【高市早苗】新総理に待ち受ける冷徹な現実。「対中抑止の最前線...の画像はこちら >>



◾️序.宗教と政治

 2025年10月12日の朝刊の一面は「公明連立離脱」の大見出しが飾った。自公連立は1999年のことで既に26年が経っており、平成生まれ世代にとっては物心がついた時からの所与の事実である。

しかし高市早苗新総理、斎藤鉄男公明党代表、石破茂前総理らは全て昭和生まれであり、最も若い高市でも1999年には既に自民党の衆議院議員であった。つまり今回の政変劇の主だったプレーヤーたちは皆、自民党と公明党との連立以前に政界に入り、連立の経緯を知る政治家たちであったということである。筆者もまたその経緯をメディア報道を通じてリアルタイムで見てきた世代である。そこで自公連立解消の歴史的意味の理解を広い読者層と共有するために、先ず1999年の自公連立の政治的背景を以下に概観しておこう。 





◾️1.戦後日本の政治状況

 第二次世界大戦敗戦後の日本はアメリカの占領行政下で「天皇制全体主義」から「自由民主主義」への思想改造を施された。しかし大戦直後の東西冷戦、特に朝鮮戦争(1950~1953年)によって、大日本帝国から日本国へと転生した“帝国日本”がアジアにおける反共の砦として位置づけられたことにより、「思想改造」は棚上げされ中途半端なものに終わった。かわって公職追放になっていた岸信介をはじめとする旧体制の要人らが政界復帰し、国粋主義、権威主義、全体主義的傾向が復活し日本の右傾化が制度的に定着した。



 こうして日本では大日本帝国の遺物の国粋主義、権威主義、全体主義に対米追随の資本主義が接ぎ木された雑多な利益団体を基盤とする派閥の寄せ集めのキメラのような与党「自由民主党」と、米国占領体制によって移植された自由民主主義と東側陣営の影響下の共産主義を取り込み国民の不満にはけ口を与えて「ガス抜き」の役割を果たす体制内批判勢力の社会党を第一党とする万年野党が共生する「55年体制」(1955-1993年)と呼ばれる政治体制が成立した。この「55年体制」下で日本は「日本の経済的奇跡(Japanese economic miracle)」と呼ばれる発展を記録しGDP世界第二位の経済大国に成り上がった。



 しかし1973/4、1979/80年の二度にわたる石油ショックで失速した日本は貿易不均衡による日米貿易摩擦でジャパンバッシングを招き、アメリカの逆鱗をかい、1991年の東西冷戦崩壊によって、左右のイデオロギー軸が消滅したことによって、ロシア、中国、ドイツと並ぶ仮想敵国として扱われることになり、日本経済は長期的停滞に入った。冷戦崩壊によるイデオロギー軸の消滅が「55年体制」のレゾンデートルを崩壊させたことで、長期的に凋落傾向にあった自由民主党と社会党の「1と1/2政党制」とも言われた「55年体制」は、1993年の自民党の分裂、非自民8党連立細川護熙政権成立によって最終的に終焉することになる。なお1993年の自民との分裂に次いで1996年には社会党が社会民主党に改称し、その後も分裂と他党との離合集散を繰り返し、現在の立憲民主党(2017年)、国民民主党(2020年)に系譜的に連なっている。



 自公連立の解消に至った2025年の参院選における政局の不安定化、リベラル派の退潮と排外主義的新興勢力の台頭による分極的多党制化などは、1993年のときも言われた「55年体制」の崩壊の延長上にある。なぜならば1990年代に入り、55年体制が崩壊し政界再編が進む中で、自民党は単独政権維持が困難となり、事実1993年の細川政権成立以来、今回の高市政権の成立以前には自民党は一度も単独与党になっていなかったからである。



 「55年体制」の崩壊と多党化、分極化の原因としては従来の政党の支持基盤であった労働組合、農協、業界団体、宗教団体といった中間団体、地縁・血縁コミュニティの衰退による有権者の個人化が進み、無党派層の動向が選挙結果を左右する流動的状況の常態化が既に挙げられていた。更にグローバリゼーションと新自由主義経済の浸透は、都市部と地方、富裕層と低所得層、正規と非正規、若年層と高齢層のあいだの経済的・文化的格差を拡大させ、大都市のグローバル志向、規制改革志向の上層階級の自由主義・リベラリズムと、地方の保守的な生活保障重視の庶民層のナショナリズム・排外主義という、従来の保革対立の枠組みに収まらないイシュー別・価値観別の分断を政治空間に持ち込ませることになったことで多党化、分極化を加速させた。



