早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。
#5 待ち侘びていた書籍の発売日に大きな書店に向かった。神様は残酷だった
今日で全てが救われる、なんて思った日になぜ泣きながら言葉にしがみついているのだろうか。身体の真ん中あたりから嫌な気配が立ち昇ってくる。吐きたい吐きそうもういっそのこと指を突っ込んでみたら抱える気持ちの全てから解放されるのかもしれない。助けてくれと叫びながらも、私に手を差し伸べられるのは私しかいないのをとっくの昔に飲み込んでいた。
2025年6月17日。待ち侘びていた書籍の発売日を迎えた。
担当編集から「書籍にしましょう」と言われたあの日から約1年。初めての作業に追われながらも、自分が書いたものが本という形となることに心を躍らせていた。
夕方、ふわふわとした私はそのままの気持ちで大きな書店へと向かった。既に手元には本になったものがあったが、やはり売られているものを見てみたい。
目的地へと向かう途中、これまで起きたことを静かに思い出していた。そして深く息をはいて「やっぱり死ななくて正解だったなあ」と自分の中に吐き出していた。もう消えてしまいたい、なんて思うのはあの頃は日常茶飯事で、もはや生きるのが楽しいと思う日の方が珍しいほどであった。何をやっても、誰と会っても、ずっとずっと私の心が削り取られるだけで、新しい何かで私が満たされることはなかった。だからこそ、今日死ななくて良かったと、私につきまとう影に屈さなくて良かったと。目の前を流れていった過去に終止符を打つことができた。
神様は残酷だ。
もう少し私に心穏やかでいられる幸せな時間を与えてくれたっていいのに。どうしてこうも私の精神を切り裂いて、そこに汚い感情をどくどくと流し込んでくるのだろうか。
■どこの売り場に「私の本」が置いてあったか?
発売前から何となく気がついてはいた。本を出版するということは、過去の仕事を語ることでもある。過去のWEB連載を読んでいないか、私のことをよく知らない人からすると、この本が「告発本」か「性的な行為を手放しに肯定する本」だとどうしても受け止められてしまう。頭の隅でぼんやりと考えていたことが、どこの売り場に本が置いてあるかという明確な答えで私のところに答えが降ってきた。
「性的なことが書いていないのならば、意味がない」とまで言われたこともある。冗談だと信じたい。でも空気を読んでしまう私は全て笑顔で受け流してしまう。私が書きたいものは、そして身体から流れ出たものはこんな簡単に笑われていいものではないのに。
私は皆が用意した期待通りのシナリオをなぞる人間になりたくなかった。一つのストーリーに押し込めて、私が奥底に追いやってきた感情の欠片をなかったことにしたくなかった。ただ、向き合いたかった。
店頭に並ぶ本を眺めて、ただ満たされた気持ちのままで今日だけは穏やかに眠れると思った。気がついたらまた私は言葉に縛られて、内側から吐き出さないと消えてしまうという切迫した感情に襲われている。書かないと。今日も明日も、その先も。出版したから終わりじゃない。区切りがついただけ。私はまた次の欲しいものに向けて血のインクを滴らせる。いつまでも終わりは来ない、私という存在がいなくなるまでは。
そして、いつか誰かの救いになれる日が来るとしたら。
そんな未来に、私の傷跡が繋がっていてほしいと願う。
文:神野藍