子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【13冊目】「『クレア』今昔物語」をどうぞ。





【13冊目】『クレア』今昔物語

 



 フリーになって最初の仕事は女性誌だった。正確に言えば、その女性誌のレギュラー仕事を決めてから会社を辞めた。何の当てもなく辞める度胸は私にはない。先に辞めた先輩編集者がそこで副編集長になっていて、会社を辞める相談をしたら「じゃあ、ウチの仕事しなよ」と言ってくれたのだ。持つべきものは面倒見のいい先輩である。



 雑誌の名は『Miss家庭画報』(世界文化社)。そこはかとなく矛盾を感じるタイトルだが、老舗高級婦人誌『家庭画報』を購読するような家庭のお嬢様向けに1988年に創刊されたコンサバなファッション誌である。そんな雑誌でおまえに何ができるのか、と思われるかもしれない。が、そこはそれ、先輩だってちゃんと考えている。私が任されたのは、映画や音楽、本、演劇、アートなどを紹介する、いわゆる文化欄だった。これならむしろ得意ジャンルである。



 映画と音楽コーナーのメイン記事に関しては指定のライターがいたりして多少の制約はあったものの、全体的にはまあまあ自由にやれた。

特に本と演劇については(一応読者層のことは考えつつも)趣味丸出しで、山田詠美、中島らも、ナンシー関、平田オリザ、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、田口トモロヲなどを取材したのを覚えている。その仕事は1992年から93年の2年間でお役御免となったが、フリーランス初期の安定収入として大変ありがたかった(同誌は2002年に『MISS』と改称、2013年に休刊)。



 女性誌のまとまった仕事はそれぐらいで、ほかは今に至るまで単発のライター仕事やマンガ関連のコメント仕事がいくつかあるだけだ。書店で目についた創刊号はとりあえず買っていたし、『an・an』のセックス特集などは資料として目を通していたけれど、やはり男性誌に比べると女性誌は仕事としても読者としても縁が薄い。



 そんななか、毎号のように買っていた女性誌がひとつだけあった。1989年に創刊された文藝春秋初の女性誌……といえば、ある年代以上の雑誌好きにはおわかりだろう。



 そう、あの『クレア』である。創刊号(1989年12月号)の表紙キャッチコピーは「美しき野次馬たちへ」。タイトル部分には「Full Of Curiosity」とのフレーズも掲げられている。創刊の辞のようなものは見当たらないが、その文言からコンセプトは明らか。“好奇心旺盛な読者に向けたジャーナリスティックな女性誌”ということだ。







 ニュースを扱う女性誌ということなら、『女性セブン』(小学館)、『女性自身』(光文社)などのいわゆる女性週刊誌がすでに存在していたが、それらは芸能や三面記事的ニュースが中心だった。

料理や美容・健康などの生活情報も含め、読者対象は主婦層である。一方、『クレア』のターゲットは20代~30代の働く(独身)女性。扱うニュースも、より硬派でグローバルだった。



 



 何しろ創刊号の特集が「地球と楽しむ」と、いきなりスケールがデカい。ただ、内容的には今ひとつ焦点が絞り切れていない感があり、見どころはむしろ特集以外のページにあった。まず巻頭の時事コラム集「NEWSY CREA」。「東欧から共産党が消える日」「曽野綾子vs.上野千鶴子論争の[軍配]」といったシブめの記事が並ぶ。浅田彰×田中康夫による「憂国呆談」、山田詠美×中沢新一の対談「ファンダメンタルなふたり」も舌鋒鋭い(中沢新一が当時注目されだしたオウム真理教を擁護しているのが痛いけど)。



 「わが『女性問題』と消費税」を橋本龍太郎に語らせ、「裸の江副浩正」と題してリクルート事件の渦中にあった江副氏の素顔に迫るあたりは、さすが文春といったところ。日本初のセクハラ裁判の当事者へのインタビュー「訴えた女、訴えられた男」も読みごたえあった。具体的な被害内容を語る女性に対して、男性は〈ぼくでなくても、誰か他の男性が犠牲になってたんですよ。特定の人間を指してるんじゃなくて、これは男性社会への警鐘なんです〉と被害者意識に満ちた発言に終始する。