 特に2000年代以降のインターネット、特にSNS(Twitter, YouTube, TikTok)の普及により、政党や政治運動がマスメディアを経由せず直接的に個人と接触できるようになった反面、情報のフィルターバブル、エコーチェンバー現象により、現実に触れる情報は実際には極めて偏ったものであるばかりでなく、その信念は増幅強化されることになる。その結果、陰謀論、フェイクニュース、誹謗中傷、キャンセルカルチャー、スラップ訴訟などを、それぞれの政党や政治運動などが支持者拡大の手段として乱用することになり、社会の分断が進み、社会的統合が脅かされることになっているのが今日的状況である。





◾️2.自公連立とは何であったか

 1999年に自民党は公明党と連立を組み「自公連立政権」が誕生したが、以後2025年10月まで連立は継続していた(2009-2012年の民主党政権期には中断)。



 自民党が敗北した1993年の選挙の時点で中間団体の弱体化、有権者の価値観の多様化と投票行動の流動化による分極的多党制化の傾向は明らかになっていたが、1994年の選挙制度改革による小選挙区導入で組織票を持つ公明党の票の可搬性が決定的な価値を持つようになった。1993年の細川政権が成立した衆議院選挙では51議席を取った公明党が大きな役割を果たし4つの閣僚ポストを得ている。しかしこの連立政権の崩壊後、公明党は分裂したが1998年公明党と自民党の和解ムードが高まり、小選挙区比例代表並立制の下で公明党はキャスティングボートを握り、1999年10月に公明党が合意文書で政策協調と小選挙区の候補者調整を明記したことで、自公明連立政権が誕生し四半世紀以上続いた自公の選挙協力体制の基礎が置かれた。



 公明党は1970年に「国立戒壇」論を放棄し「王仏冥合」「仏法民主主義」等の語を綱領から除去し政教分離を宣言し、宗教政党からあらゆる階層を包含する中道の国民政党に路線転換し、「非核三原則」を国是とし専守防衛によって「国連中心の国際平和貢献」を目指し、推進する枠組みで自党の平和主義を政策化し、自民党の自衛隊の海外派遣や軍備増強に反対していた。



 しかし1999年の自公連立以降は与党内で自民党の軍事政策に一定のブレーキをかける機能を果たしたとも言われるが、平和主義の後退は明らかで自民党の軍事政策に追従して妥協を重ねる姿勢は支持母体である学会員の間でも批判が強まっていた。

[1] 一方で創価学会をはじめとする大教団の集票力が軒並み大幅に減っており、自民党の側にも公明党との連立にメリットが感じられなくなり公明党軽視の風潮が強まっていた。(小川寛大「政治家の“二股”を黙認してきた宗教団体の末路 2022年の夏は日本宗教史の大転換点になる」2022年9月7日付『プレジデント』)。



 2025年10月11日の自公連立解消は直接の引き金は、公明党からの企業・団体献金への規制強化と統一教会からの裏金事件の真相解明の要請に対する高市新総裁の対応への不満であった。しかし実際には26年にわたる連立の歴史の中での創価学会を母体とする公明党の「専守防衛」の平和主義、理想主義の理念と自民党の敵基地攻撃能力の保有や防衛費倍増による軍事力強化、国粋主義化の対立の深刻化、政教分離によって国民政党に生まれ変わった公明党と支持母体の創価学会の乖離と創価学会そのものの弱体化による公明党の集票力の減衰の加速化などの諸要因の積み重ねの結果であり、国粋主義、排外主義の軍事タカ派の高市政権の誕生は自公連立の構造的限界を露呈させる両党の長年の摩擦、対立の重荷を背負い続けてきたラクダの背を折る最後に積まれた一本の藁となったのである。





