韓国大統領選挙に見る「排除と抑圧」の台頭【佐藤健志】の画像はこちら >>



 



◆進歩への絶望がもたらすもの

 時代の経過とともに、物事はどんどん望ましいものになってゆく。



 このような「進歩」の発想は、18世紀後半に誕生したものですが、20世紀に入るころには世界的に定着、なじみ深いものとなりました。



 



 けれども21世紀の世界では、新自由主義型グローバリズムによる格差の拡大、気候変動による自然環境の悪化、新たな感染症によるパンデミックの危機など、解決のメドの立たない問題が多々存在する。



 これでなお進歩を信じようとすれば、首尾一貫した現実認識を解体することで、「いや、物事はうまく行っているんだ!」と自他に言い聞かせるしかありません。



 しかしこれは「自分の都合にあわせて認識をどんどん歪める」のとイコールですから、物事は「何でもあり」になってゆき、いよいよ収拾がつかなくなります。



 これは何をもたらすか?



 



 お分かりですね。



 未来への展望が拓けない以上、過去が魅力的に見えてくるのです。



 パッとしない「現状」を捨てて、古き良き「原状」に戻りたい、そんな話になってくる。



 人間の自然な心理でしょう。



 



 ところが過去回帰を実践しようとすると、とんでもないことになる。



 戻るべき原状は、収拾のつかない現状によって否定されているのです。



 原状を取り戻すには、まず現状を否定しなければならない。



 ずばり、破壊に走るしかありません。



 



 のみならず。



 世界を丸ごと過去に戻すなど、しょせん不可能事。



 ゆえに過去回帰をめざす者は、ただでさえ歪んだ現実認識をさらに歪曲、「いや、原状は甦りつつあるんだ!」と自他に言い聞かせつつ、破壊を繰り広げるハメに陥る。



 物事がいよいよメチャクチャになるのは避けられません。



 つまりは失敗を運命づけられているのですが・・・



 



 その過程で見過ごせない副作用が生じる。



 「原状回復のための現状破壊」の試みは、社会の分断を激化させるのです!



 これは何に行き着くか?



 「韓国戒厳令騒ぎの『滅亡と絶望』」に続き、今回も隣国の政治情勢を題材に、この点をさぐってゆきましょう。







◆韓国の政治情勢は複雑怪奇

 2024年12月3日深夜、韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領は突如、「国民の自由と幸福を奪い取る反国家勢力を一掃し、自由な憲法秩序を守る」として非常戒厳を宣言しました。



 「今や韓国は危機的状態に陥っており、いつ崩壊してもおかしくない」のだとか。





 けれどもくだんの非常戒厳、一切の政治活動の禁止、メディアの統制、「社会的混乱を煽る」集会の禁止など、国民の自由を全面的に制限するもの。



 反国家勢力の筆頭に挙げられたのも、左派系の最大野党「共に民主党」でした。



 韓国では1987年6月に「民主化宣言」が出されるまで、長らく権威主義体制が続いていましたが、ユン大統領の非常戒厳は、そのような政治システム(わけても1970年代の「維新体制」)への回帰をめざすものだったのです。



 自由な憲法秩序も何もあったものではない!





 はたせるかな、国会がただちに解除要求を決議したこともあって、大統領はわずか数時間で非常戒厳を解除。



 12月14日には、やはり国会から弾劾までくらいました。



 



 その直前、12月10~12日に韓国ギャラップが行った世論調査では、弾劾に賛成と答えた者が75%にのぼりましたし、弾劾決議案の採決にあたっては、保守系の与党「国民の力」からも賛成票を投じる議員が出ています。



 大統領の支持率は、就任以来最低となる11%。



 「国民の力」の支持率も、11月末の32%から24%に急落しました。



 ちなみに「共に民主党」の支持率は、このとき40%です。



 



 そして2025年4月4日、憲法裁判所が全員一致で弾劾を妥当と判断したことにより、ユン大統領の罷免が決まりました



 これに伴い、6月に大統領選挙が実施されることに。



 有力候補と目されたのは、「共に民主党」のイ・ジェミョン(李在明)前代表と、「国民の力」のキム・ムンス(金文洙)前雇用労働相ですが、序盤からイ候補がリード、当選を果たしました。



