブーツ1号2号の田村淳の指摘
報道対策アドバイザーという仕事をしている関係で、昨年末から続く松本人志氏の性加害疑惑報道について、「なぜマスコミは事実もよくわからない疑惑の段階なのに松本さんが悪いと断定するような報道をするのですか?」というような質問をよく頂戴する。
実はこれは日本のマスメディアが何十年も克服できない「メディアスクラム」(集団的過熱報道)という問題が関係している。
ご存知のようにまず「週刊文春」が「松本さんはクロ」ということを断定的に報じた。マスメディアが機能している国ならば、この報道を各社で検証をする。話に怪しい部分はないのか、一方的な情報に基づいていないかなどをジャーナリストたちがチェックするのだ。しかし、日本のマスメディアはそれを一切やることなく「文春によりますと」と文春記事をコピペしたような報道しかしない。結果、世の中には「松本さんはクロ」という情報があふれるというメディアスクラムが発生、文春が断定した「松本さんはクロ」が既成事実化してしまうというわけだ。
日本の報道被害は、ほとんどこのパターンでつくられてきた。
■なぜマスメディアは「文春コピペ報道」に流れるのか?
さて、そこで気になるのは、なぜマスメディアは「文春コピペ報道」に流れるのかということだが、少し前に、それを引き起こしている組織的構造の欠陥が非常によくわかる出来事があった。
3月24日に放映されたフジテレビ系「ワイドナショー」だ。この中で、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが、マスメディアの「性加害報道」が、公平性に欠けるのではないかと問題提起をした。松本さんの飲み会に参加をしたセクシー女優の霜月るなさんや、飲み会のセッティングをしたことがあるお笑い芸人らの擁護を取り上げることなく、「文春報道」だけを繰り返し紹介しているのは、さすがにおかしいのではないかというのだ。
至極、真っ当な指摘であり、ネットやSNSでも多くの人々が同様の問題を指摘していたが、これに対して「テレビ」のスタンスを代弁する局アナやフリーアナウンサーらからは、耳を疑うような「反論」が飛び出した。
「情報を選んでいるというよりかは、たとえば、報道番組で、国際ニュースを扱ったりするときも、『ブルームバーグ通信によりますと』とか『ロイター通信によりますと』とよく出てくる。自分たちが取材に行っているわけではなく、その媒体が取材に行ったものをニュースとして購入したりしている。それと同じようにワイドショーも作られている。その何かの媒体にキチンと取材をして出ているものを、裏が取れていると扱っている」
これを聞いて、開いた口が塞がらなかった。
文藝春秋という出版社が発行する、ただの週刊誌と、世界各国にネットワークを持つ世界的通信社を同列に見る感覚も驚きだが、何よりも筆者が衝撃を受けたのは、松本人志氏の性加害疑惑について、「自分たちで独自取材をするという意識がゼロ」ということを、ここまで堂々と胸を張っていってのけたことである。
国際ニュースは、日本のマスメディアが自前で取材をするのは難しい。海外支局も人員が限られているからだ。
しかし、松本氏の性加害問題は、これとまったく違う。告発している被害者女性たちは文春が囲っているので取材できないとしても、霜月るなさんやお笑い芸人など、いくらでもアクセスできる。テレビ業界には、松本氏と酒を飲んだことのある人など山ほどいるはずだ。つまり、新聞の社会部だろうが、ワイドショーだろうが、自分たちで調査報道ができるものだ。
それをまったくやらずに「文春によりますと」を壊れたラジオのように繰り返しているのが「偏向報道」だと指摘をしているのに、返ってきたのは「文春記事は、ロイターと同じく信用できるので使い倒しているだけなので、偏っていません」――。この報道機関とは思えないほど、当事者意識のかけた発言は、「マスゴミ」のそしりを受けても仕方がない。