[1]  島田裕巳『公明党vs.創価学会』朝日新書2007年、島田裕巳「なぜこれほど公明党はダメになってしまったのか」2014年6月16日『アゴラ』参照。



【高市早苗】新総理に待ち受ける冷徹な現実。「対中抑止の最前線に立つ地政学的緩衝国家」としての役割【中田考】
所信表明演説をする高市早苗首相



◾️3.統一教会問題

 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は、東京地裁が2025年3月25日に解散命令を出し、教団は東京高裁に即時抗告中であるが、宗教法人格の剥奪可否が係争となっている。韓国では総裁の韓鶴子が第20代大統領尹錫悦の妻金建希らへの贈賄関与等で起訴されており、公判の帰趨が日本の政局にも影響しうる。安倍晋三暗殺後に明らかになった安倍派と教団の関係が自民党全体の説明責任を長期化させ、資金問題への不信も相まって連立与党の再編・離脱圧力を強める要因となっている[2]



 統一教会以前に宗教法人に対する解散命令が出されたのは、①明覚寺と、②オウム真理教の2件しかなく、いずれも殺人、暴行、詐欺のような刑事事件が組織的に行われたという極めて重大なケースであった。ところが統一教会の解散命令は、教団が犯罪を犯しておらず民事事件を起こしているに過ぎないにもかかわらず非公開の審問のみに基づいて解散命令が出された極めて異常なケースである。[3]



 『宗教問題』編集長小川寛大は、安倍元首相銃撃事件が2012年の教祖文鮮明の死後内紛で衰え創価学会票はおろか幸福実現党の票数にも遠く及ばない数万票の集票力しかない統一教会に注目を集め連日のマスコミによる統一教会批判によって「宗教は怖い」という社会の空気を強め宗教団体の力をますます削いでいき、「2022年の夏はこの国における“政治と宗教”の大きな転換点として記憶されるだろう」と述べている。



 小川によると集票力が急減しているのは創価学会、立正佼成会、幸福の科学のような新宗教だけではなく、伝統宗教の神道政治連盟も同じである。

しかし特定の教団に入会して組織的活動をする者が減っているのに対してパワースポットやスピリチュアルのような宗教ではないが“宗教っぽいもの”はむしろ人気が高まっていることに小川が着目し、2022年の時点で「スピリチュアルな雰囲気に下支えされた新しい“宗教っぽい運動”や外来の宗教が台頭している現実を見逃すべきではない。その意味でも2022年という年は、この国の宗教史の節目になるはずだ」と指摘していたのは慧眼と言うべきであろう[4]



 「組織票欲しさに二大宗教団体を利用してきた自民党と、その旨みを享受してきた宗教団体」と批判されるように自民党は集金と集票のために宗教団体を無節操に利用してきた。多くの自民党員にとって資金援助や選挙協力を求めて(旧)統一教会主催の会合に出席したり会合に祝電を送ったり広報誌でインタビューに応じたりすることは日常化していた。



 統一教会の裏金問題が再浮上したのは、裏金問題に誠実に対応しなかった高市新総裁への不満を直接のきっかけに公明党が政権離脱を表明したことによるが、石破前総理もまた地方創生担当相だった2015年年6月に教会系団体「世界戦略総合研究所」の定例会で講演し17年には統一教会系の日刊紙『世界日報』の元社長から10万円の献金を受けており、総理就任後も調査を明言していない。裏金解明問題は高市だけの責任ではなく自民党の宿痾である。[5]



 SNSI(副島国家戦略研究所)を主宰する副島隆彦は、日本と中国を戦わせるために統一教会は日本の政界に浸透しており、自民党では旧安倍派(清和会)と安倍の後継者である極右のタカ派政治家の高市が統一教会の熱烈な支持を受けているが、自民党には石破前総理、中谷前防衛大臣、村上誠一郎前総務大臣、林芳正前官房長官 ハト派の政治家も存在する、と述べている。副島によると自民党以外では現在は解散命令が出されている統一教会の名前での活動が封じられているため、統一教会は参政党の活動家や国民民主党の職員などに姿を変えて、高市を熱烈に支持しているが、立憲民主党は野田党首ら数人のみが追放すべき統一教会の隠れ幹部である。[6]



 10月22日付の『世界日報』の社説が高市の首相就任を祝して「岸田文雄、石破茂両政権が疎かにした「安倍晋三路線」を復活させ、離反した多くの保守層を取り戻して党勢回復につなげ、国家を再起するため尽力すべきである」と述べていることからも、中国との対立を煽る(旧)統一教会の影響には警戒を怠ってはなるまい。[7]





[2] Cf., Associated Press in Tokyo, “Tokyo court orders dissolution of ‘Moonies’ Unification church”,  The Gurdian, 2025/03/25.