三十数年経った今もセクハラはなくならず、この記事の男性と同じような認識の男は少なくない(ちなみに裁判は女性側の全面勝訴となった)。



  デザインはオシャレでファッショングラビアもあるけれど、あくまでも読み物記事主体というスタイルは、確かに新しかった。2号目以降もワレサ委員長夫人インタビュー、ピル自由化、宗教問題など、他誌ではあまりやらないテーマを取り上げる。そして5号目の1990年4月号で「ニュースが大好き」という、そのものズバリの特集を組む。



 「トントン拍子の大出世・完全版『ゴルバチョフ伝』」「ペレストロイカで解禁されたソ連カルチャーがおもしろい」「東欧ブームの影で、あのチェルノブイリはいま?」「ネルソン・マンデラは南アを救えるか」「天安門事件ってなんだっけ」など、世界情勢に斬り込んだ特集は評判を呼び、それまでの倍くらい売れたという。



 創刊編集長・斎藤禎氏は、インタビューで〈最初はただ理念として「女性も男性以上にニュースを求めている」ということをいってた〉が、この号が売れたことで〈やっぱりそうだったんだと確信した〉と述べている(『SPY』1991年3月号)。そこで、「クレア名物『ニュースが大好き』第2弾 経済なんてこわくない」(1990年6月号)、「第3弾 環境問題にゼッタイ強くなる」(7月号)とたたみかけ、8月に湾岸戦争が勃発するや、緊急特集「戦争がいっぱい」(11月号)を世に送り出した。同号の表紙には「こんな特集、きっとクレアしかしない。」とのコピーが添えられている。巻頭の「NEWSY CREA」も同年8月号から「ニュースが大好き!」をメインタイトルに掲げた。1991年3月号掲載の読者アンケート「CREAの通信簿」によれば〈「ニュース路線」を「面白い」「今後も継続を」とする支持層が6割以上を占めた〉という。







 



 こうして振り返るに、昭和天皇崩御で始まった1989年=平成元年からの数年は、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、東欧民主化、湾岸戦争、ソ連崩壊、バブル崩壊……と、まさに激動の時代であった。そのタイミングで創刊された『クレア』がニュースを前面に打ち出したのは(未知の女性誌の分野で文春の強みを生かす戦略もあったにせよ)結果的には正解だったし、時代の必然だったのかもしれない。



 その後の特集でも、「ゲイ・ルネッサンス'91」(91年2月号)、「おいしい毒と、やさしい食。」(3月号)、「どうする湾岸、どうなるソ連」(4月号)、「女でよかった!?」(6月号)、「顔がニュースだ!」(93年1月号)、「ときめきの男尊女卑」(12月号)、「お金のすべて」(94年1月号)、「特集『死』」(3月号)、「事件がいっぱい! ノンフィクション・クレア」(9月号)と、刺激的なタイトルが目を引く。映画や本などカルチャー系の特集、恋愛やセックス、美容系の特集もあるにはあるが、やはり社会派の特集が初期『クレア』の真骨頂と言えるだろう。



 



 きわめつきは「タブーをつく!」(92年5月号)だ。「これがなぜ『タブー』なの?」として、皇室、従軍慰安婦、憲法改正、南京大虐殺といった項目を解説したかと思えば、アイヌや在日韓国人、障害者、同性愛、ハンセン病などへの差別を取り上げる。さらには部落解放同盟女性活動家へのインタビューもあった(聞き手は江川紹子)。 



 特集のみならず、ファッショングラビアも攻めている。カッチリしたきれいな写真ではなく、ニュアンスのある写真を多用。ストーリー仕立ては珍しくないが、「1990年、一番のおしゃれは裸です」(1990年5月号)と謳って、上半身裸の男女がジーンズだけをまとった姿を写したのは大胆だ。「スーパーマーケットにはおしゃれがいっぱい」(同6月号)では、ダイエー、ジャスコ、無印良品、キンカ堂、大丸ピーコックなどのアイテムをメインにした着こなしを見せる。まあ、モデルが着れば何でも素敵に見えるというのはあるにせよ、こうしたひねりの効いた誌面は見ていて楽しい。







