曖昧な告発と世間の空気によって犯罪者にされたジャニー喜多川と、潰されてしまった事務所。その流れは、今年の中居正広とフジテレビをめぐる騒動にも引き継がれている。
第1回 暴露本もなんのその、かつてのジャニーズは盤石だった
2023年、ひとつの芸能事務所がその看板を降ろした。
ジャニーズ事務所。数多く生まれた芸能事務所のなかでも、最も有名なひとつだろう。
終焉のきっかけは、創業者にして初代社長のジャニー喜多川が少年たちにしていたとされるセクハラ疑惑。ただし、生前、それが法的な罪として成立したことはない。
1999年には『週刊文春』がこの問題を追及するキャンペーンを行い、ジャニーズ側は名誉毀損だとして民事訴訟を起こした。要求した損害賠償金は減額されたものの、ジャニーズ側が勝訴している。
なお、ジャニーの死後もまた、法的な罪としては成立していない。セクハラを受けたとする者が多数現れたことで、事務所へのバッシングが起き、ジャニーズ側が最終的にそれをあったものとして対応するほうへと舵をきった。
つまり、真相が不明なまま、謝罪や補償をすることにしたわけで、その理由や事情についてはさまざまな見方がある。ただ、それはあくまで「見方」にすぎず、真相はもはや突き止めようがない。
もっとも、ジャニーと少年たちの関係については昔から噂があった。事実だとしたら深刻な話だが、確たる証拠はなく、被害届が出されたわけでもない。すなわち、長年「推定無罪」だったものが、死から数年後、いきなり「推定有罪」に変わったのだ。
そもそも「なかった」ことの証明は「あった」ことの証明よりも難しい。そして何より、世にも稀なレベルでのバッシングの激しさが事務所にああいう対応をとらせることになったのだろう。その結果、事務所やタレントは多大な損失をこうむり、ファンは落胆させられた。
そういえば、23年10月に退所して独立する選択をした二宮和也は、その理由をこう説明した。
「自分の活動にも多くの影響が起き始め、正直な話、僕も怖くなったし、不安な気持ちにもすごくなり、これからどうしていこうかなというふうに考え始めました。(略)そんな状況のなかで、自分の将来については自分自身で決めなくてはいけないし、でも、仕事は走っていっているし」
その後、生田斗真や風間俊介、松本潤も似た選択をした。四人とも、役者の仕事が多いタレントだ。
もちろん、こうなるに至った経緯に疑問を抱く人も少なくない。24年の秋、SNSでは「ジャニーズ冤罪」というハッシュタグが話題に。そこで、筆者もこんな投稿をしてみた。
「#ジャニーズ冤罪。今後のキーワードになるかもしれないな。厳密には、というか、法的には冤罪ですらなくて、自称被害者とメディア、活動家によるでっちあげみたいなものだし。タレントやスタッフはもちろんのこと、ジャニー喜多川ですらもはや被害者だろ。」
これにはフォロワー数を大きく超える「いいね」がつき、背中を押された気がした。「ジャニーズ潰し」の奇妙な経緯について振り返ること、そのなかで改めて感じたジャニーズのタレントやファンの魅力や底力について記録することは意味のあることだと思えたからだ。
もっとも、攻撃的な内容にはしたくない。このバッシングには、何かと怪しいものも感じるが、あちら側にしてみれば、ジャニーこそ怪しいということが根拠や動機なのだろうから。
ただ、中居正広をめぐっても、ジャニーのセクハラを事実だと決めつけ、それによるトラウマが彼の性癖にも影響して女子アナとのトラブルにつながったのだと、テレビなどで発言する人がいる。その偏向した見方については異議申し立てをしたいところだ。
ジャニーのセクハラが存在したかどうかは本来、法に委ねるほかない。それがないまま、汚され、踏みにじられたかのように思えるジャニーズという文化、そして本来あるべき芸能の復権を試みたいというのが、最大の目的だ。
まずは19年7月、ジャニー喜多川が世を去ったときのことを思い出してみよう。
多くのメディアがこの偉才の死を惜しみ、功績を称えたり、手がけたアイドルたちとの交流エピソードを紹介するなどした。セクハラ云々の疑惑に触れたメディアはほとんどない。
そんななか、筆者はこのサイトで『最大の危機と内助の功 ジャニー喜多川とは何者だったのか?』という記事を書いた。彼の少年愛的嗜好についても長年それなりに考えるところがあったので、そのあたりも踏まえつつ語ってみたわけだ。
この記事を自分で読み返して改めて考えるのは、北公次による暴露本『光GENJIへ』(88年)が持ってしまった不思議な意味についてだ。どこまで信用してよいのか、当時も今も、その判断が難しい。ただ、それまで噂や都市伝説的なものでしかなかったジャニーの性嗜好とそれにまつわる言動について、かつて人気のあった元ジャニーズアイドルが本に書いたのは衝撃的だった。