[3] 「“統一教会”に解散命令 オウム真理教などに続き3例目」2025年3月25日付『日テレNEWS』、「【全文ノーカット】「宗教として尊敬と信頼を」「2009年以降 “霊感商法”1件もない」旧統一教会が「教会改革推進本部」設置 会見で何を語ったか」2022年9月23日付『TBS NEWS DIG』参照。



[4] 「聖書的保守主義を名乗る牧師」や「コロナ禍の到来を事前に予見したとする占星術師」や「他人の身体に触れることによって真なる健康と生命力を開花させると称するセラピスト」といった面々を候補に立てスピリチュアルな「宗教っぽい癒し」を求める人々の共感を集めた参政党が2022年に国政選挙初挑戦で1議席を獲得した事実に着目し、小川は宗教政党ではないが「宗教っぽいもの」を取り込んだ参政党を「日本人の新しい宗教観を反映した新しい政党」と評価する。またトランプ米大統領の支持基盤であるアメリカの福音派の影響を受けイスラエルにも近い単立教会の牧師金子道仁が日本維新の会から比例で国会で議席を獲得したことも重要な変化である。小川寛大「政治家の「二股」を黙認してきた宗教団体の末路 2022年の夏は日本宗教史の大転換点になる」2022年9月7日付『東洋経済ONLINE』参照。



[5] 遠藤誉「自公決裂!組織票欲しさに二大宗教団体を利用した自民党のツケ」2025年10月11日付『YahooNews!Japan』参照。



[6] 「旧統一教会と「つながりが深い」議員121人、自民が氏名公表」2022年9月8日付『読売新聞オンライン』、「徹底追及 統一協会石破新内閣 11人接点」2024年10月4日付『しんぶん赤旗電子版』参照。



[7] 副島隆彦「重たい掲示板【3196】」2025年10月6日付『副島隆彦の学問道場』参照。但し石破内閣の閣僚20人のうち少なくとも11人に統一協会や関連団体との接点があり、石破前総理は自民党と統一協会の組織的な関係性について調査、解明を行わなかったのも事実であり(「統一協会石破新内閣11人接点」2024年10月4日付『しんぶん赤旗電子版』)、統一教会の自民党への政策的影響は個々人で温度差が大きく過度に単純化、図式化することは慎むべきである。





◾️4.政界再編

 筆者は前回の時評で「国内的には参院選で国内外での分断と対立を煽る排外主義ポピュリスト諸勢力に投票した有権者たちからはSNSで高市の日和見に失望する声があがっており、保守勢力を自民党、与党陣営に取り込む目論見が成功するとは考え難い。



 ―中略― 高市が神道政治連盟や右派のメディアや論壇などの政治活動のプラットフォームで支持者が重なる参政党や保守党との閣外協力を模索するといった排外主義ポピュリストへの接近による政界再編の行方次第では公明党が離脱し、一挙に右傾化が加速する」と書いたが、10月11日の公明党の下野によって政局は政界再編に大きく動き出した。



 自民党は参院選で過半数割れとなったことで、連立の再構築を急ぎ、10月15日には、NHK党の斉藤健一郎参院議員と会派「自民党・無所属の会」を結成し、参院での議席確保を図った。同日高市総裁は日本維新の会の吉村代表と党首会談を行い、連立交渉を開始し、自民党は維新が求める議員定数削減について受け入れ方向で調整に入り[8]、党首会談で20日に閣外協力合意書に署名することで合意が成立した。



 また16日高市総裁は参政党の神谷宗幣代表と会談し「参政党と政策が近い」と述べたと伝えられており、麻生副総裁も日本維新の会を離れた3人も含む7議席を有する野党無所属議員が作る「有志・改革の会」に総理指名選挙での協力を要請している。[9]



