何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。
見えなくなったものを忘れるな!『帰れない探偵』柴崎友香著
■過去、現在、未来を生きる誰かと繋がっている
ご存知の方も多いと思うが、今年、2025年6月から、アマゾンで物品を購入した際の領収書が表示されなくなった。
以前は「注文履歴」から「領収書等」をクリックし、「領収書/購入明細書」を選択すると領収書が表示され、それをプリントアウトして会計資料として使用することができた。ところが、今年の6月から「領収書/購入明細書」を選択すると、「注文詳細」が表示される。「注文詳細」は領収書ではない。これでは経理処理で困るではないか! と、ネットで調べてみたが、アマゾンからの公式説明はない。いまだに個々人が調べて対応する状況が続いている。
多分インボイスなども影響しているのだとは思うが、公式説明がないので、分からない。ネット情報によると、アマゾンに電話をすると、「システム改修中」とそっけない答えを返されるだけだそうだ。
そんな中でも有効な情報があり、「注文詳細」のURLの途中に「legacy」という言葉を挿入すると領収書が出るという。やってみたら、本当に出た!
「legacy」の意味は「遺産」、「受け継がれるもの」。何とも意味深ではないか。
最近思うのは、気づかないうちに常識と思っていたことが変わっているということだ。アマゾンの領収書の件にしろ、いつの間にか新しいシステムに変わっていて、それが当たり前となり、知らないほうが悪いということになってしまう。古いものは「legacy」として残ればいいが、なかったものとされる可能性も高い。
見えなくなったものはなかったもの――。
『帰れない探偵』には、そうした状況が進行した近未来の世界が描かれている。
「今から十年くらいあとの話」
七話の小編から成るこの小説は、いずれの編もこの言葉で始まっている。
普通物語は、「これは、今から十年くらい前のお話です」とか「昔、昔、あるところに」といった具合に現在を起点にして過去を振り返る。ところがこの小説は現在を起点に未来を語っていて、「今から十年くらいあとの話」の一言で読者は時間の迷宮に誘い込まれることになる。
柴崎友香は時間を描くのがうまい作家だ。
芥川賞を受賞した『春の庭』では、東京オリンピックが開催された1964年、東京の世田谷区に建てられた水色の洋館を中心に、かつてそこに住んでいたCMディレクターの牛島タローと女優の馬村かいこ夫婦の時間と、現在その家の隣のアパートに住む太郎と西という女性の時間が微妙なからみ合いを見せる。
『百年と一日』では、この百年の間のある時、ある場所で生きた人々のささやかな日常が思いもよらないところで繋がっていく。特徴は、「一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して二年後に再会したあと、十年経って、二十年経ってもまだ会えていない話」、「水島は交通事故に遭い、しばらく入院していたが後遺症もなく、事故の記憶も薄れかけてきた七年後に出張先の東京で、事故を起こした車を運転していた横田をみかけた」など、一編一編に長いタイトルがつけられていること。一方本文は短く、6~8頁の掌編に凝縮された33の人生が収録されている。
「人は自分の記憶や経験だけでなく、他者の記憶や経験をも生きているものだと思います」
これは作者の言。そう、私たちは自分が意識しないところで、過去、現在、未来を生きる誰かと繋がっているのだ。
■いくら技術や情報操作が進んでも、変わらないもの
『帰れない探偵』の主人公の「わたし」は世界探偵委員会連盟の本科を卒業した後、専修のコースを修了し、フリーの探偵となった。とある国のとある街に来て、マンションの五階の部屋に事務所を構えたのだが、ある日事務所に帰ろうと思ったら、マンションに通じる路地が消えていた。
日常生活を営む場所に突然異次元世界への入り口が現れたり、消えたりするといった話はSFの定番だが、この小説はそういう話ではない。
はっきりとは書かれていないが、一般市民には秘密裡に国家による情報操作が行われ、その操作は現実にあった道をも消してしまう。そんな世界が「今から十年くらいあと」に展開されているのだ。
情報操作に気づいている者もいて、港のターミナル駅のコインロッカーの扉には、〈見えないことは忘れること 忘れることはなくなること〉と落書きがされている。