■大企業に勤めるサラリーマンの「保身」が元凶
ただ、ここで、ひとつの疑問が浮かぶはずだ。なぜ、マスメディアは、自分たちの力で松本氏の性加害疑惑を取材しないのかということだ。「もしかしたら現場の記者たちは、自分で取材をしたいけれど、何かしらの圧力や妨害を受けているのでは?」なんて可能性も頭によぎる人もいるかもしれない。ただ、テレビ局の報道現場で、実際に働いていた経験から言わせていただくと、そんなドラマチックな話ではなく、単に大企業に勤めるサラリーマンの「保身」という側面が強い。

例えば、全国キー局の記者になったと想像してもらいたい。あなたは、マスメディアが文春報道一色になっている現状に疑問を抱き、独自で取材を開始。そこで、文春報道に疑念を抱かせるような関係者の証言を得たとしよう。そこで、どうにか上司を説得して、昼の情報番組で「特ダネ」として、大々的に取り上げてもらうことに成功をする。では、これであなたの記者としての社内評価はアップするかというと逆だ。人事評価に大きく響いて、異動の時期がきたら、総務部などに飛ばされて、記者としてのキャリアが途絶えてしまう可能性が高い。
「ジャーナリストとして、当たり前のことをやったのになぜ?」と納得がいかないだろうが、これは、テレビ局社員としては当然の報いだ。自己中心的な行動によって、関係各位に迷惑をかけて、会社の信用を大きく傷つけてしまったからだ。
ご存知のように今、テレビが最も恐れているのは、政治家からの圧力でもなければ、さまざまな世界の「ドン」からの恫喝でもない。「視聴者からのクレーム」だ。番組内で少しでも差別的な言動をしたり、イジメを助長するような演出をしたりすれば、すぐに抗議の電話が鳴るかSNSで炎上をする。
そして、BPO(放送倫理・番組向上機構)にも苦情が寄せられる。
■キー局社員の平均年収は1300万円
この構造は「テレビ報道」もまったく変わらない。ニュースだろうが、ワイドショーだろうが、人権を侵害するようなニュースに対してはすぐにクレーム電話が鳴り響き、取材担当の記者やディレクターだけではなく、管理職まで責任を追及されてしまう。つまり、もしテレビ局の記者が自分自身で、取材をして、文春報道を否定するようなニュースを流そうものなら、「セカンドレイプだ」「責任者を出せ」などのクレームが大量に寄せられ社内は大混乱になり、その記者は「余計なことしやがって」と、社内で総スカンになってしまうのだ。
ここまで言えばもうおわかりだろう。これがテレビ局が霜月るなさんや、飲み会のセッティングをしたことがある、お笑い芸人らの「松本人志擁護」を取り上げることなく、「文春報道」だけを繰り返し紹介している根本的な理由だ。
ニュースでもワイドショーでも「文春によりますと」を繰り返しておけば、いくら抗議を受けてもいくら炎上をしても、「我々はロイター報道のように文春の報道を伝えているだけです、文句があるなら文春さんに言ってくださいよ」なんて、いくらでも言い逃れができる。
つまり、局内の誰にも迷惑がかからないし、報道記者たちも社内で針のムシロになることはない。ネットやSNSで「偏向報道」「マスゴミ」などと叩かれても、それが社内査定に響くわけでもない。つまり、「何もしないで文春報道をタレ流す」が、大企業サラリーマンの立ち居振る舞いとしては「正解」なのだ。
「そんな人間が報道をやっているのがおかしい」と憤慨するだろうが、これが日本のジャーナリズムの「現在地」だ。
この低評価の原因を、国境なき記者団は「記者クラブ制度」に代表される「自己検閲」としている。つまり、日本のマスメディア記者は、誰かに圧力をかけられるわけではなく、自分自身の判断で取材を控え、国民に伝えなくてはいけない情報を自分で握りつぶしているというわけだ。
この指摘は正しい。冒頭で紹介した局アナウンサーたちが「しっかり裏を取っている、信用できるメディア」として挙げた、ロイターやブルームバーグの取材を支えているのは、終身雇用のサラリーマンではなく、契約記者やフリージャーナリストたちだ。「週刊文春」も正社員もいるが、取材を専門に扱う契約記者たちが、あのクオリティを支えている。
