20代にして年収6000万円を稼ぎ、イケイケだった広告デザイナーはその後、終わりのない不況と業界の斜陽に巻き込まれ、のたうち回ることに。装丁家の斉藤啓氏が、その「想定外」な仕事人生を描きおろしイラストとともにつづる連載コラム。
■遠い昔、海上の楼閣で
YO!ワッツア!
ここは東京港区ベイエリア。産業道路と運河で構成された巨大な碁盤のマス目を、企業ビルや倉庫や駐車場でひたすらポコポコ埋めていった設計主義的街並みで、気分はもうネオ東京(※1)。
その一角にそびえる高級賃貸デザイナーズマンションの一室がぼくの自宅。フローリング40畳(※2)のリビングが自慢のこのお部屋は家賃60万円。いやちがう、自宅兼事務所として登記してるから消費税ついて正しくは63万円ナリ。
てゆうか消費税5%(※3)っていくらなんでもボリすぎだと思いませんか?とりあえず小渕総理(※4)には経済政策をしっかりやってもらいたいと思ってたらこないだ死んじゃったし。バブル崩壊からもうすぐ10年、今や株価は15,000円台のていたらく。この国に未来なんてあるんですかねまったく。
そんなポストY2K(※5)なご時世ですが、ぼくは昨年広告デザイン制作会社を設立したばかり。会社といっても代表もデザイナーも雑務も僕一人が兼ねる文字通りワンマン会社。アシスタント入れるとクオリティもスピードも下がるから結局一人が一番効率的なんですよ。
設立からずーっと忙しい毎日ですが、独立前の雇われデザイナー時代は1ヶ月に残業300時間(※6)とかフツーにやってたから体力的には全然楽勝。仕事のクオリティや発想力には自信あるし、作業の手も早いし、要領いいんですよ次男なので。国内海外の有名デザイン賞をガバッと複数受賞したってこともありトントン拍子で、気づいたら20代で年収6000万いっちゃってました。そう、ぼくは今まさに絶賛ひとりバブル状態。
いやーカネ稼ぐのがこんなにカンタンだなんて思ってなかったっスよマジで。
■20代、年収6000万。当然調子に乗りまくり
さぁ、今日はこれから専売公社もといJT(※7)へ打ち合わせにいってきます!
我が社のメインの仕事はJTの年間キャンペーン広告。もはや仕事量の8割方はJTで占められてまして、週3~4回は虎ノ門のJT本社に出かけるわけです。今日は軽めの打ち合わせなので、制作チームはぼくと博報堂(※8)の営業くんの2人。JT側はいつもの実務担当者さんだけ。
お偉方が集まる重要なプレゼンの時はコムデギャルソンやヨージヤマモト着て気合い入れていきますけど、それ以外はカジュアルでOK(ってことにしてます)。
服装もキマったところで、どのクルマに乗っていこうかな。地下駐車場にはまず一番のお気に入りのBMW。スーパーやデパートでのお買い物用にベンツのワゴン、これは奥さんへの22歳の誕生日プレゼント。そしてこないだCitibank(※12)のプラチナカードで衝動買いしたポルシェもあるので、エンジンのナラシがてら今日はポルシェで!
いけない忘れてた! 博報堂の弘中くんから電子メール(※13)がきてたんだった!パソコンの電子メールなんてわざわざ誰も使ってねーものを…、iモードメール(※14)に送ってくれよな…。ええとなになに。
先期キャンペーンの入稿済みデザインデータをフロッピーに入れて本日持ってきてくれますか?
苦笑い。いやその容量、さすがにフロッピーには入んないって。いまはもうMO(※15)の時代ダショ。なんたって230MBも入るなんて驚きよね!思えばこの数年で広告デザインの製作環境もすっかりデジタル化が進んでてて、昔ながらの手作業での版下製作から、MACを使ったデジタルデータ製作へと一気にスイッチしたのです。弊社もついにISDN回線(※16)を導入したし。これもイット革命(※17)ってやつなんですかね。
もしかしたら未来では電子メールでデザインチェックや入稿までもができるようになってたりして。ついでにインターネット上でテレビ会議や打ち合わせができるようになったらラクなんだけどなー、ってさすがにそれは夢物語か。
愛機Power Mac 7100(※18)を起動し、MOをぶちこみデータをコピー。その間、しばしフィン・ユール(※19)の一人掛けソファに腰を下ろしエスプレッソを楽しむとします。コーヒーテーブルに置かれた朝刊を何気なく手に取りぱらりぱらりと眺めていると、ふと経済面の小さな記事に目が止まりました。そこには、
JTが広告出稿の大幅縮小を発表
健康増進法推進とか受動喫煙とかナントカの影響で~
え、JTって、あのJT…?
