何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。
『さがりばな』横塚眞己人(講談社)" />
「視点が変わる読書」第17回
一晩しか咲かない花の命の輝き
1月12日、氷見に行った。
富山県の北西部に位置する氷見市は関東から遠いというイメージを持っていたが、東京から北陸新幹線に乗れば、3時間弱で新高岡につく。東海道新幹線なら、ちょうど新神戸くらいだ。そこから、城端線、氷見線と乗り継いで、約45分で氷見駅に到着!
氷見線は富山湾沿いを走る。途中雨晴海岸にさしかかるや、それまで座っていた乗客が総立ちになった。目の前に広がるのは、紺碧の海原。のんびりした太平洋と違って、凪いでいても何処となく厳しい印象を受けた。
週間予報では大雪のはずが、東京よりも天気が良く暖かいくらいで、海の向こうに立山連峰の雄姿を拝むこともできた。立山連峰は晴れた日でも、雲や靄がかかって見えないことが多く、年に60日しか姿を見せないという。
氷見駅からは送迎の車に乗って、10分ほどで宿「うみあかり」に到着。荷物をほどくや、温泉に入った。露天風呂から眺める立山連峰は日の光に輝き、氷見の第一印象はすこぶる良いものとなった。
今回の氷見行の目的は13日に氷見市芸術文化館で開催される、女優の紺野美沙子さんによる「朗読座 氷見・能登応援公演」を見ることにあった。
2010年、紺野さんは地域文化の向上と舞台芸術の発展を目的として朗読座を立ち上げた。これぞと選んだ作品を自ら朗読し、それに音楽や映像、影絵など様々なジャンルのアートを組み合わせる。朗読される作品は「スーホの白い馬」、「ベルベッドのうさぎ」、「鶴の恩返し」といった民話をはじめ、古典「源氏物語」、茨木のり子の詩、原爆でわが子を亡くした母親の手記「星は見ている」など多彩である。
これまでいくつかの公演を見たが、中心となる朗読は、ただテキストを分かりやすく読むだけでなく表現力が必要だ。巧みな感情移入によって物語世界を展開させていて、表現者としての女優の力を感じた。そこに音楽や映像が加わることで、さらに物語世界を深化させ、観客を引き込んでいくのだ。
この度の公演は能登半島地震からの氷見や能登の復興を願って開催されたもので、収益金は全て氷見市と石川県に寄付されるという。
13日14時から氷見市芸術文化館で朗読座の公演が始まった。
さらに、谷川俊太郎の詩「生きる」の群読。出演者と観客が一体となった声がホールに響きわたった。
休憩をはさんだ後半では、朗読座の代表作である「さがりばな」が朗読された。実はこの脚本は私が書かせていただいたのだが、原作となった本が今回取り上げた『さがりばな』横塚眞己人(講談社)である。
さがりばなはアフリカや東南アジアなど、熱帯や亜熱帯に咲く花で、日本では石垣島や西表島をはじめとする八重山諸島や宮古島で見ることができる。
四枚の花弁を白や薄ピンク、ピンクのたくさんのおしべが覆い、綿毛のような形状をしている。木から垂れ下がる茎の周りに連なって咲くため、この名がついた、また「幻の花」と呼ばれるのは、咲く期間が極端に短いからである。
夕方になると咲き始め、夜に満開を迎え、翌日、朝日が昇る頃には花が茎から落ちて、夜に咲いた花は全て散ってしまう。
カメラマンの横塚さんは、蕾が少しずつ開いて綿毛のような花を咲かせ、虫を介して受粉し、明け方に散っていく様子や、散り落ちた花が一面に浮かぶ川、その実が海を渡り、たどり着いた場所で芽を出すところまでを写真におさめ、それらの写真に命をつなぐ物語を添えて、さがりばなを紹介している。
貴重な一瞬をとらえた写真の一枚一枚はただ美しいだけでなく、見ていると厳粛な気分になるのは恐らく、たった一晩で散ってしまう花の命の輝きが写し取られているからだろう。