 



 保守系の大統領が暴走のあげく自滅、左派を利する結果となった。



 ごく大まかにまとめれば、そういう話になるでしょう。



 けれども、事はそう単純ではありません。



 



 2025年1月、ユン大統領の支持率はV字回復したのです。



 韓国の「世論評判研究所」が同月半ばに行った調査では、大統領を「非常に支持する」と答えた者が42%、「支持するほうだ」と答えた者が10%と、あわせて50%を超えました。



 韓国ギャラップが同時期に行った調査では「国民の力」の支持率も39%まで戻し、「共に民主党」の36%を上回っています。



 世論調査会社「リアルメーター」など1月20日、「国民の力」の支持率を46.5%(「共に民主党」は39%)と発表。



 おっと、遅まきながら大統領の憂国の情に共感したか?



 



 ・・・ところがギャラップの調査では、このときも57%の人が弾劾に賛成しているんですね。



 「共に民主党」の支持率も回復、1月下旬にはふたたび「国民の力」を上回りました。



 リアルメーターが3月末に発表した調査では、「共に民主党」47.3%、「国民の力」36.1%となっています。



 



 調査元がさまざまなので、数字を直接的に比較することはできないとしても、相当に複雑怪奇というか、収拾のつかない状態なのは明らか。



 いったい、何が起きているのか?



 



◆分断が生み出す〈排除の誘惑〉

 これを明快に説明したのが、アメリカのシンクタンク「外交問題評議会(Council on Foreign Relations)」のサイトに4月15日付で発表された論評「大統領弾劾後の韓国政治」です。



 いわく。



 



 【新たな政治的変化が生じる中、韓国社会の直面する根本的な問題は非常戒厳騒ぎによって深刻化した。二つの主要政党(つまり「国民の力」と「共に民主党」)の支持者の間の分断は激しくなるばかりだった。】



 【この対立激化は、相手をひたすら「悪の勢力」と見なす姿勢が双方の側に根づいたことに起因するものであり、建設的な政策論議ではなく、スキャンダルをネタとする誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)合戦が展開される。このため二大政党の支持率は、皮肉なことに、戒厳騒ぎの前よりそろって向上したのである。

】(英語より拙訳。カッコは引用者、以下同じ)



 



 近年の韓国では、政治的な立場の違いによる分断が大きな社会問題となっています。



 有力紙「朝鮮日報」が2023年はじめに報じた調査結果によれば、韓国人の約4割は、政治的な考え方の違いで家族や友人と気まずいことになった経験があり、「政治的な立場が異なる者とは、一緒に食べたり飲んだりできない」と思っているとのこと。



 それどころか・・・



 【政権が「自分の側」かそうでないかによって、(コロナ対策のような)政治とは無関係の政策評価まで二極化する。一つの国に、事実上二つの国民が暮らしているわけだ。



 



 引用した箇所の最後は、「一つの現実に、二つの現実認識が存在しているわけだ。二つの認識はともに歪んでおり、共存することができない」と言い直せば、より適切でしょう。



 すでに韓国では、首尾一貫した現実認識が解体され、「何でもあり」と化しているのです。



 



 この場合、保守派と左派のどちらも「相手側さえいなければ、物事はうまく行くはずだ!」と自他に言い聞かせることはできる。



 ただし現実には、相手側が厳然として存在します。



 つまり物事はうまく行きません。



 



 同時に、相手との対立や分断が解消される展望もない。



 というか、相手側は「悪の勢力」なんですから、和解などしてはいけないんですな。



 もはや収拾のつけようがない。



 さあ、どうする?



 



 お分かりですね。



 社会が分断されていなかったか、少なくともそのように見える時代、すなわち過去が魅力的に見えてくるのです。



 わけても保守派の人々の間で。



 



 過去から受け継いだ歴史や伝統を尊重しているか、少なくともそのつもりでいるのが保守派。



 おまけに民主化以前の韓国では、保守派と左派の分断など、たしかに存在しませんでした。



 後者は政権によって厳しく抑圧されていたからです。



 



 朝鮮日報の調査では、対象となった人の3分の2あまり(67.3%)が「社会の政治的対立が共同体を不安、または危険にしている」と回答したそうですが、過去回帰を実践すれば、対立勢力の存在を排除できる!



