子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【15冊目】「いきなり『鳩よ!』と言われても」をどうぞ。



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【15冊目】いきなり『鳩よ!』と言われても

 



 いつだったか、某大手出版社の新雑誌立ち上げに関わったことがある。創刊準備号の記事用にワセダミステリクラブ(早稲田大学のサークル)に取材に行き、「ライターの新保です」と名乗ったら、学生さんたちの反応が「えっ!?」って感じでちょっとざわつく。何事かと思ったら、著名なミステリ評論家の新保博久氏と勘違いしていた――なんてこともあった。その取材は版元担当者からの依頼だったが、こちらから企画を出したりもした気がする。



 全体会議みたいなやつにも呼ばれた。大きな会議室で、編集部のスタッフはもちろん、会社の偉い人も何人か出席している。「ずいぶん力を入れてるんだなあ」と思ったし、そんな雑誌に関われるのはありがたいとも思った。が、喜んだのもそこまで。とにかく話が進まないのだ。何かが決まりそうになるたびに偉い人が話を振り出しに戻す。あげくの果ては「誌名はこれでいいのか」みたいな議論が始まってしまった。



 いや、その話を今する? そんなことはそっちで決めてから呼んでくれよ! フリーの立場としては、そう思わざるを得ない。

会議にギャラは出ないので、ムダに時間を拘束されては困るのだ。お昼に弁当は出たが、「なんでここにいるんだろ?」と思いながらモソモソ食ったのを覚えている。



 結局、その会議で誌名は決まらず、新雑誌自体も立ち消えになってしまった。ワセダミステリクラブの取材も記事にはならず。多少なりともギャラをもらったかどうかは記憶にない。あの会議は、いったい何だったのか……。 



 とはいえ、誌名は大事である。雑誌の中身やイメージを体現しつつ、インパクトがあって覚えやすい。そんな名前が望ましい。当連載でこれまで取り上げた雑誌でいえば、『広告批評』『モノ・マガジン』なんかは「名は体を表す」パターン。『ぱふ』や『ぴあ』は意味不明ながら、目につきやすいし覚えやすい。



 どの雑誌のタイトルもそれぞれに頭をひねった結果である。

それなりのプロセスを経て「これでいこう!」と決められたはずだ。にしても、「なんでこうなった?」と思わず表紙を二度見してしまうものもある。その筆頭が『鳩よ!』(マガジンハウス)だった。



 なぜ鳩? 鳩に呼びかけてどうするの? いくらなんでも唐突すぎない? 頭の中に大量の疑問符が浮かぶ。創刊号(1983年12月号)表紙のキャッチコピー「ポエムによるニュージャーナリズム」というのもイマイチわからないが、とにかくポエム=詩の雑誌なのだろうと思いつつ、とりあえず手に取った。





いきなり『鳩よ!』と言われても【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」15冊目
『鳩よ!』(マガジンハウス)1983年12月創刊号。題字は当時の社長・清水達夫氏筆



 



 ページを開くと、もくじに続く「今日のコトバよ、詩になれ!」というコーナーの冒頭に当時のマガジンハウス社長・清水達夫氏による「『鳩よ!』創刊の言葉」が記されている。



〈新雑誌「鳩よ!」は世界の詩人たちの舞台です/そして、詩人たちのパートナーとしての画家や写真家や彫刻家やイラストレーターやグラフィックデザイナーや音楽家やすべてのアーチストたちの舞台です/新雑誌「鳩よ!」はポエムによる新しいジャーナリズムを開発しようと目指すマガジンです/登場する詩人たちも万葉の古典から明治大正昭和の詩人たち 外国の詩人たち 現代詩の人びと 歌人や俳人 シンガー・ソングライターや演歌の詩人たち CMやCFの世界をつくるコピーライターたち すべてに舞台を開放したいと考えています〉



 誌名の説明はないが、広く“詩のような言葉”を扱う雑誌ということのようだ。そのコンセプトを象徴するのが「コピーライターのコトバ特集」。表紙にある「うん、時代を手さぐりして、CMコピーは詩になったのだね。」との見出しからして、いかにも80年代のコピーっぽい。



 



11冊目】で書いたように80年代は広告ブームで、コピーライターがスター扱いされていた時代である。巻頭特集「ランボーが圧倒的。ランボーってだれ?」で取り上げた詩人のランボーも、まさに当時のサントリーローヤルのCM「あんな男 ちょっといない」で一気に知名度が上がった人物だ。

偶然の一致というよりも、広告コピーが注目された時代の流れに乗った創刊と考えるのが自然だろう。 



 というか、何のことはない、ランボー特集の末尾でそのCMについての言及があり、CMプランナーのコメントとコピー全文が掲載されている。特集冒頭には繰上和美によるイメージ写真にランボーの詩をからめたグラビアがあるが、それもまたCMのビジュアルにインスパイアされた感じで、CMありきの企画としか思えない。





