早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。
◾️記憶を編集できる人間に私はなれない
一週間ぶりに郵便受けを開ける。これでもかというぐらいに詰め込まれた紙の束を掴み、外へと引っ張り出す。ぱらぱらと数枚手からこぼれ落ちて地面に落下した。そろそろ「チラシお断り」みたいなステッカーを買おうかと思ってしまうけれど、たまに届く宅配ピザのチラシを眺めるのが好きで、なかなか実行に移せない。一人であんなに大きいピザを注文するわけでもないのに、なぜか癖で隅から隅までチェックしてしまう。紙の束をどうにか掴み直し、自分の部屋へと向かう。手から溢れ出さないように抑える指に力がこもる。どうにか鍵を差し込み、ドアを開けた。テーブルの上に紙の束を落とすと、ばさっと音を立てて広がった。
要る、要らない、捨てる、一旦見る。機械になったかのように選別していく。大量のダイレクトメールの中に厚みのある封筒が混ざっていた。宛先が書いてある部分には何枚も転送のシールが重なっている。
合計で三枚。
一年の転送期限の中で三回も棲家を転々とした。差出人は過去に住んだ街だった。
転出届をとっくの昔に出したはずなのに、部署間で何も共有されていないのだろうか。もう二度と住まないし、できれば自分から進んで足も踏み入れたくない。
ふと訪れる過去の匂いは私の記憶を呼び戻し、過去の時間へと連れ戻そうとする。思い出させるのはあの人が最後に作ってくれたカレーライスと、じんわりと部屋に立ち込めるカビ臭さだった。
仲の良い友人が「元々友達として付き合いもあったし、完全に元に戻ったわけではないけれど、別にうまいことやっていけるよ」と話しているのを聞いて愕然とした覚えがある。
友人たちは記憶を編集できる人間であったが、私は削除するしかない人間だった。
◾️結局私が恐れていたこととは何か?
拒絶することでしか相手との時間を乗り越えられない。私の中に良い感情の欠片を一つも残すことなく、全てを壊し、黒く塗りつぶした。それは記憶の中でも、現実の世界でも一緒だ。誰かが存在した痕跡を一つ残らず消し去るのが常であった。「そこまでやるの面倒じゃない?」と聞かれたが、分かりやすい現実の行動一つ一つが、私を淀みの中から掬い上げてくれるような気がしていた。
だからこそ、相手が最後に残した「離れ離れになっても応援し合える関係でいたい」という言葉に対して、「そんな訳ないだろ」という言葉を世界に生み出す前に、本人の前で預けていた共用のクレジットカードを目の前で真っ二つに折った。パキッと音を立てたとき、折れたものは何だったのだろうか。
真っ黒に塗りつぶした海の中、結局認めたくなかったのは、私が恐れていたのは己の身を焦がした相手からの拒絶だった。先手を打つことでしか、私を守れなかった。
謝りたいとは思わない。
過去の私の行動は私にとっては救いではあったが、こうやって文章を綴っているのには贖罪の意味が込められているわけではない。相手に傷つけられたのと同様に、私も同じくらいの重さを込めて相手を傷つけていたことを受け入れただけ。瘡蓋(かさぶた)となった傷をそっとなぞることでしか未来の道を切り開くことができない。きっとその繰り返しの中で、己の皮を剥(は)がしているのだろう。新しく現れた人間とうまくやっていけるようにと願いながら。
知り合ったばかりの人間に、ふと昔の傷跡について問いかけられた。こういうやり取りはよくある。私の口からこぼれ落ちる昔の記憶たちは面白さという毒を含んでいる。相手をじっと見て毒の濃度は変化させているが、それでも相手から返ってくるのは「え、そんな話って本当にあるんだね」という少し哀れみがありながらも、興味を滲ませた言葉であった。
私は「本当だよ」と答える。
場の温度を確かめながら、一つ一つの言葉を選んでいくが、言葉の裏にある私の気持ちを吐き出すことはしない。
私の世界の外側で、どうか幸せでいてほしい。
私の心の中で生まれた思いは、きっと一生口にはしない。
文:神野藍