華やかなイメージもあるIT企業だが、心を病んでしまう人の話をよく見聞きする。厚生労働省の「令和4年労働安全衛生調査(実態調査)」によると、メンタル不調により1カ月以上の休業を余儀なくされた人の割合は、情報通信業が17業界中ワースト1位。
今回話を聞いたのは、関東在住でIT業界歴20年以上のベテランであるSさん(43歳)だ。
Sさんとは、とある海辺の宿で出会った。昨年の秋、出張取材のついでに観光を楽しもうと考え、一泊することにした私。その日に宿泊していた女性は、私とSさんの二人だけだった。
ふとしたきっかけで会話が生まれ、私たちは、夜遅くまでお互いの身の上について語り合った。Sさんは、IT業界で働く中でメンタルヘルスを崩し、療養中であると語ってくれた。
ほとんど見ず知らずの私に、友人からもらった煮魚を分けてくれたSさん。そのやさしさに感激し、私たちの会話はさらに弾んだ。
そんな人当たりの良いSさんが、なぜ退職に追い込まれたのだろうか。
■「私は部品のように扱われている」
「私は人間として扱われていない。壊れたら交換できるパソコンの部品のようにしか思われていないんだ」
Sさんは昨年、働いていた職場、管理者に対する信頼感を一気に失う出来事を経験した。
きっかけは、心臓の異変だった。ある日、気分転換に出かけた銭湯からの帰り道、Sさんは意識が朦朧とし道端に倒れ込んでしまった。心拍数は異常に速くなり、手足の先は紫色に変わっていった。救急搬送された病院での診断は「心房細動」つまり不整脈だった。医師によれば、過労やストレスが原因だという。
Sさんはすぐに上司に連絡を取った。
「在宅勤務でお願いします」
「いいね!」
返ってきたのは、AI応答のような、体調を気遣う言葉が一つもない簡素な返信。「いいね!」に至っては絵文字のリアクション、言葉ですらなかったのである。
在宅勤務は許可されたものの、その後も体調は回復せず、休む日が増えていく。
以前のプロジェクトに戻りたいと課長に相談したものの、「現在は管理者ポジションの募集しかない」との返答。結局、翌年の3月にSさんの雇用契約は打ち切られてしまったのだ。
その会社(以下A社)は、千人規模の社員を抱え、複数のプロジェクトが常に動いている大手企業だった。心身を病んだ従業員に対して、一時的にでも負担の軽いポジションを用意する余裕はなかったのだろうか。
SさんがIT業界で働き始めたのは2001年頃。最初はパソコンのセットアップ業務などに携わっていた
様々な企業で経験を積み、2017年に派遣社員としてA社に入社。法人向けウイルス対策ソフトのカスタマーサポートを担当するプロジェクトを担当した。
介護のために一時的に実家に戻った時期もあったが、空いていたポストがあったため、契約社員として元の業務に戻れることになった。
その後のA社での2年間は、特に大きなストレスもなく、安定した日々だった。Sさんが担当したカスタマーサポートの仕事はメール対応がほとんど。クレーム電話の対応に追われることもない。
■正社員の話につられ…穏やかな日々が一変
しかし、ある日を境にSさんの穏やかな日常は一変する。
人事から、スキルアップの一環として外部プロジェクトへの参加を打診されたのだ。それは、通勤に片道1時間半かかる大手IT企業に常駐するヘルプデスク業務への異動の話だった。社員数1万人規模の超大手企業である。
環境の変化に不安はあったが、Sさんはこの話を受けることにした。
「かなり悩んだのですが、スキルアップの先に正社員への道もあるという話だったので、挑戦することにしたんです」
キャリアにつながると信じた先に、退職に追いこまれる未来があろうとは、想像もしていなかっただろう。
パソコンの調子が悪かったり壊れてしまったりしたお客さんの話を聞き、パソコンを修理する。パソコンの設定を行うキッティング作業や、お客さんのいるフロアで行う修理業務、インターネットの接続手続きなどにも対応した。
しかし、新しい環境で少しずつ違和感を覚えるようになる。
「発注元が作成した手順書に問題があることが多かったです。
手順書とは、パソコン設定の流れが書かれたマニュアルのような書類だ。
IT技術者は手順書に書かれた通りにパソコンを操作して、会社で使えるように設定していく。
3年ほど前に作られた手順書は、改善点が反映されないまま使われており、手順書外のローカルルールも存在した。手順書が1種類だけであれば時間が解決したかもしれないが、作業ごとに複数の手順書が存在し、業務全体に曖昧な点があった。
当初、Sさんは手順書の不備を逐一報告していた。リーダーからの要請もあったからだ。しかし、リーダーからの返答は徐々に減り、1on1のミーティングもなくなっていった。課長との直接面談に切り替えて相談を続けたが、「もう少し様子を見てみましょう」との曖昧な回答に終始し、根本的な改善はされなかった。
これまでSさんが携わっていたプロジェクトでは、細かいルールを厳格に守ることでミスを防いでいた。しかし、新しいプロジェクトでは“曖昧さ”を前提として“臨機応変”な対応が求められた。頻繁に方針が変わる現場に、Sさんは戸惑った。
不備のある手順書で業務を続けると、パソコンの設定作業を最初からやり直すことになる危険性 もあった。
いつミスが起こるかわからない不安の中、複数の作業を同時進行することは大きなストレスだった。頼れるはずの管理者も頼りにならず、Sさんのプレッシャーは増すばかりだった。
やがてSさんは、通勤途中や勤務中に腹痛に襲われるようになってしまう。早めに出勤して食堂で休むなど工夫したが、体調は改善しなかった。
そして冒頭のように、不整脈で倒れる事態に至ったのだ。
■「変わらなかった手順書」なぜ改善されなかったか

Sさんを苦しめたのは「変わらなかった手順書」だ。これは、なぜ改善されなかったのだろうか。
当時、Sさんの職場では、発注元の企業と作業を行うA社の間に、さらに1社、A社の親会社(以下B社)が挟まっている状態だった。現場からの改善要望は、A社の管理職がB社を通じて発注元に伝える流れだった。しかし、Sさんは現場の声が発注元に届いていないと感じていた。
その証拠に、B社の担当者が不在の日に発注元の担当者に直接質問すると、手順書の問題があっさり解決することがあった。
これは、B社の問題だ。
休職から1年が経つが、Sさんは現在も通院を続けている。職場で感じた挫折感や無力感がトラウマとなり、症状はなかなか改善しない。
薬の影響でハイになって買い物の衝動に駆られたり、わけもなく突然悲しくなったりする。外出の意欲が湧かない日々が続き、体重は1年で10キロ増えた。
「傷病手当は受け取っていますが、多くはありません。物価は高騰しているし、次の仕事の目途もたっていないです」
ときどき、出口がない闘病生活への不安で、いっぱいになるという。Sさんが、清々しい気持ちで朝を迎えられる日は、いつ訪れるのだろうか。
取材・文:谷口友妃