早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。
◾️「うっかり殺してしまうかもしれない」
圧迫する力がじわじわと強くなり、私の身体に取り込まれた空気が行き場を失う。内側のいたるところが悲鳴をあげている。視界が白く染まり、頭の中がぼうっとしてくる。私の表情が歪もうと、頸部にかけられた力が弱まることはない。
顔色一つ変えずに、私の中を暴き続ける。私の視界に映るのは光の灯らない両の目。私の思考を奪うのは目の前の相手が与える苦しみと快楽。その二つが絡み合い、私の中で何かが脈打つのを感じた。
これで終わりじゃない。逃げ出す手立てを奪うように、私の身体を掴んで離そうとしない。どこか苦しそうだ。
「このまま抱き続けたら、うっかり殺してしまうかもしれない」
果てた後、男はぽつりと呟いた。そこに申し訳なさはない。ただ浮かんだ事実を口にしているだけのようだった。男はそれ以上言葉を続けなかった。男はペットボトルを傾け、喉に水を流し込んだ。次に手を伸ばすのは、私ではなく、いつも吸っている煙草だろう。
抱かれた後に淡々とされると、むしろ安心してしまう。少しでも謝罪のニュアンスを滲ませたり、急に労われたくない。そんなことをされたら、先ほどの行為が何一つ信じられなくなる。私は何をしていたのかと、やり場のない感情がふわりと浮いていってしまう。
私はただ、「怯まなくていいよ。ずっとそのままでいて」とだけ返した。男は赤く擦れた皮膚をなぞりながら、ゆっくり目を細めた。
◾️「私の首に手をかけてほしい」この欲求はどこからくるのか
セックスしているとき、感情が死んだように感じていた。嬉しいはず。喜んでいるはず。求めているはず。なのに、その感情が自分のものとして感じられない。存在しているのが、私自身であるかどうかも曖昧だった。奇妙な不安が、静かに私を侵していく。だからこそ、強い刺激を欲してしまう。ここに生きていることを証明する手段であるかのように。
この欲求はどこからやってくるのだろうか。
男たちを見ていて、気がついたことがある。「私が喜ぶから」とは言わない。不思議と、彼らはみな同じことを言う。「見ていると、絞めたくなる」と。同じ匂いを嗅ぎ分けるのだろうか。私と同じように男たちもまた生を求めている。言葉では埋まらない空白を、相手の存在を利用することで補おうとする。身体を明け渡した日、自然とあるべき位置に手がおさまり、私の頸部を圧迫しはじめる。言葉で同意を交わすこともない。
逸脱した男に愛を注ぎ込みたくなる。
本能的に快楽に溺れることができる、一緒に深みへと落ちていける相手を欲しているだけなのだ。言葉を交わさなくても、ぴったりと重なり合う。張りぼての、おあつらえ向きの快楽ではなく、視界も思考も全てを奪ってくれるようなもの。そこに優しさや労りなんて余計だ。
新しいことを目の前にすると、人は慎重になる。小さな発見が驚きになり、喜びになる。でも、セックスはもうそんな対象ではない。全てに予測がつく。どこに触れ、どんな言葉を囁くのか。
「ねえ、今って誰と寝ていたの?」
昔、肌を重ねた相手にそう尋ねたことがある。男は言葉を詰まらせ、視線が泳ぐ。男の熱情が私に届かない。ふわふわと浮いたまま、私にはぶつかることなく、空中で消えていく。
「誰って。一人しかいないでしょ」
「私だけど、私じゃないよね。余計なことを考えていたことぐらいは分かる」
身体が無防備になると、心も無防備になる。そんなときに嘘をつけるのは、すでに何も感じなくなった人間だけ。見え透いた嘘ほど、気持ち悪いものはない。本気で誤魔化せると思っている鈍感さが、むしろ怖い。

◾️理性と衝動の境界が崩れ落ちる瞬間を掴みたくて…
私は目の前に広がる、空虚な世界から逃げ出したい。理性と衝動の境界が崩れ落ちる瞬間を、この手で掴んでみたい。一緒に仲良く手を取り合うのではなく、何の躊躇もなく、互いを余すことなく飲み込み合い、曖昧な境界を消し去るように塗りつぶしたい。
そんな相手は簡単には見つからない。最早探そうとも思わない。でも、また出会ってしまう。私の中にいる怪物は、何も言わずに、私の欲しいものをちゃんと手繰り寄せる。
私は正常と異常の境目に立っている。自覚のあるまま、同じ匂いを持った人間に引き寄せられてしまう。彼らは普通とは違う何かを、私のもとに運んでくる。それが幸せなのか、不幸せなのか、私にも分からない。
面白い。
そう言ってしまえば、それで終わる。けれど、その面白さが時々重くのしかかる。
この原稿を初めて書いたのが、今年の1月。
凍えるような寒さから身体の内側を溶かしてしまうような暑さに変化した。途切れてしまった私の生の回路は二度と戻らないと思って過ごしていた。どこか破滅を匂わすような重苦しい空気に縛り付けられたまま、生きていることを確かめるためにどんな形でも痛みが必要だった。それは人間と深く交わることへの恐れをどうにか痛みに書き換えて、誰かとぶつかり合うことを分かりきったセックスで覆い尽くしたいだけであった。それが間違いだと気がつき始めたことは、またどこかで綴ろうと思う。
文:神野藍
(連載「揺蕩と偏愛」は毎週金曜日午前8時に配信予定)