曖昧な告発と世間の空気によって犯罪者にされたジャニー喜多川と、潰されてしまった事務所。その流れは、今年の中居正広、さらには国分太一をめぐる騒動にも引き継がれている。

悪役を作って叩きまくる快楽。しかし、その流行は誰もが叩かれる対象になる時代の到来ではないのか。そんな違和感と危惧を、ゲス不倫騒動あたりまで遡り、検証していく。第8回「顔と運動神経への嫉妬。ジャニーズ叩きをエスカレートさせたのは、世の男性のゆがんだ劣等感だった」



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第8回 顔と運動神経への嫉妬。ジャニーズ叩きをエスカレートさせたのは、世の男性のゆがんだ劣等感だった

  



 2023年からの騒動によって、創業以来の事務所の名前をはじめ、多くのものを奪われたジャニーズ。しかし、約60年にわたって築き上げた文化が色あせることはない。いつしか、日本の美少年やイケメンを形容する際にも使われるようになった「ジャニーズ系」という言葉が象徴するように、そこには独特かつ普遍的という不思議な魅力がある。ただ、それゆえ、アンチ感情も芽生え、潰したいという衝動へとつながりもしたのだろう。



 自分自身の経験を踏まえても、もっぱら男性に、そんな負の深層心理が生まれるのはわからないでもないからだ。



 日本に住んでいて「ジャニーズ」という文化に出会わない人はまずいない。大多数の人がなんらかのかたちでその存在を知り、大なり小なり、意識することになる。

筆者が「意識」したのは小学校低学年の頃。わりと親しくしていた同級生の女子がこんなことを口にした。



 「男の子は顔がよくて、運動ができなきゃ、モテないよね」



 話の流れ的に、彼女はフォーリーブスのことを持ち上げたかったのだろうが、運動のできない男子を下げる発言でもあった。フォーリーブスの売りは、バック転などのアクロバットなアクション。筆者は跳び箱やマットなどの運動を苦手としていたので、何か自分のことを言われたようでショックを受けた記憶がある。それ以降、テレビでフォーリーブスを見るたび、この言葉が甦ったりもした。



 で、何が言いたいかというと、日本の男性のなかにはこれと似た感じの経験をした人が少なくないのではないか、そのうち、けっこうな数の人がジャニーズ的なものへの嫌悪感を抱いたのではということだ。



 ジャニーズ的なものの定義は難しいが、嫌悪感を抱く層にとっては、ルックスと運動神経に恵まれた男子が実力はさほどでもないのに女子にモテる世界、ということだろう。自分は幸い、大衆的な芸能が好きで、ジャニーズの歌謡曲には魅力的なものが多かったので、むしろ好感を抱くようになった。おかげでその「ジャニーズショック」を引きずることなく、こじらせずに済んだわけだ。



 しかし、ジャニーズの芸能に思い入れがなければ、嫌悪感だけが保存されることになる。今回の騒動で学者や弁護士といった知的職業の人に「毛嫌い」と形容したいようなアンチジャニーズ的反応が目立ったのは、そういうことなのだろう。

そのなかには高校時代、野球で県予選のそこそこのところまで行った人もいるが、ルックス及び女子にモテることへの嫉妬があるのかもしれない。



 



  あるいはもうひとつの「ジャニーズ的なもの」が影響しているとも考えられる。その世界がジャニー喜多川の少年愛嗜好によって成立している、という特殊な構造のことだ。



 筆者がそれを意識するようになったのがいつかはさだかでないが、ちゃんと言語化されたのを目にしたのは19歳のとき、自分も参加していたミニコミ誌『よい子の歌謡曲』においてだったと思う。歌謡曲雑誌なのでジャニーズのファンも多く、そのひとりがこんな文章を書いていた。



 「要するにジャニー氏は普通の少年が好きなんだろうな。そして彼らをアイドルに育てることはその子を落とすのと同じか、それ以上の喜びなんだと思う。でもその時にはもうその子は普通の少年(どっちの意味にせよ)じゃないわけ。単に若くて新鮮な方がいいというだけかもしれないけど、タレント成りたさで積極的に身を任せる子なんて相手にしないと思うな(するかな?)その辺のことに関する真偽や是否をどうこう言うのが目的じゃないからどうでもいいけどね」



 書いたのは、榊ひろと。のちに『筒美京平ヒットストーリー 1967-1998』を著すなど、大衆音楽への造詣が深く、また、ジャニーズの大ファンでもあった。



 ここからわかるのは、ジャニーズをめぐる「その辺のこと」が当時から噂としては存在していたこと。そして、ここに示された噂についての洞察と向き合い方はかなりしっくりくるものだった。



 その噂は噂のままで終わり、にもかかわらず、噂のまま現実を揺るがしているわけだが、それはこの噂が強烈な魔力を持つからだろう。榊は光GENJIの代表作『ガラスの十代』のレビュー(『80'sアイドル・ライナーノーツ』所収)のなかで、メンバーが半裸になり、怪我人まで出しながら歌い踊ったパフォーマンスの「悲愴感」に着目。こんな賛辞を贈った。



 「この頃の光Gには地位も分別もあるはずのプロデューサーの狂気を顕在化させるだけの魅力があったということか。『STAR LIGHT』のボーイソプラノの如く、移りゆくものの中にある美の神髄を、どんなに熱烈なファンよりも知り得る者のみに創造することのできた究極のアートと言えるだろう」





顔と運動神経への嫉妬。ジャニーズ叩きをエスカレートさせたのは、世の男性のゆがんだ劣等感だった【宝泉薫】「令和の怪談」(8)
光GENJI



 筆者も同感で、ジャニーの少年愛、元気で可愛い男の子たちをステージで輝かせたいというこだわりがこれほど見事に結実した作品はない。ある意味、例の噂がスパイスとしての刺激的効果をもたらしてもいて、ジャニーズ的なものを面白がる層にとっては「魔法の力」である。



 



  が、なかにはその噂を気持ち悪がったり、忌むべき邪なものだととらえる層もある。そちらにとっては「悪魔の力」なのだろう。そういう層の負の感情が一気に噴き上がったのが、今回の騒動ともいえる。



 ただ、あくまで噂は噂にすぎない。一度冷静になり、自分にとってのジャニーズ原体験を振り返ることで、見方が変わる人もいるのではないか。特に、昔はこのグループの誰々が好きだったとか、今もこの曲は好きだといった人にはそんな振り返りを勧めたい。



 日本に住んでいながら、ジャニーズという稀有な文化を楽しめないのは少しもったいないことなのだから。



 その点、筆者は大人になってから、ふたりのジャニーズアイドルにインタビューする幸運にも恵まれた。ひとりは郷ひろみ、もうひとりは田原俊彦だ。



 正確にいえば、郷はその時点でバーニングに移籍していたが、ジャニーズの歴史のなかで重要な存在であることはいうまでもない。また、郷の移籍後、低迷期に入ったジャニーズを復活させ、さらなる発展をもたらしたのが、田原を含めたたのきんトリオの登場だ。



 そんなふたりにインタビューして感じたこと、考えたことについて、次の回では書いてみたい。



 



文:宝泉薫(作家、芸能評論家)

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