  連載・執筆陣の豪華さは言うまでもない。橋本治、中野翠、柴門ふみ、林真理子、藤原新也、神足裕司、ナンシー関、大月隆寛、酒井順子、原田宗典、オバタカズユキ、横森理香、町山広美、岡崎京子、豊崎由美、石川三千花……。

故人や今となっては残念な感じになってしまった人もいるが、当時の最先端を走る書き手たちが健筆を振るっていた。数ある女性誌の中で、『クレア』が独自のポジションを築いていたことは間違いない。



 しかし、8年目に突入した1997年1月号において、ひとつの転機が訪れる。クレア名物だった「NEWSY CREA ニュースが大好き!」のコーナーがリニューアルし、「What' On!? 好奇心でいっぱい!」に看板が掛け替えられたのだ。



 ちょうどその号の「読者のページ」に次のような投稿が載っていた。



〈硬派を自称する私の同僚F子は、「『ニュースが大好き!』が最近当り外れがあるから、毎月は買わないわ」と言います。けれども、私は特集の内容に左右される軟弱者ではありません。毎月欠かさず買い続けています。(中略)似たり寄ったりの雑誌が多いなか、クレアだけが持っている魅力って一体何なんだろう、って自分なりに考えるときがしばしばある。クレアの真骨頂、それはずばり他誌の追随を許さぬ「上質悪口コラム」の充実度だと思うのです〉



 この投稿を見て「ニュースが大好き!」の看板を外したわけではあるまいが、コラムの充実度が魅力という意見には同意する。雑誌を習慣的に買うかどうかは、コラムなどの連載に負うところが大きい。とはいえ、他誌ではやらないとんがった特集も『クレア』の魅力だったはずだ。



 ところが、この号を境に特集の方向性が大きく変化する。2月号「母に、なる。」は同誌らしい切り口で名物特集となるが、そこから先が急転回。「モードを探せ!」「春だから、新しい私に!」「大切な人と行きたい温泉・スパエステ100」「『私』がいちばんキレイに見える髪型発見BOOK」「何もかも忘れて南の島に行く!」「欲望のイタリア」「秋の流行服のすべて」「コスメの王道」「髪型美人BOOK」と、どこにでもある女性誌のようで、思わず「どうしちゃったの、クレア?」と言いたくなる。



 そして、1998年1月号をもって判型とタイトルロゴが変わり、ますます普通のファッション誌っぽくなった。特集テーマも、コスメ、髪型、本、映画、旅、グルメ、贈り物……と定番化。もちろん需要があるからそういうテーマを取り上げるのだろうけど、個人的には手に取ることもほとんどなくなってしまう。



 最近唯一買ったのが、「発表! 夜ふかしマンガ大賞」の号。最近といっても2022年秋号だから、もう3年近く前だ。というか、いつのまにか季刊に変わっていた。調べてみたら、2021年1月号までが月刊で、それ以降、季刊になったらしい。マンガ特集をやるなら私にも一声かけてほしいところだが、特集自体は面白く読んだ。



「ニュースが大好き!」を旗頭としていた初期の『クレア』と現在の『クレア』は、まったく別の雑誌である。どちらがいい悪いではないし、路線変更にはそれなりの理由があったのだろう。が、かつての『クレア』で扱われた社会問題の多くは、今も解決されていない。『クレア』の先進性もさることながら、人類の進歩のなさに呆然とする。



 前述の読者アンケート「CREAの通信簿」(1991年3月号)の回答者は、20代が79%を占めていた。三十数年の時を経て50代となった彼女らは、今の『クレア』は読んでいないだろう。じゃあ何を読んでいるのかと考えて、思い浮かんだのが『週刊文春WOMAN』だ。「いつもの女性誌には載ってないこと。いつもの週刊文春にも載ってないこと。」というキャッチフレーズは、かつての『クレア』の魂を引き継いでいるような気もする。あの開拓精神には遠く及ばないけれど。



 



文:新保信長

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