いきなり『鳩よ!』と言われても【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」15冊目
ランボー特集の扉。『鳩よ!』(マガジンハウス)1983年12月創刊号p8-9より



 



 「コピーライターのコトバ特集」には、糸井重里、眞木準、長沢岳夫、魚住勉、土屋耕一といった売れっ子コピーライターへのアンケートのほか、開高健、山口瞳らのサントリー時代の作品、大正から昭和にかけての天才コピーライター・片岡敏郎の紹介記事などが並ぶ。



 〈「鳩よ!」のキャッチコピーを考えてください。〉という募集告知も目を引く。審査員はCMプランナーの杉山恒太郎と川崎徹、コピーライターの杉本英介、『鳩よ!』編集長、マガジンハウス宣伝部長といったメンツ(杉山恒太郎は前述のサントリーローヤルのCMを手がけた人物)。「詩の雑誌」を標榜するなら一人ぐらい詩人を入れてもよさそうなものだが、このギョーカイっぽさがマガジンハウスらしいとも言える。



 ほかに、中島みゆきの歌詞、ねじめ正一、伊藤比呂美、吉原幸子らの詩(既存の詩集からの抜粋)や杉田かおる、林葉直子の詩(書き下ろし?)にイメージ写真を付けたグラビア風のページがあるかと思えば、谷川俊太郎⇔佳村萠、岩谷時子⇔坂東玉三郎、久保田早紀⇔村上春樹、内藤陳⇔水森亜土、井坂洋子⇔桑田佳祐の「手紙詩」(往復書簡的なもの)、たむらしげるのマンガや渡辺和博のエッセイ風小説連載もあった。映画や本の情報コーナーは「POP・POP・POP」と書いて「ポッポッポ」と読ませる(『鳩よ!』だけに)。



 どの雑誌でも創刊号は方向性が定まり切らず混沌としているものだが、『鳩よ!』も例外ではない。個人的には正直あまりピンとこなくて、2号目以降を続けて買う気にはなれなかった。

当時は大学生で、懐事情が厳しかったというのもある。



 たまに書店でパラパラ立ち読みはしていたが、次に同誌を買ったのは3年後、1986年12月号だった。なぜその号を買ったかというと、本の特集だったから。〈作る、売る、読む。本は今日もドラマチック。〉との惹句のとおり、編集者にもスポットを当てている。大学4年生、すでに就職活動は終盤だったが、出版社をめざしていた身としては、興味を引かれるのも当然だ。 



 巻頭は、内田春菊による一日書店員体験ルポ。続いて、「ユニークな本を生む編集者は何者?」と題された記事で3人の編集者が登場する。



 トップバッターは、林真理子の初エッセイ『ルンルンを買っておうちに帰ろう』、渡辺和博とタラコプロダクションの『金魂巻』など、ベストセラーを連発する主婦の友社・松川邦生氏。2人目は、坂本龍一主宰の出版社・本本堂の義江邦夫氏。そして3人目が〈直木賞製造マシーンは、作家と血ダルマになって人生劇場する〉と紹介される見城徹氏だ。



 当時は『月刊カドカワ』編集長で〈業界の暴れん坊、注目度No.1の若き青年編集者はアルマーニに身を包んでやってきた〉〈「とりあえず、食事でもしながら話をしましょうか」と先手を打たれ、もしやここはニューヨーク、まるでビジネスランチ、と、きっちりしめられたネクタイを見つめてしまう〉と、のっけから押し出しの強さを感じさせる。





いきなり『鳩よ!』と言われても【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」15冊目
『鳩よ!』(マガジンハウス)1986年12月号。記事画像はp12-13より



 「業界アマプロ人 本のことなら聞いてください。」のコーナーでは、取次や小出版社、自費出版社、書店カバー愛好家、貸本文化研究家、投書投稿評論家など、本に関わるさまざまな立場の専門家にインタビュー。泉麻人、正木ノンによる執筆日記、玖保キリコ、渡辺えり子(現・えり)、松浦理英子、島田雅彦らに聞く「この本で私が変わった一冊との出会い」など、定番的な企画もある。



 特集にしっかりページを割きつつ、投稿コーナー「読者からの詩」、詩人が自分の原点となった詩について綴る「詩の領分」、新作や詩集からの再録を掲載する「今月の詩」など、詩の雑誌としての根幹はキープ。創刊号から続く「POP・POP・POP」や「今日のコトバ」ほか、連載もいくつか。創刊時と比べると、デザインも含め雑誌としてはずいぶんまとまってきたというか、こなれてきた感じがする(キャッチコピーも「ポエティック情報誌」に変更されていた)。



