早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。

いったい自分は何者なのか? 「私」という存在を裸にするために、神野は言葉を紡ぎ続ける。新連載「揺蕩と偏愛」がスタート。#2「『背徳感のある食べ物』を暴力的に摂取してしまう時がある。それはなぜか?」





#2  背徳感に魅せられて〝あの人〟を暴力的に食べてしまうのは何故なのか?



 全て食べきれば、あの人が私の中に溶けていく気がした。 





 甘ったるい塊を口いっぱいに詰めこんでいく。体温で溶けたチョコレートがシルバーのラメで塗られた爪を上書きし、伸びきった爪の裏にはぱらぱらとした砂糖が入り込んできた。箱から乱暴に掴み、そのまま口へと押し込んでいく。砂糖は私の消化管を灼き、小麦は喉を詰まらせる。



 身体の奥に停滞する重苦しい塊が、じわじわと私を沈めていく。それでも、現実は何一つ変わりはしない。夢中で身体に取り込んだ糖分は、やがて私を眠りへと導いていこうとする。瞼がひどく重い。





  あ、落ちる。





 胃がまったく機能していなかったのか、目を覚ました瞬間からむかむかとした吐き気に襲われる。この悲惨な状況をどうにかするため、水を取ろうと冷蔵庫を開けると真っ白の箱が目に飛び込んできた。





 まだ残っているのか。



 目の前の現実に身体がより一層ずんと重くなる。





 箱の中身はドーナッツだった。シンプルなものではなく、少し前から流行っているクリームとかチョコレートがふんだんに使われたものだ。受け取った瞬間に「あ、私一人で食べきれる量じゃないな」とすぐにわかった。どう考えても一個や二個入っている箱のサイズではない。



 贈り主にとって、私が一人で住んでいるか、誰かと暮らしているかなんて気にするようなことではなかったのだろう。その事実がより一層私を奈落の底へと突き落としたなんて、贈り主は知る由もない。



 その日、大事に思っていた人の声が、かすかに遠のいた気がした。

ぽっかりと穴が開いたような感覚とドーナッツの穴が重なって、ひどく憎たらしいものに思えた。べっとりと絡みつく砂糖は甘いはずなのに、なぜか違う味がしたのを今でもよく覚えている。





 この日を境に、私は厄介な行為を繰り返すようになった。



 苦しみを吐き出せないと、無性に小麦の塊を口に突っ込みたくなる。もはや「食べる」とも「摂取する」とも言えない。それは、ひどく乱雑で暴力的な行為だった。





■私を生かしているのは「喜び」よりも「苦しみ」?



 目に入ったものを無造作にかごへ突っ込む。いつもだったら商品の裏に書かれている表示を隈なく確認してから手に取るものを、何の躊躇もなく手に取っていく。素早く会計を終わらせて、家までの道のりを急ぐ。ビニール袋の中で商品がぶつかり合う。ちゃんと綺麗におさまっているかなんて、そんなことを気にする余裕なんてない。



 気がつくと空になった容器や袋が散乱していた。

その光景を前に、私は静かに「ああ、またやってしまった」と悟る。何を口に運んだのか目の前に散らばるものを見れば事実として理解できるが、どんな味だったかなんて一つも思い出せない。私の中に残るのは身体の不快感とひどい眠気ぐらいだ。





 「私はマックのポテト食べたくなるなー。それか背徳感がうんと感じられるもの」





 友人にこの話をぽろっとこぼしたとき、そう返されたことがある。そんな話を真っ昼間にさらりと交わせるほど、ありふれたことなのだと気づいた。形は違えど、みんな何かを埋めようとしている。それが少しだけ私を安心させた。



 フライドポテトは一本ずつつまむのが面倒で、手を出さなかった。背徳感のある食べ物であるという点では基準を満たしているが、どうしても私は簡単に口腔内をいっぱいにできるものを不思議と選んでしまうらしい。



 余談ではあるが、私の中で酒だけは手を出さないと決めている。好きで、飲めるからまったく苦しくならない。

苦しくないのに自分の意識している世界の外へと連れていく力を持っている。あんなものに頼ったら、すぐに飲み込まれる。それが恐ろしくて、距離を置いている。



 私が行なっている暴力的な行為は本質的な解決ではない。目の前の苦しみを、別の何かで一時的に覆い隠しているに過ぎない。どうにか意識をそらしているだけ。ただの応急処置だ。感情の濁流に飲み込まれないための、一時的な逃げ場。だから、続かない。必ず終わる。短い逃避行のようなものだ。



 何かを塞がないと、心が落ち着かない。

口とか、喉とかどこかに痛みを加えたくなる。苦しみを別の苦しみに変換して、痛みをそのままの痛みとして受け取らないように。私を生かしているのは喜びではなく、苦しみの方なのかもしれない。



  私は、しっかりとした道を歩いているのか。それとも、糸の上でバランスを取っているのかはっきりと分かっていない。確認しようとするが、目を落とせない。本当の真実を見つめてしまったら、何かが崩れてしまう気がするのだ。





文:神野藍

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