統一教会の韓鶴子が逮捕された。公明党は自民党との連立から離脱。
■人間が神をつくった理由
私はこれまで政治について文章を書くことが多かった。私は政治評論家ではないし、政局に特に興味があるわけでもない。近代大衆社会における政治の「壊れ方」に興味があったので、その限りにおいて、考えたことを文章にしてきただけだ。
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以前、私が統一教会の広告塔でもあった安倍晋三を批判すると、信者やネトウヨ(ネット上にウヨウヨいる情報弱者の略)が、「アベガー」と言ってきた。「アベガー」とはネット上のスラングで、安倍や安倍政権になんでもかんでも結び付けて批判する人間のことを指す。「アベノセイダーズ」というスラングもある。要するに、安倍が諸悪の根源だと考える人が「アベガー」なのである。
しかし、私の根幹にあるのは「アベガー」ではなく「アガペー」である。
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宗教は多くのことを教えてくれる。私は特定の宗教を信仰していないが、あらゆる場所に神を感じる汎神論者であり、日によっては無神論者になったりもする。そのあたりは適当でいいと思う。
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人間の脳の構造を考えれば、理性が到達しない領域に神を設定したのは当然のように思われるし、それをひっくり返して神が人間を作ったことにしたのも時間の問題だったと思う。人間はどこからやってきて死んだらどうなるかわからない。こうした根源的不安に答えを与えてくれる人がいたら、人はそれにすがりつく。だから詐欺師が教祖になる。
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死んだらどうなるかは死んでみなければわからない。
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私の実家から車で10分くらいの場所に蕎麦屋があった。その店の前に1台だけ車を止めるスペースがある。そこに他の客の車が停まっていたら、歩いて3分くらいのところに蕎麦屋と契約している駐車場があるので、そこに停めればいい。私が子供の頃、その蕎麦屋に行くたびに車を運転する父親が「うーん、今の時間だと、店の前のスペース開いているかな」などとぶつぶつ言う。私は子供心に、考えても意味がないことを必死に考える人間が地上は存在するのだなと思った。また、たいていの人間の悩みなんてその程度のものかもしれないとも思った。
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個人的な経験で言えば、全身麻酔を受けたときに「人は死んだら無になる」と思った。手術室で「これから始めます」と医者に言われた直後に、「終りました」という声が聞こえた。つまり感覚器官が機能していなければ、時間も流れないし、存在という概念すら消滅する。しかし、それは意識が戻った後に言語化したことに過ぎないのだから、死んだらどうなるかはやはりわからない。
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宗教は来世を利用する。
■自殺と安楽死について
宗教により死後の世界の説明は違う。閻魔は冥界の王として死者の生前の罪を裁く。これは、インドにおける死者の主であるヤマが仏教に入ったものである。これに関して、昔小噺をつくったことがある。
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安倍晋三という究極の嘘つきが地獄に落ちて閻魔様に舌を抜かれたが、大丈夫だったらしい。二枚舌だったから。
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2019年2月13日、安倍は国会で「私が嘘を言うわけがないじゃないですか」と発言。
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小学生の頃、給食を食べる前に、指を組んでお祈りをする女の子がいた。彼女はクリスチャンだったが、当時私は「クリスちゃん」だと思っていた。「なんかかわいいな」と。
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死後の世界を考えるのが無駄だとしても、私は墓には入りたくない。できたら、海に散骨してほしい。ちなみに散骨の手続きは簡単で、安いプランなら2~3万円くらいでできる。海の中のほうが気持ちよさそうである。両親が死んだタイミングで墓じまいを考えてみてもいい。昔から少し歪んだ人たちが、立派な墓をつくってきた。ピラミッドも古墳もそう。
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死の迎え方はいろいろあるが、自殺も選択肢のひとつである。私の周りでも自殺した人がいるし、「自殺したい」と相談を受けたこともある。そんな大事なことを私に相談するなよとは思うが、事情があるのだろう。私は自殺をおすすめしない。私自身も自殺するのは嫌である。しかし、どうしても自殺したいならすればいいと思う。自己決定権とかそういう話をしたいのではない。人間はやりたいことをするために生きているのだから死にたいなら死ねばいい。
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保守的な人間は自殺しないと思う。最初から絶望しているのであらためて絶望することはないし、理性を信用していないので決断に歯止めがかかる。
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三島由紀夫は自殺する人間が嫌いだった。三島が死んだのは、癇癪を起こしたからだ。彼はクーデターが成功するなどと幼稚なことを考えていたわけでもなかった。三島は保守の本質を理解していたが、三島事件はそれを放棄したものだった。
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大学生の頃、日向君という同級生がいた。小柄でケミカルウォッシュのジーンズを穿いていた。彼はためいきをつきながら「死にたい」とよく言っていた。あるとき「ああっ!」と大きな声を出したので、「どうしたの?」と聞くと、中学生のときの失敗を急に思い出したと言う。彼もまた、考えても意味がないことを考えてしまう人間だったのだろう。夏休みが終わると、同じ学部から自殺者が出たという噂が流れた。そして日向君が授業に来ることはなかった。
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こういうとき人は少し優しくなる。同じ授業を受けていたやつらが「自殺したのは日向だろ。少し暗かったけどいいやつだったよな」「もっと話をして悩みを聞いてやればよかったな」「実家は医者だろ。両親もつらいだろうな」「少し落ち着いたら、みんなで墓参りに行こうか」と言い出した。その2日後に日向君が授業に現れた。風邪をひいていたとのこと。
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現在、子供の自殺が増えている。小中高生の自殺者数は、令和6年では527人と、統計のある昭和55年以降で最多となっている。子供が「がんばっても無駄だから死ぬ」と言うなら、「そんなことないよ」と答えるが、50を過ぎた男が「がんばっても無駄だから死ぬ」と言うなら、「そりゃそうだよね」と同意せざるを得ない。
文:適菜収