JTを? 広告が? 6000万が大幅縮小?きききいてないよぉ~(※20)
コーヒーカップが手からすべり落ち、溢れたエスプレッソが黒いシミとなって紙面を一瞬で染め上げてゆく。
暗転する視界がかろうじてとらえたその新聞の日付は、たしか…平成12年(2000年)….。
■25年後、現在
あ、前フリが長すぎですいません。
我が実録デザイナー転落物語を書き記しているうち興が乗ってきたor何らかの拒否反応なのか脳がISDN状態に陥り(ピーピュルルルr)妙なテンションでついつい筆が止められませんでした...。ここらで一旦自己紹介をせねばです。そう、これを書いてる今はもちろん令和7年(2025年)5月ですからね!
こほん、とゆうわけでみなさんはじめまして!
装丁家そうていか、名は斉藤啓さいとうけいと申します。縁あってここBEST T!MESの片隅にてコラム連載をスタートすることになりました。
え?
装丁の話はもう次回でいいから、前フリの続きをおもしろおかしく書いて今回は締めてください、ですって?
すいません、たったいま編集の竹林さんから上記の指導が入りました。デザインは本業なんでアレなんですがこうゆう文筆業は不慣れなもので...重ね重ねなんかすいません。
それでは言われるがままおもしろおかしく続きを書いてみることに。
気を取り直して地下駐車場に駆け降り、ポルシェのハンドルを握ったぼくは虎ノ門にむけて後輪から白煙を上げながらのドリフト走行。JT本社のロビーにすべりこんだぼくを待ち構えていたのはニヤニヤ顔の博報堂弘中くんとJTの実務担当者さんと、隣にはなぜか…腕に旭日旗の腕章をしたおじさん…誰?
3人「その焦り様は、さては斉藤さん朝刊よみましたね?、あれは新聞に誤情報流してウソをかかせたドッキリだよーん」
ぼく「ということはろくせん…いや広告出稿を縮小するってのはウソだったんですね?なーんだ意地が悪いなあ3人とも」
新聞記者「見事にひっかかりやがったな?このJT成金が!輪転機を動かしたぶんは旦那にツケときますぜ」
ぼく「そりゃないっすよ、あははは」
みんなで「あははははははははははっはははははあはあははろろくせんははははあっははは」
なんて都合いいIFルートあるかーい!
正規ルートは話すも無惨すぎで、脳機能がISDN状態に再シャットダウンしそうなのでかいつまんで書きますと、
その年から収入は順調に半減、また半減。前年の税金を支払い終えたらもうスッカラカン、運転資金としてさらに莫大な借金を…と負債の雪ダルマに。つらい離婚も経験して、ボッチがニッチもサッチもいかない状態へまっさかさま。
本当の自分は運も才能もないカラッポ人間で、成功はたまたまのマグレ当たり。調子乗りすぎてバチが当たったんだ。その時はそんな風に思ってました。その時だけは、ね。
■想定外を探しにいこう
高校時代、友達の部屋に貼ってあった横尾忠則さんのポスター作品にいたく衝撃を受けました。いまだその時のことを適切に表現できないんですが、突然視点が置き換わったというか、世界のすべてが変わって見えたんです。よし、おれも横尾さんみたいになってカッコよくてオリジナルなグラフィックデザイン作品を作って皆をあっと言わせるんだ!と決めたあの日。
それから人生のいたるところにさまざまな選択と決断がありました。が、たどりつけばいつも想定外の結果が待っていました。いい結果も、たとえ最悪の結果でも。
「ああなると思ってたら、こうなるんかーい」。この繰り返し。
終わりのない不況と斜陽にあえぎ変質してゆく広告業界のウラ側。出版業界で遭遇した数々のトンデモな出来事。モダンアート業界のむしろカビ臭いほど古すぎる風習。真っ暗闇の地獄だと思っていた場所で見つけたキラキラ輝く宝石のような体験。
恥ずかしくも懐かしくて愛おしくもホロ苦い。そんなことを、つねに時代とともにうつろい変化してゆく東京という街を舞台に書き綴っていていけたらなと思います。
