「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」のスライ・ストーンに続き、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが亡くなった。スライと同じ享年82。
■レッド・ツェッペリンと「中2病」
近田:前回、スライ・ストーンについてのLINEのやり取りをそのまま載せたけど、ライトだしフレキシブルでいいっすね。これからも、やろうか?
適菜:やりましょう。
近田:これ今までになかったよね。どんどんやったら面白いよ。どんな話題でも、どっちかが振れば、そこから意外な方向に展開するし! ところで、適菜さん、ブライアン・ウィルソンは全然興味なかったでしょ? 俺も全く聴いてないんだけどさ。しかし訃報が続くよね。
適菜:私もビーチ・ボーイズはあまり聴きませんでした。有名なアルバムを聴いたくらいです。
近田:世代のこともある。適菜さん干支はなんでしたっけ?
適菜:うさぎ年です。
近田:じゃ一緒だぁ! なんか嬉しいねぇ。24歳下なのね。適菜さんはロックよりソウルだもんね。ホントに昔のことよく知っててびっくりだけどさ。
適菜:ロックもそれなりに聴いたのですが、高校生あたりからブラックミュージックを聴くことが多くなりました。ちなみに初めて買ったCDのシングルはガンズ・アンド・ローゼズでした。
近田:ガンズなんだぁ!若い~。
適菜:中学2年の頃。ガンズがデビューしたばかりで、「Welcome to the Jungle」という曲だったと思います。
近田:俺、もうそのあたりはロックちゃんと聴いてなかったなぁ!
適菜:中学のときはレッド・ツェッペリンをよく聴いていました。
近田:1枚目のアルバムはすげー聴いたよ。
適菜:私は7作目の『Presence』でしょうか。「Achilles Last Stand」とか好きでした。
近田:それにしても適菜さんよくそんな自分の生まれる前の音楽、夢中で聴いてたよね!
適菜:「Presence」は生まれた後でした。中学2年生当時は、まさに「中2病」というやつでしょうか。日本のロックよりイギリスのロックのほうがカッコいいと思っていました。
近田:違うものだったしね。この国でロックを演ろうとするとそのことで頭の中が結構ぐちゃぐちゃになっちゃって、それは未だに解決してないかも。自分のやっていることは、果たして"ロック"なのだろうか?的な。
適菜:高校生くらいになって、いろいろ聴いていると、イギリスのロックもしょぼいのがたくさんあるし、日本のロックもいいものがたくさんあることに気づきました。それで高校生のときは日本のロックもよく聴くようになりました。
近田:和物はどのあたりでそのことに気付いたの?
■忌野清志郎とブッカー・T
適菜:中学生のときにRCサクセションをよく聴いていたんです。
近田:なるほど。俺はRCというとデビュー曲「宝くじは買わない」が好きで買ったんだけど、ロックというよりフォークのイメージが強かったかなぁ?
適菜:初期のRCはフォークですね。私は『シングル・マン』を一番聴いたかもしれません。最初の曲はタワーオブパワーが参加していて、たしか星勝が編曲で。
近田:そうそう。星勝さんは結構、渋い仕事してたよなぁ。しかし適菜収、詳し過ぎ! 下井草(本連載本編対談の構成者)もいろいろ詳し過ぎだけど、負けてないね。
適菜:いえ。好きな曲はそうかもしれませんが、日本の音楽の全体のことはあまりわかっていません。そういえば、井上陽水と清志郎の「帰れない二人」の編曲も星勝ですね。モップスのベースだった人が中古自動車の会社をやっていて、一度会ったことがあります。
近田:三幸太郎さん?
適菜:太ったおじさんでした。名前は忘れてしまいました。
近田:じゃあ、初代の方かも。
適菜:スタックスで思い出したのですが、近田さんのブッカー・Tの「Melting Pot」の演奏(https://x.gd/pquHR)、カッコいいですね。
近田:あ、それは嬉しい。
適菜:実は私、ブッカー・Tは苦手でしたが。
近田:え! ブッカー・T、苦手だったんだぁ! 信じらんない。
適菜:個人的な事情です。
近田:そんなものがあったんだぁ!
適菜:学生時代の知り合いでMG'sを神格化している奴がいて、そいつへの反発があったのかもしれません。
近田:あ、そういう事情ね。忌野清志郎もブッカー・Tと録音してたよね。
適菜:清志郎がはしゃいでいて。「ついにメンフィスに来た」みたいな。私がMG'sを知ったのは、中3くらいの頃で、エリック・クラプトンのビデオを借りてきたら、ダック・ダンがベースを弾いていた。
近田:それは見てないわ。俺さぁ、ブッカー・Tの仕事で好きなのはウィリー・ネルソンの「Stardust」だなぁ。すんごくシンプルでさぁ。カントリーの大御所ってのがなんか渋い組み合わせで!