あるいは情報を操作しているのは国家ではないのかもしれない。『帰れない探偵』には、スノコルミー社という巨大企業が登場する。開発したソーシャルメディアの巨額の売却金であらゆるデータを保存するプラットホームを作り、ほんの数年でこの会社の情報なしではどんな企業も活動できないような状況になってしまった。世界の気象をも支配しようとしていて、台風の進路を変える技術開発を行っている。
この四半世紀のGAFAMの勢力拡大やTeslaやNIDIAの台頭を見ていると、現実世界において、国家を超える力を持った企業に全世界が支配されてしまうのも遠い話ではないかもしれない。
しかし、いくら技術や情報操作が進んでも、変わらないものもある。
探偵であるわたしの仕事は、誤って売ってしまった祖父の蔵書探し、小学生の仲違いの仲裁、盗まれたエンゲージリング探し、リゾートホテルの客の監視といった、100年前から変わっていないであろう、日常の些細な困りごとへの対応である。わたしには特に重要な使命があるわけでなく、世界探偵委員会連盟の指令によって世界中の国をわたり歩きながら、こまごまとした仕事によって糊口をしのいでいる状況だ。探偵といっても一介のサラリーマンに過ぎない。
それでも時には、探偵らしい依頼もある。連続殺人事件が起きたとある町で、殺された女子学生の両親から、娘が殺された当時つき合っていた男子学生を探して欲しいと頼まれる。
その町には双子の山があり、未解決の女子学生殺人事件――となれば、当然思い浮かべるのは、デビッド・リンチ監督によるTVドラマ『ツイン・ピークス』だ。
1990-91年にアメリカで放送されて大ヒットし、日本では1991年4月のWOWOW開局記念番組として放送された。私が見たのは、その後出回ったレンタルビデオだったが、ドラマ全体を覆う不穏な空気にぞくぞくしたのを覚えている。
そういえば、このドラマのイントロに登場するのが、シアトル近郊にあるスノコルミーの瀧だ。作者の柴崎友香はきっと『ツイン・ピークス』のファンなのだろう。
■情報と富をもつ少数の特権階級と戦い続けるために
「市場において、各個人の利己的な行動の集積が社会全体の利益をもたらす」という、「神の見えざる手」を説いたのは、古典派経済学の祖、アダム・スミスだが、21世紀初頭の現在ですでに人間の欲望は「神の見えざる手」を超えてしまった。
今後世界はいよいよ、情報と富を手にしたごく少数の特権階級と彼らに支配されるしかない大多数に分かれていくことだろう。
『帰れない探偵』にはそうした世界が如実に描かれている。
わたしが滞在していたとある町では、公共交通の運賃を値上げした市長に対し、住民が大々的なデモを起こした。すると突然街の半分が停電になり、それをきっかけにデモは勢いをなくしてしまった。
探偵という職業柄、わたしはその土地土地の図書館で地図を見ることが多い。ある時、町の昔の地図を見て、違和感を覚える。
リゾートホテルでスパイと思しきファミリーを監視していたわたしは、逆に助手として送り込まれた産業スパイに情報を盗まれ、薬を盛られ、後遺症に苦しむことになる。
わたしの祖国では、国や行政組織の記録が改竄されたり、架空の統計が計上されてもたいしたニュースにはならなくなっていて、それを指摘した人たちのほうが、政治に混乱や停滞を招くと批難を浴びるようになっている。
こうした監視や支配が日常化される中、多くの人は問題意識を持って抗議行動を起こすことをやめ、自分たちができる範囲で生活を楽しむようになる。
庭で薔薇を育てたり、トマトと魚のスープを作ったり、お祈りを捧げたり、登山をしたり、絵を描いたり、音楽を奏でたり……。
特に音楽はこの小説では大きな役割を果たしている。
どこに行っても音楽がある。どこの街へたどり着いても、音楽があればそこに居場所がある気がする。帰る場所がなくても、音楽がある場所にはしばらくいていいのだ。音楽が続く限りは。
わたしの述懐である。
最終章の「歌い続けよう」で、わたしは世界探偵委員会連盟の指令で10年前に離れた祖国の、自分が生まれ育った街の空港に降り立つ。
そこで、わたしは偶然高校時代の同級生と会う。彼女との短い会話の中で、わたしはその日空港に隣接する人工島で行われるライブイベントの前にゲリラライブが決行されるという情報を得る。
果たしてゲリラライブは決行された。人工島の近くに碇泊した船から花火が上がり、サンバに似たリズムが流れてくる。たちまち警報音が鳴り響いたが、わたしには、ところどころ歌詞が聞き取れた。
「ここにいる」
「戦うために」
音楽が続いている間は、私たちはまだ戦うことができるのだ。
それさえできなくなってしまわないよう、私たちにできることは、見えなくなったものを忘れないことではないだろうか。
文:緒形圭子
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