早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。

いったい自分は何者なのか? 「私」という存在を裸にするために、神野は言葉を紡ぎ続ける。新連載「揺蕩と偏愛」がスタート。#4「知らない人間に出会うために、一人でどこかに出かけたくなる理由」



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#4  知らない人間に出会うために、一人でどこかに出かけたくなる理由



 無脂肪ミルクにしようとカスタムボタンを押したところで、「現在この店舗ではカスタムを選択できません」と非情な文言が表示された。戻って選び直すのも面倒で、変更しないままオーダーボタンを押した。出来上がりまでは10分と表示されている。新幹線の出発時刻は7時19分。まだ余裕がある。この階段を急いで登らなくても間に合うはずだ。やはりアイスにすれば良かっただろうか。家からバタバタと出てきたせいか、夜の寒さ対策のために着込んだヒートテックのせいか、じんわりと身体が熱い。いや、結局ホットで良かったと思うはず。座席に着く頃にはきっと熱はどこかへ消え去ってちょうど良くなるだろう。

思考が浮かんでは消えていく中で、カウンターの中から私の名前が聞こえてきた。



 4ヶ月ぶりに京都に来た。前回は12月で、身体の芯まで冷える寒さだったのを覚えている。今回は新幹線を降りた瞬間に太陽が私のことを照らしてきた。思わず目を細めそうになるが、そんな時間すら惜しい。今日やらないといけないことが沢山ある。烏丸線の改札を目指して人の海をかき分けて器用に泳いでいく。私の周りを飛び交う言葉は日本語ではなく、まるで知らない土地に迷い込んだようであった。



 数時間かけてゆらゆらと街を彷徨い、最終的にお気に入りの店へと辿り着いた。快く迎えてくれる京都の知人たちと、絶妙な距離感で接してくれる店主がいる。私にとって京都の実家みたいな場所。私が何者で、何を生業にしている人間なのかは詳しく話していない。

きっとよく東京から京都に遊びにくる、酒を飲むのが好きな人間ぐらいにしか認識されていないだろう。



 誰もいないプールで浮き輪の穴にお尻をはめ込んだ状態でぷかぷかと漂うような、生暖かい時間が流れている。血中に取り込んだアルコールのせいかと思ったけれど、どうやら違うらしい。同じ、いやそれ以上にアルコールを流し込んでも、東京ではこんな気分に陥らない。こんなに無防備に笑わないし、誰かと話すことはない。





 私は京都の魔術にかかっているのかもしれない。





 知らない人間に出会うために一人でどこかに出かける。出会うといっても話したいとか、友達になりたい欲求に突き動かされているわけではない。ただ見ていたいだけ、話す言葉に耳を傾けていたいだけ。私の世界の外にいる人たちを眺めて、空気と同化している私に安心する。





■私が私でいるために



 私のことを聞かれるのに疲れたときに、どこかへの切符を手に入れようとする。近すぎるのは良くない。

既に見知った人がいる確率はできる限り低くしておきたいと思ってしまう。朝に飛び出して、その日の夜に帰ってこられるような場所、結局私はまた京都へと足を延ばしてしまう。



 誰かとの旅行の帰り道はさびしくなるのに、一人で出かけた帰り道は寂しくならない。最終の新幹線に身を任せながら、私に戻る準備をする。通知だけ確認して、わざと止めていた連絡を一件ずつ返していき、少しずつ勘を取り戻していく。友達からの他愛のない日常の話、遊びの誘い、仕事相手からの会食の誘い。通知の数が減っていくと同時に、非日常と日常の境目でゆっくりと気持ちが変化していく。





 またしばらくは私のままでいることができそうだ。





 次はどこに行こう。そろそろ違うところに行きたい。でも、行き先探しを頑張れる気がしない。徐々に画面の中に流れる話題に視線が追いつけなくなり、身体の中で溶け切ったアルコールが私を眠りへと落としていく。

最後にペットボトルに残った温い水を身体の中に注ぎ込むとすぐに、私の力が尽きた。





 家のドアを開けると、部屋の奥からチャッチャッと床と爪が擦れる音が徐々に近づいてくる。茶色の温もりが私の足の周りをぐるぐると回っている。触れると尻尾の振り幅がぐんと増した。バッグの中からお土産を取り出す。最近、どこに行っても「おうちで待っているワンちゃん・猫ちゃんへ」という謳い文句が増えた気がする。自己満足の罪滅ぼしだが、何もないよりはこの子の機嫌を取れる。





 そして、ただいまと声をかける。それは小さな家族にも、いつもの私にも。





文:神野藍



(新連載「揺蕩と偏愛」毎週金曜日午前8時配信)

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