 共同体はめでたく安泰となります。



 物事もふたたび、うまく行くはずでしょう。



 ついでに「政治的立場が違う人は、国の利益よりも自分たちの利益のほうに強い関心がある」と信じる者も65%に及んでいるのですから、そのような排除は愛国的行為。



 



 韓国は危機的状態にあり、いつ崩壊してもおかしくない。

国民の自由と幸福を奪い取る反国家勢力を一掃し、自由な憲法秩序を守る!



 ユン・ソンニョルがこう叫んで非常戒厳を宣言したのにも、それなりの理由があったのです。



 とはいえ韓国の場合、現状の破壊によって失われるものが大きすぎた。



 権威主義体制の時代は、今よりずっと貧しく、国際的地位も低い。



 本当にそんな原状へと戻る気か?!





 現実認識を歪めた報いで、憂国の情も空回り。



 率先して戒厳体制を敷くべき軍すら、真面目にやっているとは信じがたい振る舞いを見せるありさまで、大統領の試みは自滅に終わりました。



 た・だ・し。





◆現状破壊の行き着く果て

 「対立勢力との和解はありえないし、望ましくもないのだから、相手の存在を排除するしかない」という発想そのものは、多くの韓国人に共有されている可能性が高い。



 現に「共に民主党」はユン政権発足いらい、閣僚などにたいする弾劾案を乱発する戦術を取ってきました。



 その数、三年間で30回。



 「法律を悪用した政治暴力」「(非常戒厳に)劣らず深刻な国憲紊乱(こっけんびんらん=憲法秩序を乱すこと)行為」と批判されるとおり、こちらもこちらで対立相手を排除したがっている次第。



 



 ユンが非常戒厳を宣言したのにも、この戦術への対抗措置という意味合いがありました。



 ただし戒厳はそれ自体、「対立勢力を排除するためなら、現状を破壊して権威主義的な独裁をやってもいい」とする含みを持つ。



 物事に収拾をつけるためなら、民主主義とて否定すると構えたのです。



 分断が激化しないはずがない!





 戒厳騒ぎのあと、「国民の力」と「共に民主党」の支持率がそろって上がったのも、こう考えれば必然の帰結。



 ほかならぬ大統領から、とことんやりあうお墨付きをもらったようなものです。



 事実、「国民の力」の大統領候補キム・ムンスは、最後までユン・ソンニョルを支持した人物。



 2025年はじめ、韓国ではユン大統領の支持率と、ユン大統領への弾劾賛成が(異なる世論調査の結果とはいえ)同時に50%を超えましたが、これも「非常戒厳には賛成できないが、対立勢力を徹底的に排除しようとする姿勢には共感できる」ということではないでしょうか。





 関連して注目すべきデータがあります。



 韓国のシンクタンク「東アジア研究院」が2025年3月に発表した「政治の二極化に関する意識調査」によると、「現在の韓国は民主主義的ではない」と答えた者は32.7%。



 「状況次第では民主主義より独裁のほうが良い」と答えた者も16.2%にのぼりました。



 さらに「民主主義でも独裁でも構わない」という回答が8.8%。





 合計すると25%、つまり4人に1人は独裁容認なのです。



 「国民の力」支持者の場合、容認派は38.6%に達しました。



 無党派では32.5%、「共に民主党」支持者でも9.3%がそう答えています。



 党名に「民主」が謳われていようとこの始末。



 イ・ジェミョン候補の当選も、「民主主義の勝利」とは呼べないのかも知れません。





 「原状回復のための現状破壊」は、対立勢力の排除を正当化したあげく独裁容認へと行き着くのです!



 そして物事が「何でもあり」と化して収拾つかなくなっているのは、現在の世界全体に見られる状況。



 2025年、われわれは「排除と抑圧」の時代を迎えるのではないでしょうか?



 続きは次回、お話ししましょう。





文:佐藤健志

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