フジテレビの情報番組「とくダネ!」などのキャスターをつとめたフリーアナウンサーの小倉智昭(おぐら・ともあき)さんが9日、死去した。77歳。

秋田市出身。



 歯切れの良い司会っぷりでTVを中心に活躍。



 2016年5月に膀胱(ぼうこう)ガンを公表し、肺にも転移するなど長く闘病生活を続けてきた。



 この日、体調が急変し息を引き取ったという。 壮絶なガンとの戦いだった。



 8年前に膀胱ガンを公表後、同月に内視鏡手術でガンを切除したが、全摘はしなかった。



 その後、病状は進み18年夏の生放送直前に膀胱から大量出血。



 同年秋には全摘手術を受けたもののその後、21年秋には肺への転移が見つかり、23年に腎盂(じんう)ガンと診断され、左の腎臓の全摘手術を受けていた。



 吃音(きつおん)に悩んだ幼少時代を経て1970年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社。



 競馬実況で活躍する姿が故大橋巨泉さん(享年82)の目に留まり、スカウトされて同局を辞め76年にフリー転身。



 巨泉さんの引きでTBS「世界まるごとHOWマッチ」などに出演し「1秒間に18文字の原稿を読める男」として脚光を浴びるようになった。 そして1999年からフジ「とくダネ!」の司会を担当。



 司会を引き受けるに際し「冒頭にフリートークをやらせて欲しい」と希望を出し、タイムリーな話題に対して持論を述べる時間が設けられたという。それまで、朝の情報番組と言えば、VTRでスタートするのが常識だったが、次第にオープニングトークは定着。



 横並びの視聴率でライバル局に遅れをとっていたが徐々に数字を上げ、2001年2月に初の平均視聴率月間1位を獲得して『朝の王者』となった。



 22年続いた「とくダネ!」のMC。



 小倉さんは闘病生活を送りながら、体調が良い時は積極的にラジオや情報番組などに出演。



 メディアの現状について意見を述べていたが、「僕の世代が楽しめるような番組をやりたい」という夢は果たせなかった。





 以前、「プレジデント」のインタビューで小倉さんは以下のように語っていた。 



 「2016年には膀胱癌が見つかり、18年には膀胱全摘出。2020年には新型コロナのパンデミックが起き、2021年には長年メインキャスターを務めた『とくダネ!』が終了。楽観的で結果を気にしない僕も、さすがに凹みました。寂しさというより先が見えてきたことがショックでした。若い頃に仕事がなく新聞購読や食べるものにも困った時期があったけれど、そんな時代でも『なんとかなる』と楽観的だった僕なのに、急に『どうすれば状況がよくなるのだろう』と先々のことに不安を覚えました」 



「転移を繰り返せば体力も落ちる。

一時は危ない状況で、三途の川で亡き親父とも会話しましたよ。そうしているうちに、『もっと体を大切にすればよかったかな』と初めて後悔がよぎりました」と。



 さらに続けてこう語っていた。 



 「『やりたいことはできるときにやっておけ』ということですね。人生は計画通りにはいきません。よく『老後に時間ができたら趣味のことでもやるよ』と言う人いるでしょう。でも実際に『老後』が来ると、想像とは全然違うセカンドライフが待っているもの。



 僕も、まだ封を開けていないCDや本の山を眺めながら、どう考えても残りの人生で消化しきれないなぁと考えているところ。最高級オーディオを揃えても、こちらの耳が衰えたら、細かな音なんて聞き分けられません。海外旅行も体力が落ちたら難しい。青春時代は二度と戻ってこないんです」



 非常にしみじみと感じ入る言葉だ。胸に締まっておき、時には思い出したい小倉さんのメッセージである。





文:BEST T!MES編集部

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