曖昧な告発と世間の空気によって犯罪者にされたジャニー喜多川と、潰されてしまった事務所。その流れは、今年の中居正広とフジテレビをめぐる騒動にも引き継がれている。

悪役を作って叩きまくる快楽。しかし、その流行は誰もが叩かれる対象になる時代の到来ではないのか。そんな違和感と危惧を、ゲス不倫騒動あたりまで遡り、検証していく。





第4回 藤島ジュリー景子に二宮和也も激白。今もくすぶるジャニーズ叩きの構図は、どんなスキャンダルよりも不可解である

 



 『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』(早見和真)という本が7月中旬に出版される。ジャニーズ事務所の社長だったジュリーの告白を『笑うマトリョーシカ』などで知られる小説家がまとめたものだ。冒頭部分の50頁が「試し読み」として無料公開されていて、そこにはジャニーズ叩きの真っ只中で開かれた記者会見をめぐる、こんな想いが明かされていた。



 



「ただ、やっぱり、トラウマにはなりました。もう、二度と同じことはできないなって」



ーー何がいちばん怖かったですか?



「話を聞いてもらえないことですね。一方的に記者の方の主張を言われてしまうので、どんなに丁寧に対応しようとしても会話が成立しなかった」



 



 あの集団リンチのような状況について、犠牲者自ら語ったわけで、当時のバッシングがいかにひどいものだったかが伝わってくる。



 そんな状況について、筆者は2023年10月に『美空ひばりとジャニー喜多川、大物たちへの手のひら返しバッシング。マスコミの正体は「芸能の敵」である』という記事を書いた。



 そのなかで、1970年代前半に暴力団との交際問題で叩かれた美空ひばりのケースとジャニーズのケースが似ていることに言及している。



 



ーーたとえば、ひばりがステージママの加藤喜美枝とともにファミリーの結束をアピールしたところはジャニーズ事務所の同族経営的構造と重なるし、それぞれ、暴力団やセクハラ・パワハラといったものを世間が毛嫌いし始めた風潮が決め手になっている。また、ひばり側は弟の哲也が堅気に戻っていると主張したが、マスコミや警察はそれを信じなかった。これはジャニー喜多川にセクハラされたとする側の証言がかなり雑なのにもかかわらず、それをうのみにして雑な報道を繰り返すマスコミと同質だ。ーー





 ただ、違う点については触れなかった。ひばりバッシングとジャニーズバッシングの違い。それは「守るべきもの」の大きさだ。



 ひばりの場合、叩かれたのはひばり個人、あとはせいぜいその家族までだった。それゆえ、こんなコメントで抵抗することもできたのだ。



 



「これから先、ひばりボイコットがなお続くようでしたら、ひばりはただの加藤和枝にもどり、親子はおカユをすすっても生きていこうと思っています」



 



 しかし、ジャニーズの場合、叩かれたのはジャニー喜多川だけではない。法的にはまったく無実のまま亡くなった先代社長の、あったかどうかも突き止めようがない罪をめぐって、遺族や現役タレントたちが責任を取れ、犠牲になれと迫られたのである。マネジメント業務にも、タレントたちの活動にも支障が生じ、ジャニー以外にまで誹謗中傷が行われた。



 こうなるともう、故人の名誉どころではない。いろいろ体制を変えてでも、事務所をどうにか存続させ、何より現役タレントを守ることに決めたのだろう。そのためには、叩き続ける告発者やアンチ側のメディア、世間に許しを請い、補償金などを差し出して改悛を示すしかなかった。



 ある程度成功したタレントはともかく、売り出し中のタレントにとっては、たとえ数ヶ月の停滞でも芸能人生が暗転したりする。そういう事態を避けるためにも、一刻も早く騒動を終わらせたかったのだろう。 



 そのあたりを助言する人もいたようで、社外取締役として招かれた白井一幸がそのひとり。元プロ野球選手で、コーチを経て、企業研修講師としても活動するようになったこの人は、こう振り返っている。



 



「私はジャニーさんが亡くなっていて、事実認定はできなくても、被害を訴える人が出ていることは事実であり『それらを受け入れて謝罪をし、償わなければダメです』と伝えました」



 



 その「被害」が「事実」かどうかをもっと問題にすべきだったわけだが、四面楚歌みたいになっていたジャニーズ側にとっては光明に思えたのかもしれない。謝って償えば、騒動が収まるかもしれないのだから。



 実際のところ、白井もそう考えていたのだろう。そういえば、一昨年『ジャンクSPORTS』(フジテレビ系)に彼が出演したとき、共演者同士のお約束的な言い合いに「ちょっとー、仲良くやろうよ」と、ちゃちゃを入れる場面があった。そんな軽いノリで、うまく仲裁に入ったつもりだったのだろうか。