この本は2011年3月に起きた東日本大震災の直後に刊行された。刊行されてすぐ本を手にした紺野さんは、さがりばなの命のつながりの物語を朗読座の公演を通して多くの人に知ってもらいたいと思った。そこで、昔からつながりのある私に脚本の話が回ってきたのだが、脚本を書くにあたっては、さがりばなを実際に見て欲しいという強い要望があり、私は2011年7月、生まれて初めて西表島を訪れた。
東京から直行便はなく、羽田から飛行機で石垣島まで行き、フェリーに乗り換えて島に渡った。宿泊したマリンロッヂアトクは、かつてレストランでシェフを務めていたというご主人と奥さんの二人が営む民宿だった。
部屋は清潔で広々としていて風通しがよく、梅雨明け直後だというのに、冷房を使う必要がなかった。森へとつながる庭は100平米はあるだろうか。
いや、しかし、さがりばなである。
さがりばなは川岸近くの湿潤な場所に自生する。花を見るためには、マングローブ林の後背地に分け入り、ボートやカヌーに乗って川を下らなければならない。一人でそんなことができるわけもなく、当然のことながらアテンドしてくれる人が必要となった。
その役を引き受けてくださったのが、琉球大学熱帯生物園研究センター教授(当時)の馬場繁幸先生だった。西表島でマングローブ生態系の研究と保全を行っている馬場先生は紺野さんと知り合いで、朗読座の脚本のためにさがりばなの取材に行くから協力してほしいという依頼を快諾してくれたのだ。
夜の8時過ぎ、先生の後についてマンブローグ林の後背地に入ると、あちこちから甘い香りが漂ってきた。「咲いてるよ」。先生のライトが照らす先を見ると、何と、さがりばながたわわに咲き誇っているではないか! 甘い香りはさがりばなから発せられていたのだった。真っ暗な夜に咲くさがりばなは強く甘い香りを発散して虫を呼ぶのだ。
自分が持っているライトをぐるりと回せば、あっちにも、こっちにも綿毛のような花が垂れ下がり、見上げれば満天の星空。
翌朝5時、今度は馬場先生と一緒にさがりばな鑑賞ツアーのボートに乗ってさがりばなが群生する川の支流まで行った。すると、川岸に咲くさがりばなが、一つ、また一つと落ちているところに遭遇した。昨夜咲いたばかりだというのに、もう散ってしまうのだ。川の水面は散ったさがりばなでいっぱいで、風が吹く度に、綿毛のようなおしべを揺らし、すーっと漂っている。夢幻としかいいようのない光景に感動しながらも、やるせない気持ちにもなった。
せっかく花として生まれてきたのに、咲くのは夜で朝には散ってしまう。何故そうなのかは、他の花との生存競争に勝つため、夜に咲いて短時間で受粉をする必要があるからなど生態系上の理由があげられているが、それにしても一晩というのは残酷ではないだろうか。
水面に浮かぶたくさんの花を眺めながら私は考えた。もしも自分がさがりばなだったら、どうだろう。長い時間をかけて成長し、ようやく開花したと思ったら、数時間で散らなければならないとしたら?
そこで脚本は、さがりばなの「サラ」を主人公とし、彼女がさがりばなとして生まれた自分の運命をうらめしく思いながらも、命の意味を考えて成長していく物語に仕上げることにした。
公演後半の「さがりばな」は、紺野さんの朗読によって幕を開けた。
この前私が「さがりばな」の公演を見たのはコロナ前だったから、6、7年ぶりのサラとの再会である。
サラは自分が一晩しか咲くことのできない花であることを知らずに育つ。しかし、蕾になった時、森の長老の大木にそのことを知らされ、ショックを受ける。花として生まれながら、夜に咲いて朝には散ってしまう自分の存在とは何なのかと悩み、苦しむ。しかし、朝に咲いて夕方には散ってしまうオオハマボウの「ゆうな」や、蛾、森の精霊と交わるうちに自分の命の意味を見出したサラは迷いを吹っ切り、水面へと落ちていく。
茎から離れ、ふわりと宙を舞うサラの姿をスクリーンで見ながら私は、誰しも与えられた自分の命から逃れることはできないのだと思った。
ハンマーダルシマーの最後の音が消えると会場は一瞬静まりかえり、その後、大きな拍手が起こった。
文:緒形圭子