神田沙也加は「特別な女の子」だった。ある年代以上の人にとっては、生まれたときから知っている存在だったりする。
こういう人は滅多にいない。生まれたときから世に知られるのは皇族か大スターの子供くらいだし、同世代以下の人にも知られるには、自らの力で何事かを為さなくてはならないからだ。
それゆえ、彼女の人生は濃密で苛酷なものになった。当然ながら、それは「松田聖子(と神田正輝)の娘」として生まれたときから始まっている。
沙也加が生まれたのは、1986年10月。石原裕次郎が彼女を抱く有名な写真があるが、聖子と正輝をくっつけたのも、この大物スターだといわれている。ふたりの接近を知り、結婚させれば石原プロの正輝が浮上できると考えた、というわけだ。自身の不妊症で子供に恵まれなかった裕次郎にとっては、娘が生まれたように愛しく思えたことだろう。
多くの国民にとっても「聖子の娘」は興味の対象となった。メディアもこぞって、その成長ぶりを追いかけたものだ。むしろ、出産後も留守がちで、自分の娘について「久々に会ったら、大きくなっていてビックリしました」などと遠洋漁業の漁師みたいなことを言っていた聖子より、世間のほうが熱心に見守っていたかもしれない。
とはいえ、沙也加が才能を受け継いでいなかったら、世間は冷めていっただろう。誰とは言わないが、お笑い怪獣と演技派女優の娘の例もある。才能を受け継いだからこそ、比較もされるし、期待や失望ももたらすのだ。
その点、沙也加はまず、そのアイドル性を受け継いでいた。たとえば、3、4歳くらいの姿について、こんな証言がある。
「実にかわいらしかった。聖子にとてもよく似ていて、お人形のように美しい」
聖子との不倫を告発したジェフ・ニコルスが『真実の愛』のなかで書いたものだ。
その後、歌唱力や演技力(こちらは正輝ゆずりだろうが)についても受け継いでいることが明らかになるわけだが、決定的な違いもあった。彼女が「大スターの娘」だったことだ。
それゆえ、凡人では味わえないような特殊な環境で生まれ育つことになる。『真実の愛』には聖子とジェフのもとに、その関係を知ったうえで正輝が遊びに来る場面があり、こんなことが書かれている。
「団欒の途中、娘さんが居間へ入って来た。
こっちまで「妙な気分」になりそうだが、その特殊な環境はしだいにプレッシャーにもなっていっただろう。「大スターの娘」として常に注目される日々は、楽ではない。中学時代、イジメに遭い、四度も転校したという経験はトラウマとして残ったはずだ。
それもあって、彼女は漫画やアニメ、ゲームといった世界にハマっていった。その結果、芸術表現への欲求も高まることに。望めばいつでもデビューできる立場にいた彼女は2001年、本格的な芸能活動を開始する。
■「大スターの娘」というプレッシャーをさらに強めていく……
ただ、それは「大スターの娘」というプレッシャーをさらに強めることでもあった。まして、母と同じアイドルとしてのデビューだ。比較対象としての母の存在が最大の壁となり、そのアイドル活動は尻すぼみに終わってしまう。
その一方で、ドラマの共演者や音楽の共同制作者との熱愛があれば、そういうところだけは母ゆずりだと揶揄される。
また、当時のアイドルシーンを考えても、彼女は分が悪かった。ハロプロ(ハロー!プロジェクト)ブームの真っ只中で、彼女の1年前に歌手デビューした松浦亜弥がソロアイドルとして絶大な人気を獲得。「聖子の再来」とまでもてはやされていたからだ。
この状況は、80年代のアイドル・岡田有希子がおニャン子ブームのなかで埋もれていった状況と似ていなくもない。なお、岡田は聖子の事務所の後輩でもあり、その結婚による穴を埋めるべく「ポスト聖子」としても期待されていた。86年4月の飛び降り自殺には、そこから来る重圧も理由として推測されている。その半年後、聖子が産んだ沙也加が今回、似た最期を遂げたことにも複雑な思いを禁じ得ない。
とまあ、大スターというのは周囲に多大な影響を及ぼす。それが実の母ともなれば、なおさらだ。そもそも、親の生きるパワーが強すぎると、子供はパワーを吸い取られてしまうのか、どこか脆い生き方になることがままある。有名人の子供が悲劇的な人生を送りがちなのもそのためだろう。
沙也加の場合、幼少期の淋しさだったり、イジメによるトラウマだったりが、尾を引いていたとも考えられる。こうした人生の傷は容易には癒えず、むしろ見えないところで深くなったりもするからだ。
そういう傷を理解するには親は何かと強すぎて、頼りになりにくい。それはむろん、親の罪でもないだろう。有効なのは、恋愛や結婚、出産などによって安心できる関係性を新たに築くことだ。その点、沙也加は2017年に結婚したものの、2年で離婚。子供にも恵まれず、残念な結果となった。
■彼女をひとかどのスターにしたのは、生まれ持った宿命
それでも、彼女をひとかどのスターにしたのは、生まれ持った宿命だ。高校卒業後、1年3ヶ月の活動休止。アルバイトをするなどして自分を見つめ直し、活動再開後は声優やミュージカル女優として頭角をあらわした。そして、巡り合ったのがミュージカルアニメ「アナ雪」の吹き替えだったわけだ。
こうした成功はもちろん、受け継いだ才能、そして努力のたまものである。
ただ、そんな努力の部分にも「聖子の娘」というのは大きく関わってきた気がする。それは「特別な女の子」に生まれたことで寄せられる期待に応えようとする思いこそが彼女の努力につながってきたからだ。
そういう意味で、彼女が愛し、遺作にもなったミュージカルが「マイ・フェア・レディ」だったのは象徴的だ。訛り丸出しの花売り娘が大学教授の特訓で淑女に生まれ変わるという物語。それはあり余る期待に応えるべく奮闘してきた彼女自身の芸能人生にも重なるものだ。
3年前、憧れの存在という大地真央の当たり役でもある、この作品のヒロインを射止めたとき、彼女はこう語った。
「ヒギンズ教授から教わって初めて正しく発音出来たときの、雷に打たれる感覚を私も早く経験してみたいですし、お客様が何を望んでいるのか、演劇ファンとしての目線も忘れたくない」
まさに、この作品のヒロイン向きな性格だったことがうかがえる。今回の再演は、彼女自身もこれを当たり役にするためのステップになるはずだった。
とはいえ、宿命に翻弄されながらもその宿命によって鍛えられ、独自の世界を築いた20年間は十分な評価に値する。もっと生き永らえればより多くのカーテンコールを得られただろうが、この哀しい幕切れも含め、神田沙也加という存在は鮮烈に語り継がれるはずだ。
彼女を知る多くの人たちにとっての「マイフェアレディ」として――。
文:宝泉薫(作家・芸能評論家)