 バラエティー番組での言い合いとは異なり、この騒動は甘いものではなかった。むしろ、事務所が謝り、償うと宣言したことで、アンチ側はますますつけあがり、疑惑はやはり本当だったとして攻撃を拡大、激化させていく。



 ジャニーズ叩きは地獄絵図のような様相を呈し、そのなかでキャンセルカルチャーという現象が起きた。それこそ、ジャニー喜多川をめぐる明るい話題はタブーとなり、彼が命名したグループ名なども消滅。そこで思い出されたのが、1980年代なかばの岡田有希子をめぐるキャンセルカルチャーである。



 それについては、2023年11月に『「冤罪」で消されたジャニーズと岡田有希子。芸能を殺す人々こそ消えてくれ』という記事を書いた。



 現役アイドルが謎めいた自殺をしたことで「芸能界の闇」的な扱いをされ、彼女の作品などが十数年にわたって封印されてしまったことと、ジャニーをめぐるタブー化に通じるものを感じたからだ。



 なぜ、こういうことが起きるかについて、こんな分析をしてみた。



 



ーー岡田有希子のときも感じたことだが、こういうとき、人や事務所、作品を消そうとするのは、芸能を愉しめない人たちだ。芸能を好きではないというか、その作品にもスキャンダルにも人間ならではの業がにじみ出ることを思えば、つまりは人間そのものを好きになれない不幸な人たちである。ーー



 そして、最後をこう結んでみた。



ーーたとえば、KinKi Kidsがジャニー喜多川に捧げた『KANZAI BOYA』という曲がある。ジャニー独特のセンスや口癖を愛情をもっていじったもので、じつに味わいの深い内容だ。こういう曲も当分、披露されることはないのだろう。あぁ、もったいない。ここはもう、ジャニーがもったいないオバケとなって、叩いている人たち全員の夢に現れてほしいくらいだ。ーー





 ジャニーズアイドルが語るジャニー喜多川のエピソード。それはバラエティー番組などでも鉄板のネタとして面白がられてきた。しかし『KANZAI BOYA』がそうであるように、当分聞くことはできないだろう。 



 そればかりか、ウィキペディアの「ジャニー喜多川による性加害問題」というページには「所属タレントによる喜多川の好印象作り」という一項があり、こうしたトークが「性加害」のカムフラージュにつながってきたかのような見方が紹介されている。ウィキペディアのこのページ自体がひどいもので、セクハラ、いや「性加害」があったことを前提とした一方的な内容だ。



 その「前提」の根拠となったのは、ジャニーズ側が依頼した組織(外部専門家による再発防止のための特別チーム)が作った調査報告書だが、この調査からして「性加害」があったことを最初から前提にしていた。告発者の証言を詳しく検証した気配もなく、ジャニーズ側が頼る相手を間違えたとしか言いようがない。

この外部チームもまた「芸能を愉しめない人」の集まりだったのだろう。



 なお、このチームの座長は検事総長まで務めた弁護士だったが、この騒動では司法関係者の暴走も目立った。テレビでも活躍してきた有名弁護士は、ジャニーズが莫大な資産を保有していると主張。その理由として、



 



「ジャニー喜多川さんというのは、少年に対する性行為以外に何の興味もないので、あまり無駄遣いをしない」



 



 とまで言い放ったのだ。故人であることをよいことに、もう言いたい放題だ。



 これだけは断言できるが、そういう「興味」しかない人があれほどのエンタメは作れない。芸能を好きな人なら、誰もが納得してくれるはずだ。



 いわば、芸能オンチと芸能アンチによってズタズタにされたジャニーズ。いくつもの名前やいくつもの作品、さらには思い出話をする機会まで消されてしまったわけで、今さらながら悔しさともどかしさを禁じ得ない。





 なお、6月中旬には二宮和也が『独断と偏見』という本を出版した。彼はジャニーズ事務所から離れることで、自らを守った立場でもあり、恩師についての想いはかなり複雑なようだ。本についての取材会では、ジャニーの人柄について「ある種のピュアさ」という表現をして、



「一対一で話ができたら。

死んじゃってるのでなんともいえないけど」



 と語っている。ただ「僕にとってこの話の問題のセンシティブさはそこまでなかった」という部外者的なスタンスも強調していた。



 そして、冒頭で触れたジュリーの告白本には、彼女が手塩にかけて育てた嵐のメンバーについて仲のよさを語るなか、



「二宮とは近年少し距離があります」



 という一節がある。



 



 また、叔父のジャニーや母のメリー喜多川から後を託されたジュリーにとって、ジャニーズ事務所への想いはかなり屈折していたようで、それが一連の対応にも大きく影響していたことが「試し読み」部分からひしひしと伝わってきた。



 そのあたりについては、第5回で触れることとする。



 



 



文:宝泉薫(作家、芸能評論家)

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