 その後は、「コミックソングを歌おう!」(1987年6月号)、「万有博士 澁澤龍彦」(1992年4月号)、「記録魔」(1994年11月号)、「おばかな本」(1995年7月号)、「読書の最前線」(1997年4月号)など、気になる特集があれば手に取ってきた。



 



 なかでも個人的にグッときたのは「コミックソングを歌おう!」だ。目玉企画は、著名人によるオリジナルコミックソングのお披露目。しりあがり寿「女心」、宮沢章夫「史上最大の引っ越し」、えのきどいちろう「恋の京葉道路渋滞中」、泉麻人「哀愁のダッチワイフ」、蛭子能収「老けた女の想い出ばなし」といった架空の曲の歌詞が並ぶ。



〈八代亜紀なんかが本気で唄いこんでくれると、迫力あるだろーな〉(しりあがり)、〈僕の高校時代に歌って踊れるファンキー夫婦“サンタ・クララ”というのがいて、「男と女」という名曲を残したんだけど基本的にあのセンでやって欲しい〉(えのきど)、〈(歌うのは)佐良直美さんが良いと思います。詩は演歌っぽいですが、私はボサノバ調でいきたい〉(蛭子)と、各人が勝手な妄想をしているのもいい。





いきなり『鳩よ!』と言われても【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」15冊目
『鳩よ!』(マガジンハウス)1987年6月号。記事画像はp4-5より



 



 青島幸男が自身作詞のクレイジー・キャッツの歌詞を語り、大瀧詠一がクレイジー・サウンドの生みの親・萩原哲晶の魅力を語る。トニー谷を筆頭に、小林旭、美空ひばり、橋幸夫、ドリフターズ、左とん平らのコミックシンガーとしての側面を解説したかと思えば、ミツワ石鹸のCMなどで知られる三木鶏郎の「冗談音楽」を紹介。今見ると貴重な資料だが、当時としても豪華なラインナップであった。 



 ちなみに、この号の「編集部より」には〈雑誌は時代とともに変わる。と大ゲサに言うほど“鳩よ”は、生き続けてきたわけではないが、このへんで変わろうと思う。そのこころみが今月号である。来月号は、もっと変身するつもりだ〉との記述がある。



 次号を見ても劇的に変わったわけではないが、マイナーチェンジはその後も何度かあった。そして、1999年11月号にて大幅なリニューアルが行われる。A4変形判・中綴じからA5判・平綴じ、つまり『本の雑誌』などと同じ仕様になり、内容も“オシャレな『本の雑誌』”という感じになった。特集は「尾崎翠 モダン少女の宇宙と幻想」。尾崎翠は、大正期に活躍した少女小説家だ。誌面に「詩の雑誌」の面影はなく、文芸情報誌として生まれ変わったのだ。



 「アニメ世代の心のゆくえ」(2000年1月号)、「しりあがり寿 辺境を行く」(2001年10月号)、「やまだないと 「リアル」ってなんのこと?」(2001年11月号)などサブカル的な特集もあった。「アニメ世代の心のゆくえ」では、なんと萩尾望都と庵野秀明の対談(司会:佐藤嗣麻子)が掲載されている。連載陣も斎藤美奈子、嵐山光三郎、松尾スズキ、町田康、小林紀晴、一條裕子ほか、なかなかの充実度だった。



 しかし、2002年5月号をもって『鳩よ!』は休刊する。最後の特集は「斎藤美奈子の文芸批評 L文学宣言!」。休刊のあいさつで編集長・喜入冬子氏は次のように綴る。



〈1983年末、まったく新しい詩の雑誌として誕生した『鳩よ!』は、その後、何度かリニューアルし、マガジンハウスらしい文芸誌のあり方を模索し続けてきました。(中略)今号は、長年『鳩よ!』に原稿を寄せてくださった文芸評論家の斎藤美奈子さんの特集ですが、同時に、私が仮想読者に据えた20~30代の女性読者に向け、いったいどのような文芸誌を作ろうとしていたかがよくわかる特集になりました〉



 リニューアルして2年半での休刊は志半ばの無念さもあろうが、『鳩よ!』なんて素っ頓狂な名前の雑誌が20年近く存続しただけでも立派。しかし、なぜ『鳩よ!』なのかはわからずじまい(ネット検索もしたが有力情報に行き当たらず)だった。



 なお、後継誌として『ウフ.』というPR誌が創刊されたが、こちらは〈フランス語で卵という意味です〉とのこと。シャレてはいるが『鳩よ!』のインパクトには到底及ばない。



  



文:新保信長

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