しかし、日本のテレビ局の報道を支える人々の多くは、記者である以前に「大企業社員」でもある。だから「組織内の保身」に走って、裏取りどころかリスキーな取材すら避ける傾向が強い。ただ、これは無理もない。フジテレビや日本テレビというキー局社員の平均年収は1300万円ほどで管理職になれば、もっともらっている。そういう安定した立場を捨ててまで、ジャーナリストとしての矜持を貫ける人は少ない。
筆者もこの世界に長くいるので同世代のテレビ局記者たちを知っているが、彼らの多くは、口癖のように「なんだかんだ言ってもオレらはサラリーマンだから」と自嘲している。
■「ヒーローの転落」が数字を稼ぐ
さて、日本のテレビ局が「文春コピペ報道」へ流れる組織内力学がご理解いただけたと思うが、そこで新たな疑問が浮かんでくるだろう。「自分たちで取材ができないなら文春記事をコピペするんじゃなくて、裁判の行方を静観すればいいのになぜそれをやらない?」というものだが、これはテレビというメディアの特性から難しい。
人の不幸やバトル、内部告発などスキャンダルを扱うYouTubeやTikTokが大バズりすることからもわかるように、映像メディアは視聴者の「喜怒哀楽」、その中でも「負の感情」を刺激することでアクセス数を稼ぐ。つまり、テレビにとって「松本人志というテレビのヒーローがスキャンダルで転落する姿」は、確実に視聴率が稼げるキラーコンテンツなのだ。
自分たちで松本氏を文化人のように持ち上げておいて、それを手のひら返しでバッシングするなんて、いくらなんでも節操がなさすぎると思うかもしれないが、自分たちでヒーローを祭り上げて数字を稼ぎ、週刊誌スキャンダルが出たら、そっちに便乗して「ヒーローの転落」を騒ぎ、またさらに数字を稼ぐというのは、昭和の時代から続くテレビの極めてベタな手口だ。
■松本性加害疑惑とロス疑惑の類似性
わかりやすい例が、ロス疑惑だ。1981年、輸入雑貨を営む三浦和義氏が妻と米ロサンゼルスで銃撃された。妻は意識不明の渋滞で三浦氏も足を撃たれた。その後、米軍に協力してもらい、どうにか日本に帰国をして懸命の治療をおこなったが妻は死亡。マスメディアは、三浦氏を「悲劇の夫」として持ち上げて大々的に報じた。
しかし、それから3年ほど経過して「週刊文春」が、三浦氏が妻に多額の保険金をかけて殺害したのではないかという疑惑を報道する。「悲劇の夫」から「疑惑の夫」への転落というストーリーにメディアは食いついたが、中でも「過剰」というほど文春報道に依存をしたのがテレビだった。ワイドショーでは、三浦氏を文春同様に「犯人」と断定的に報じて、少年時代や育成環境、さらには過去関係をもったという女性たちまでプライバシーを暴きまくったのである。
いかがだろう。昭和と令和の人権意識の違いはあるものの、テレビが松本人志氏にやっていることは、ほとんど変わりがない。ヒーローとして持ち上げて、数字を稼ぎ、「週刊文春」が「あいつはクロだ」と断定をすれば、今度はそっちに乗っかって、「堕ちたヒーロー」と断定して叩いて数字を稼ぐ。テレビの人権侵害は、昭和から何も進歩していない。ということは、松本氏の性加害疑惑もロス疑惑と同じような結末を迎える可能性もあるということだ。
文春とワイドショーから「犯人」と断定された三浦氏は、長い裁判を経て、最高裁で無罪が確定した。そこに至る過程でも、プライバシーを侵害したメディア企業を名誉毀損で訴えまくった。無罪判決後、私はある雑誌で、三浦氏の担当編集をした縁で、友人付き合いをさせてもらっていて、このメディア訴訟について、公判資料とともに本人に説明してもらったが、テレビや新聞など大手マスメディアに、ほとんど勝っていた。
果たして、松本氏性加害疑惑は「ロス疑惑」と同じ道を辿るのか。注目したい。
〈『ありがとう、松ちゃん』より構成〉