とはいえ、所詮、暴露本だ。もっぱら興味本位で売れはしたが、やがて忘れ去られ、そのかわり、ブックオフのような中古書店で大量に見かけるようになった。その内容についても、すべてが事実だと思った人はいなかっただろうし、逆に、すべてが嘘だと感じた人もいなかっただろう。当時の空気感としては、まぁ、芸能界だし、いろいろあるのだろうけど、結局、落ちぶれた芸能人の恨み節だよね、みたいなものが大きかった気がする。
そして、ブームから10年余りがすぎた01年、これをテレビでネタにした人がいる。元・光GENJIの諸星和己だ。番組はかつてジャニーズで同じ釜の飯を食った元・シブがき隊の薬丸裕英が司会をしていた『ウラまるカフェ』(TBS系)。平日朝にやっていた『はなまるマーケット』のトークコーナー「はなまるカフェ」の深夜版で、きわどいしゃべりが売りだった。それもあって、諸星はジャニーズ時代の思い出などを面白おかしく語り、そのうえでこんな自虐的なことを言ったのである。
「暴露本でも書こうかな。タイトルは『V6へ』(笑)」
ちなみに、この番組は生放送ではなかった。
ところが、今となってみれば、この暴露本の意味は小さくない。近年のジャニーズ騒動において、ジャニーにまつわる噂や都市伝説がなぜか事実認定されていくなか、この本は彼の生前に行われた告発例として再注目され、いわば噂や都市伝説を実体化する役割を果たしたからだ。しかも、書いた側も書かれた側も故人だから、事実かどうかは確かめようもない。
そこに加えて、ジャニーの死の前後から「暴露」自体の意味も変わった。芸能界の「いろいろ」が生みだす「恨み節」として受け流されていたのが、それを使って有名人を大勢で叩くための道具になってしまったのだ。
もっとも、そこから「ジャニーズ潰し」のようなことまで起きるとは、誰にとっても想定外だっただろう。それくらい、ジャニーズという帝国は盤石に見えていた。ちょっとやそっとの暴露では揺るがないはず、だったのである。
その盤石ぶりは、タレントの結婚をめぐる対応でも発揮されていた。そのあたりについても『ニノ結婚、でよみがえる「ジャニーズの妻」になれなかった女たちの涙と怨念』という記事をこのサイトで書いている。ジャニーの死から4ヶ月後、二宮和也の結婚をとっかかりに、さまざまな女たちの悲喜こもごもに思いを馳せた文章だ。
ただ「ジャニーズ潰し」が現実化したあたりから、ジャニーズアイドルの結婚が目立つようになった。かつては「グループのなかでひとりしか結婚できないルールがある」という説もささやかれるほど「ジャニーズのくびき」みたいなものも感じさせたが、今では複数のメンバーが既婚者というグループも珍しくない。それはそれで、おめでたい傾向だ。
とはいえ、その傾向と事務所のパワーダウンがつながっているとしたら、手放しでは喜べない。男女問わず、アイドルは異性のファンから憧れられ続けることが生命線なので、独身のほうが何かと好都合なのだ。結婚だけでなく、恋愛が公になるのもできれば避けたいのが、ジャニーズに限らず、運営サイドの本音だろう。
そのあたりについて、ジャニーズはかなりうまくやってきた。それは長年、経営上のトップであり続けたメリー喜多川の剛腕によるところが大きい。彼女がタレント教育やメディア対策に力を注いできたことで、ジャニーズとの結婚はハードルが高いものとなった。
しかし、そんな高いハードルに挑み、超えてみせたのが、工藤静香や木村佳乃といった女傑レベルの芸能人だ。特に人気絶頂の木村拓哉をものにした工藤については、尋常でないパワーを感じる。それも、ジャニーズ事務所が最も勢いのあった2000年のことだから、恐れ入るほかない。
ただ、ここで考慮すべきはSMAPの特殊性だ。国民的グループでありながら、ジャニーズ内では本流ではなかった。ブレイクさせたのはジャニーでもメリーでも藤島ジュリー景子でもなく、喜多川一族にとっては他人の飯島三智。「事務所内独立」という表現もされるほど、ジャニーズ本流からは外れたグループで、大晦日恒例のジャニーズカウントダウンライブにも不参加だった。工藤が「キムタクの妻」になれたのも、そういうグループのメンバーだったことが有利に働いたのではないか。
そんなSMAPは「ジャニーズ潰し」にも影響を与えることになる。破綻の予兆、あるいはその始まりとなったのが、16年のSMAP解散騒動だからだ。
あの騒動から、ジャニー&メリーの死を経て、ジャニーズ潰しが進んでいく。その流れを次回以降、見ていくとしよう。
文:宝泉薫(作家、芸能評論家)