曖昧な告発と世間の空気によって犯罪者にされたジャニー喜多川と、潰されてしまった事務所。その流れは、今年の中居正広、さらには国分太一をめぐる騒動にも引き継がれている。
第5回 中居に国分、田原俊彦。ジャニーズ系への容赦ない狙い撃ちが示す「死人に口なし」どころか、生きた人間すら問答無用で葬る時代
第4回の配信から10日あまり。藤島ジュリー景子の告白本について、感想を付け足すことから第5回を始めるつもりだったが、そのあいだに、国分太一や田原俊彦をめぐる騒動が起きた。
国分は具体的なことが明かされないまま、活動休止状態となり、所属するTOKIOはグループも会社も解散。田原は謝罪してひと区切りかと思いきや、出演予定だった『うたコン』(NHK総合)から締め出された。中居正広の騒動も含めて、OBも含めたジャニーズ系芸能人への「迫害」は今なお続いている。
そんな迫害の出発点は、2年前に起きたジャニー喜多川をめぐる性的トラブルの報道。藤島ジュリー景子は、叔父のジャニーや母のメリー喜多川からジャニーズ事務所の後を託された人物だ。しかし、告白本の「試し読み」部分からは、彼女が叔父や母、特に母に対してかなり屈折していた感情を抱いていたことがうかがえる。
20代でパニック障害や過呼吸発作に悩まされ、医師は母親との関係が原因だと診断。メリーがライオンだとすれば、ジュリーはシマウマだと説明され「歯向かっても違う生き物なのだから」と、距離を置くように勧められたという。
2001年くらいには「母や叔父とうまくいかなくなり始めていた」「私は母を本当に信用していなかったので」として、彼女は嵐のための会社「Jストーム」を立ち上げる。本人いわく「完全にジャニーとメリーから線引きされた世界」であるこの会社が軌道に乗ったことで、彼女は安楽を得た。08年頃から16年まで、創業者でもあるジャニーと口を利かずに済むほど、ジャニーズ事務所本体とは疎遠でいられたようだ。
が、SMAPのマネージャーだった飯島三智とメリーが対立。これを機に、ジュリーは「本体」へと呼び戻される。「事務所の仕事はしたくなかった。ずっとお嫁さんになりたいと思っていたくらいなので」という彼女は不本意ながら、後継者的ポジションとなることを受け容れることに。これが一生の悔恨につながった。
「人生をどこからやり直したいですか?」という質問に「あのままJストームに居続けたかった」「もし仮にあの時期に動くことができていたら、今回のことに私は関わらずにいられたのかもしれない」と、彼女は語っている。

◾️ ジャニーの死後でなくては告発が不可能だった〝本当の理由〟
こうした「屈折」については、いくらか想像できていたものの、これほど根深いとは思っていなかった。
この「試し読み」部分から、一昨年の12月に書いた筆者自身の記事を思い出したりもした。『「死人に口なし」でジャニーズ事務所を豊臣家や大日本帝国、安倍晋三にしてはいけない理由』だ。
それこそ、ジャニーズ事務所の崩壊は豊臣家のそれと似ている。秀吉という強烈な天才によって勃興した豊臣家は、その天才性がもたらした歪みによって、二代で滅んだ。ジャニーズ事務所もまた、ジャニーとメリーという天才姉弟によって栄華を極めたが、天才は同時に歪みも生む。ジュリーが事務所に抱いた憎悪的感情も、そのひとつだ。
残念ながら、仕方ない。ジュリーが再び安楽を取り戻すには、事務所を畳むしかなかっただろうから。
ただ、その結果、ジャニーズ事務所は真相不明のまま、おそらく実態以上のマイナスイメージを背負わされることにもなった。前出の記事でも書いたことだが、ジャニーの疑惑に関して、筆者の見方はむしろ逆方向に変わっている。
もちろん、ジャニーが長年、数多くの少年たちと関わってきた以上、そのすべてにおいて完璧な交流、いわば後腐れのない関係性を貫くことは無理。ときには、齟齬も生じて、ひどいことをされたと感じた少年もいただろうし、逆にジャニーがそう感じたこともあっただろう。
いずれにせよ、彼の生前、一度も事件化されなかったという事実は大きい。どこかの新聞記者が被害を訴えたい人が見つからなかった的なことを言っているように、事件化できるほどのものは皆無だったのではないか。だからこそ、告発は彼の死後でなくては不可能だったのだ。もっとも、その告発が大量に行なわれたのも事実だが、後出しじゃんけんである以上、生前に事件化されなかったという事実よりは小さいといえる。
そして、その大量の告発がある意味、信憑性を失わせてもいる。その告発がすべて事実なら、ジャニーのマネジメントやジャニーズ事務所の運営はとっくに破綻していたはずだからだ。
◾️ジャニーズ騒動は、敗者による歴史の改竄作業
ところで、この記事に寄せられた感想のなかで、何よりうれしかったのは、川端康成の例を引き合いに出したところへのものだ。
「個人的な印象としても、ジャニーの性癖はもうちょっとプラトニックなもので、その傾向は加齢とともに強まっていったのではという気がする。たとえば、ジャニーが元気で可愛い少年を好んだように、薄倖で可憐な少女を愛した川端康成もそうだった。
この指摘について「ここがいちばん腑に落ちた」というようなことを言ってくれた人がいて、ジャニーも浮かばれる気がしたものだ。
とはいえ、彼はもう故人であり、今さら何を言われても彼自身が傷つくことはない。問題は現役タレントや事務所の運営を引き継いだスタッフがこうむった、そしてこうむり続けている損害だ。いや、その損害は中居正広や田原俊彦といったOB、あるいは国分太一のような事務所直系ではなくなった人にも及んでいる。事務所が実態以上のマイナスイメージを背負ったことで、その界隈の人ならいくらでも叩けるという空気ができあがってしまった。
そのあたりについては、まだまだ声を上げていきたいと思うし、その理由として、前出の記事でも紹介した歴史家・磯田道史の発言を再び引用しておく。彼は歴史を考える場合「勝者、敗者、滅亡者」の三つの視点があるとして「歴史は勝者が作る」というのは必ずしも正確ではないと指摘した。
「たしかに、最初は勝者が作って威張るんですよ。そのあと、敗者は必死で勝者が作った歴史を改竄して自分たちの正当化を始める。敗れても生き残っていれば、歴史改竄をもう一回始めるんですよ。いちばん困るのは滅亡者。滅亡者は歴史を語る口がない。
ジャニーズ騒動は、敗者による歴史の改竄作業でもある。ジャニーやメリーはすでに「死人に口なし」だ。このままジャニーズが滅亡者になってしまうと、事実上の「冤罪」が正当化されかねない。
いや、中居正広や国分太一にいたっては、本人が生きているにもかかわらず、反論が許されないような不思議な強制力が働いている。これが異常事態であることに、気づく人がもっといてもよいのではないか。
しかも、ここ数年、一度貶められたイメージを回復するのは難しくなってきた。芸能界、いや、世の中全体に、それを難しくする空気が醸成されてしまっているからだ。そこにはマスコミやSNSでのバッシングを面白がり、気軽に参加しようとする大衆の悪ノリみたいなものも関係している。
思うに、その悪ノリは2016年の「ゲス不倫」騒動あたりから顕著化してきた。第6回では、そこを見ていくとしよう。
文:宝泉薫(作家、芸能評論家)