早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。
◾️社会性という病気
息が詰まりそうになる。味を感じなくなる。音が聞こえなくなる。
薄い空気の中で私だけが狂っているかのように感じる。みんなに見せている綺麗にラッピングされた箱の中には、汚泥のような感情が詰め込まれ、今にも堰を切ってどうしようもなく溢れ出そうになる。
悟られないように、漏れ出さないように、しっかりと蓋を閉めて、綺麗なリボンを巻き付ける。最後にきっちりと結びつけるそれは除霊の御札のよう。私という怪物が世の中に出てこないために、理性の側の私が静かに命を潰していく。
はっと意識が戻る。煌々と光る画面に思わず目を細めてしまう。右上の方に小さく午前三時と表示されていた。
社会性という病気に蝕まれている。
身体の奥深いところまでじりじりと。私にとって最も恐ろしい行為は人前で愛を囁くことでも、不特定多数に裸を晒すことでもない。「わたし」の中に詰め込まれた気持ちを包み隠さずに外へと流す行為だ。愛する相手に、気を許した友人に嘘をついているわけではない。私の気持ちと何一つ相違ない言葉を渡すし、彼らの目の前にいる私がまやかしというわけではない。ただ、最後の最後、私の中の真ん中にある何かを開け渡さないだけ。
◾️感情が上下にぐらつく自分に惹きつけられて……
再び現実の私に戻る。この原稿を書き始めたのはだいぶ前なのにもかかわらず、終着点に私はなかなか辿りつかない。書いては消して、ではなく、文章が一向に前へと進まない。普段ならこんな恥ずかしい文章を見かけたら消すか、フォルダの奥底にぐっと押し込めて光の当たらない場所に隠してしまう。でも今回ばかりは消せなかった。なぜだろうか。そろそろ私が叫びたくなっているのだろうか。
少し前のエッセイで好きなように生きられて呼吸がしやすいと書いたばかりなのに、相変わらず私は不安定な方へと傾くのが得意なようだ。一貫性とは程遠いところに生きている。でもそれを表に出すこと、書くこと以外で前には出さないようにしている。とはいえ、こうやって不特定多数が見られる場所に晒している時点で何の意味もないのは私が一番分かっている。
最近考えていることがある。幸せな気持ちで満たされると、ふと壊したくなる。
壊した方が、感情が上下にぐらつく方が、面白いと思ってしまっている。何度同じ間違いのような正解に傾いただろうか。思わず手頃な石を見つけては均一な水面に投げてしまいたくなる。その後に起こることが手に取るように分かるのに、繰り返してしまう。
「ああ、またきたな」と思う。不幸を待ち望む方の私が。
理性の鎖を巻きつけて封印した私が。
厄介だ。厄介なのに嫌いになれない。最近は誰かに受け入れてほしいとも思わなくなった。
結局のところ、私が私の中の彼女を愛し続けて、縛り続けるしかないのかもしれない。そして書くことでその天秤をちょうど良いところに留めておくしか、外に逃げ出さない方法は今のところそれしか考えられていない。
出口の見えない道を堂々巡りするぐらいなら、このまま歯ブラシの柄を喉奥に突っ込んでしまおう。なんて思ったところで、あちらの私が私の名前を呼んでいた。
聞こえる。戻らなければ。
文:神野藍
(連載「揺蕩と偏愛」は毎週金曜日午前8時に配信予定)