「想定外」とは一歩踏み出した人間に与えられるメダルのようなものかもしれません。自分の名前と日付が刻印され、ちょうど東京タワーの登頂記念メダルのような金ピカのメッキで覆われたいかにも子供っぽいガラクタ。
世間様にとっては何の価値もないそれを、みなさんだって自分の胸にそっと大事にコレクションしていることをぼくは知っていますよ。
コスパ重視で~、とか、持続可能な~、とか。そんなクソもおもしろくもない概念も価値観もサッサと捨て去って、みなさん、このコラムをおともに、ぼくと一緒に想定外を探しにいきませんか。
文:斉藤啓
※1 ネオ東京:大友克洋によるSF漫画「AKIRA」に登場する東京湾上に建設された都市。映画版「AKIRA」は1988年公開
※2 40畳:72.962㎡。部屋全体では125㎡くらいありました
※3 消費税5%:1989年竹下政権時に消費税3%が初導入され、1997年橋本政権時に5%に引き上げされた
※4 小渕総理:小渕 恵三。第84代内閣総理大臣。記者との囲み会見中に脳梗塞の症状が発症したとされ翌日緊急入院し、2000年5月14日死去。ご冥福をお祈りします
※5 Y2K:2000年問題。西暦2000年になるとコンピュータや電子機器が誤作動を起こし大パニックになる可能性があるとされた問題。今となっては笑い話
※6 残業300時間:休日含め朝10時から朝5時まで仕事してたら意外に簡単に達成できます
※7 JT:日本たばこ産業株式会社。前身は特殊法人日本専売公社で1985年に民営化され設立。あの頃はほんっとにお世話になり ました。感謝の言葉を伝える機会すらなく離れてしまったので…。いっぱい勉強させてもらってガチンコで鍛えていただきましてありがとうございました
※8 博報堂:日本を代表する大手広告代理店。当時は東京都港区芝浦が本社(うちからすぐそこでした)
※9 NIKE AIR JORDAN 4:1989年発売。エア・ジョーダンは4まで日本未発売だったのでアメ横で並行モノ買いました。1999年発 売のレトロではない
※10 BIG E:赤タブのEが大文字のLevi’sのビンテージモデル。90年くらいまでは原宿でも70505のBIG Eなら1万円台で買えた
※11 エクスプローラー1:ロレックス エクスプローラー 1 Ref.5500
※12 Citibank:2000年代後半あたりから行政処分やら経営悪化やらでゴタゴタが続き、Citibank本体は日本から撤退
※13 電子メール:仕事の連絡は固定電話や携帯電話での直接会話が主流でした。1999年ごろから仕事でもポツポツ使われるようになり始めましたが、マジで全然メールチェックしてなかったですね
※14 iモードメール:1999年にリリースされたNTTドコモのインターネットサービスに付帯した電子メールのサービス。絵文 字、デコメールはこの時初出現
※15 MO:データ保存用光磁気ディスク。何度でも書き込みできるから便利。MACのスロットがMO非対応になりCDに変 わった時点で、市場から絶滅。ちなみにフロッピーの容量は2MBもないw
※16 ISDN回線:デジタル公衆交換電話網。1990年代後半にインターネットへのダイヤルアップ接続用途で一般に普及した。 2024年1月に役目を終えサービス終了
※17 イット革命:2000年4月、IT戦略会議に出席した森喜朗総理大臣がITを「イット」と読み間違える珍事が由来
※18 Power Mac 7100:Power PCを搭載した当時のMacintoshの主力マシン。2000年はもうG3出てましたけどトラブル続き
※19 フィン・ユール:デンマークの家具デザイナー。1989年没。いわゆるミッドセンチュリー系でありながら他とは一味違う繊細で流麗なフォルムが特徴
※20:1993年新語・流行語大賞銀賞を受賞したダチョウ倶楽部のギャグ。2000年にこれを使うのはさすがにセンス古すぎ