われわれの社会がここまで腐りはてた原因の一つは「保守」という言葉の混乱にある、と適菜収氏は言う。議論の前提が間違っているから混乱が発生する。
■前近代に保守主義は存在しない
「人間の本性には不思議な力があるものだ」「われわれがほとんど希望を失ってしまったときにかぎって、われわれにとっては良いことが準備されるのだよ」とゲーテは言った。国は衰退、政治は腐敗、多くの人が絶望する中、いくつか明るいニュースがあった。
戦後最悪の総理大臣安倍晋三の妻の昭恵と深いつながりがあった森友学園に、国有地が格安で売却され、決裁文書が改竄された問題で、大阪高裁は、関連文書の存否を明らかにしないまま不開示とした、財務省の決定を取り消す判決を言い渡した。遅きに失するが、それでも第一歩である。まだ油断はできないが、少しずつでも世の中が正常化していくのはいいことだ。もっともこれ以上、落ちようがないだけかもしれないが。一昔前に情弱のネトウヨが「いつまで森友問題をやっているのか」などと言っていたが、これからやるのである。
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1月30日、旧安倍派の会計責任者の参考人招致が、異例の野党による賛成多数で議決された。元会計責任者は「出席は差し控える。これ以上申し上げることはない」とする文書を出したが、これも第一歩である。いつまでも逃げ回るのは許されない。
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産経新聞社が発行するタブロイド紙『夕刊フジ』が、2月1日付をもって休刊した。
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この30年でわが国が凋落した原因の一つに、知的混乱がある。自民党はそれを悪用し、プロパガンダにより、情報弱者を洗脳・動員することで、権力基盤を固めていった。その過程で自民党は変質。かつては少数ながらも党内に存在した「保守派」はほぼ壊滅。財界の手下やカルト勢力が政界に潜り込み、国に大きなダメージを与えるようになった。
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安倍晋三という究極の売国奴・国賊を礼賛してきたのが周辺のエセ保守「文化人」だった。連中は安倍のおでこに「保守」「愛国」というシールを張り付けていたが、今では、新自由主義勢力、右翼、単なる反左翼、権力に阿(おもね)る乞食言論人、情弱のネトウヨ、卑劣なヘイトスピーカー、デマゴーグ、反日カルト、陰謀論者といった保守の対極にある連中が、白昼堂々と「保守」を自称するようになった。
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近代の正確な理解がないところに保守主義は成り立たない。なぜなら、保守主義とは、近代理念の暴走を警戒する知的で誠実な態度のことであるのだから。よって、前近代に保守主義は存在しない。それがわからないと近代社会において発生する「大衆」の本質も、近代特有の病である「全体主義」も、近代国民国家(nation state)を成立させる原理であるナショナリズムもなにもわからないことになる。国家主義と国粋主義の区別がついていない人も多い。右翼と保守、新自由主義と保守の区別もついていない人もいる。これでは議論にならない。
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そもそも保守主義は「主義」とついているものの「主義」ではなく、逆に「主義」を否定する態度のことである。ここを最初に理解しないとすべて間違う。保守はイデオロギーではないので、「正しい考え方はこれだ」と掲げるような存在ではない。逆に、自分の正義に安住して思考停止することを戒める。自分の理性すら信用しない。
■エセ保守・バカウヨを封じ込めよ!
先日私は、「哲学系ゆーちゅーばーじゅんちゃん」というYouTubeの番組に出演した。その動画のタイトルは《「保守」はなぜ単なるバ〇を意味するようになったのか》だった。
たしかに今の日本では、バカが「保守」を自称し、デタラメなことを言っている。さすがに危なすぎる状況なので、今回私は『「保守思想」大全――名著に学ぶ本質』(祥伝社)を上梓し、「近代の病」と戦った40人の思想家の言葉を引用し、保守の本質をまとめた。基本的に私の判断や意見はあまり入れずに、保守主義について考えるための必読書から文章を引用し、簡単な解説をつけた。
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第一章「保守主義とは何か」、第二章「近代に対する警戒」、第三章「熱狂する大衆」、第四章「全体主義との戦い」、第五章「誤解されたナショナリズム」、第六章「歴史と古典」に分類したが、すべてが保守主義の本質の説明と密接に絡み合っている。
マイケル・オークショットが「リーダー待望論」を警戒したのはなぜか?
エドマンド・バークがアメリカ革命を支持し、フランス革命を否定したのはなぜか?
カール・マンハイムが近代以前の「保守的性格」と保守主義を混同するなと言ったのはなぜか?
福田恆存が保守主義を奉じるべきではないと言ったのはなぜか?
マイケル・ポランニーが《通俗的科学主義》を批判したのはなぜか?
過去の賢者の議論をひとつひとつ丁寧に振り返れば、そこに共通するもの、つまり保守思想の本質が見えてくる。
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情弱向けのエセ保守論壇誌などを読んでいると秒速でバカになる。たとえば、近代の構造の背後を暴露したフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェが、保守思想の核心に接近したことも見えなくなる。近代の内部に排除と差別のプログラムが内包されていることを暴露したフランクフルト学派、知識人の中に《大衆性》を見出したホセ・オルテガ・イ・ガセット、教養のある人間でも集団になると《野蛮人》となることを指摘したギュスターヴ・ル・ボン、「世論」が制御できなくなる仕組みについて説明したガブリエル・タルド、大衆が《虚構》を求める構図について説明したウォルター・リップマン、《数値化・抽象》による人間性の否定を指摘したセーレン・キルケゴール、民主主義と平等化が「新しい形の専制」、すなわち全体主義を生み出すことを予言したアレクシ・ド・トクヴィル、市民社会の中からナチズムが発生した構図を説明したエーリッヒ・フロム、マクドナルドとナチスの類似性を指摘したジョージ・リッツァ、国家権力の危険性を指摘したフリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク、資本が労働力の流動化を要請したから、前近代的な身分社会が破壊され、平等な人間による同質的な社会が生み出されたと指摘したアーネスト・ゲルナー、民族主義や復古主義の欺瞞を指摘した三島由紀夫、「真理の代弁者」を警戒したカール・ヤスパース……。
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その他にも、アイザイア・バーリン、山本七平、エリック・ホッファー、ハンナ・アレント、アントニー・D・スミス、ヨハン・ホイジンガ、折口信夫ら、保守思想を学ぶ上で欠かせない人物を紹介した。
保守思想をきちんと理解すれば、現在、わが国で跋扈する自称保守、エセ保守の類は、ほとんどが保守の対極にある社会のダニにすぎないことがわかるだろう。
文:適菜収