適菜:今、ユーチューブで聴いています。いいですね。
近田:本当にいつ聴いても新鮮。
適菜:じゃあ、私がまとめておきます。でも、このままだと短すぎるので、追加でLINEでやりとりをするのはどうでしょうか。近田さんが学生のころの音楽事情についても聞きたいですし。
■「音楽との遭遇」とウォークマン
近田:うん。そうしよう。
適菜:近田さんの音楽との出会いは、最初はなんですか?
近田:3歳の時に春日八郎の「お富さん」が大ヒットして、町中で流れていて、意味も分からず歌詞を丸暗記して、近所で大声で歌って……。あとになって母親から、すごく恥ずかしかったって言われた。それが一番最初かなぁ?
適菜:いい話ですね。
近田:適菜さんは?
適菜:クインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」の話は以前しましたが、実家に何枚かレコードがあったんです。それを幼稚園の頃に聴きました。覚えているのは、子門真人の「およげ!たいやきくん」とポール・モーリアとアリス、それと中島みゆきと研ナオコの曲が交互に入っているカセットテープがあって。あとテレビでピンクレディーを見て、怖かったです。大きな女が手をふりまわして踊っていて。アリスのレコードの冒頭部分で、「ドン、ドン」という小さいドラムの音が大きな音になっていくのがあって、それは印象に残っています。
近田:実家、相当幅広い趣味よね(笑)。
適菜:私の父は音楽のことはまったく知らないので、たぶん、当時流行っていたものを買ったのだと思います。
近田:なるほど。しかし24歳違うと本当にいろいろ初体験も違うよね。それがすごく俺には面白いっす!
適菜:私が小学校の4年生のときに父が、多機能のウォークマンのようなもの(ソニーではなくて松下電器製のもの)を買ってきて、説明書を熟読しただけですぐに使わなくなった。私はそれを使ってラジオを聴いたり、中島みゆきのカセットテープを聴いたりしました。
近田:ウォークマンといえば、その頃ソニーから一般販売の前にモニターで貰って、それで細野晴臣さんたちが作った『PACIFIC』ってアルバムをカセットにして、毎日のように街中で聴いていた。歩きながらのBGMってそれまで体験がなかったのですごく新鮮だった。
適菜:松下電器のウォークマンもどきは、多機能で、録音もできて、重くて外で聴くような感じではありませんでした。
近田:松下電器はいつもその手で、後追いでマーケットを牛耳るのよ。通称「マネした電器」だったから、昔は。
■チェッカーズと家族経営
適菜:小学校に入ると、チェッカーズが大人気でした。小学3年生のときに授業が終わった後のホームルームで、大きな紙にチェッカーズの歌詞が書かれ、それを見ながら、クラス全員で歌わされるということがありました。「涙のリクエスト」とか。「翼をください」とか他の曲を歌う日もあったのですが、当時は「なにがチェッカーズだ、けっ!」みたいな感じで。40を越えてから、チェッカーズのよさがわかるようになりましたが。
近田:チェッカーズ、学校で歌わされたんだぁ(笑)。チェッカーズはクールスのオマージュだね。編成を見ても。クールスの元はシャナナだね。
適菜:九州出身の元不良という設定の歌詞が多いですね。「OH!!POPSTAR」とか「Jim&Janeの伝説」とかも。
近田:チェッカーズの仕掛け人は秋山道男。
適菜:チェッカーズがオールディーズをやっているのは、好きです。ドゥーワップとか、ブラックミュージックが好きなんだろうなというのが伝わってくる。
近田:いいよね。そういえば藤井フミヤと藤井尚之の兄弟それぞれに歌詞書いたことあるよ。
適菜:おお。なんてタイトルの曲ですか。
近田:フミヤは「far away」、弟は「キスの嵐」だったかな?
適菜:「キスの嵐」、今、見ました。いいですね。尚之、フミヤに声が似ている。兄弟だから当たり前かもしれませんが。
近田:声似てる。顔は似てないけど。
適菜:フミヤのお母さんは、尚之をチェッカーズに押し込んだんですよ。
近田:そうなんだぁ! 知らなかったぁ。
適菜:そういう家族経営みたいな感じもいいですね。
近田:だね!
適菜:スライもジョージ・クリントンも家族をバンドに入れる。九州は家族の絆が強いような気がします。
近田:うん。ファミリーだ!
文:近田春夫×適菜収