 野党側では2025年10月16日公明党が立憲民主党幹事長級と会談を行い、翌17日に党首会談を実施することで合意に達し、その翌17日には、立憲と公明の両党首が正式に会談し一定の一致を見たことが報じられた。 10月16日には国民民主党は公明党との「2+2」会談(両党の代表・幹事長による協議)を実施している。³ ⁴ 立憲民主・公明、国民民主・公明の双方で連携が進展した一方で立憲民主と国民民主の間の直接的な首脳協議は行われておらず、連立政権実現に向けた野党再編は挫折した。

[10]



 日本の政界の文脈ではリベラルなハト派として自公連立政権の右傾化に一定の歯止めになっていた公明党の下野により、自民党が公明党に替わって維新その他の右翼政党との閣外協力の道を選んだことによって、日本の右傾化、国粋主義・全体主義・排外主義の加速化は不可避である。





【高市早苗】新総理に待ち受ける冷徹な現実。「対中抑止の最前線に立つ地政学的緩衝国家」としての役割【中田考】
与党党首会談に先立ち握手する、自民党の高市早苗総裁(右)と日本維新の会の吉村洋文代表(2025年10月21日)



 なぜならば日本維新の会(2016年~)は小さな政府を目指す制度的変革を目標に掲げているが、実のところ(旧日本維新の会:2012-2014年)初代代表の橋下徹が「国旗や国歌に敬意を払えない者は公務員として失格」と述べたのをはじめ「日本の統治は日本人の責任によって完結すべき」として国家崇拝と排外主義の公言によって大衆を扇動するフェイクニュースやヘイトスピーチも厭わぬポピュリズムによって党勢を拡大したのみならず、現在の日本維新の会の政策や議員発言からも、在日外国人の特別永住制度や生活保護を「特権」とみなし社会資源と政治的権利を「日本国民」に限定的に再配分する排外主義的ナショナリズムが透けて見えるからである。



 橋下期以降の維新もこうした自民党右派と親和的な極右排外主義極右排外主義を「自立する国民国家」「国益を守る改革」を標榜する党綱領において受け継いでいるばかりではなく、自民党にはない参政党、保守党、NHK党に先立つ大衆扇動型ポピュリスト政党としての特徴もまた橋下の手法を継承している。[11]



 10月23日付『日テレNEWS』によると日本テレビと読売新聞が行った世論調査によると高市政権は政権発足時としては2000年以降の調査では第4番目にあたる71%の支持率を達成した。参政党、保守党、N国党に先立つ大衆扇動型ポピュリスト政党と連携したことで日本の右傾化、国粋主義、全体主義、排外主義の加速化が早くも始まったのである。



 繰り返しになるが筆者は高市総裁、総理の選択は日本の極右国粋全体主義、好戦的排外主義化を加速する亡国の道だと信じているが、それは高市を総理に選んだ勢力に反対するいわゆる「ハト派のリベラル・デモクラット」に賛同しているわけではない。なぜならば日本の衰退、閉塞感は彼らが互いに批判し合っているようなどちらか一方の責任によるのではないからである。むしろ両者は不即不離、一枚のコインの裏と表であり、両者の二極化と分断の現状そのものが、日本政治が抱える構造的問題が生み出した結果なのであってそのどちらかが原因なわけではないのである。



 連載第一回の【11.西欧近代文明と領域国民主権国家システムの矛盾】で述べた通り、真の問題とは西洋列強が19世紀から20世紀にかけて力尽くで全世界に押し付けた自由、平等、人権などの近代世俗主義的政治理念と領域国民主権国家概念の間の根本的矛盾である。それゆえそれは本質的にグローバリゼーションの一局面なのであり、一義的には2020年代になって顕在化した欧米帝国主義列強とグローバル・サウスの文明史的/地政学的対立の日本における現象形態であり、二義的に“帝国日本”の「大日本帝国期」の敗戦処理の様相である。





[8] 「自民「議員定数削減」大筋で受け入れの方向で最終調整」2025年10月18日付『日テレNEWS』。



[9] 「自民×維新の連立前進へ」2025年10月17日付『TBS NEWS DIG』参照。



[10] 「献金の規制強化へ連携」2025年10月16日付『公明新聞オンライン』(URL: https://www.komei.or.jp/komeinews/p458661/)、「玉木雄一郎代表ぶら下がり会見」2025年10月16日付



『国民民主党公式サイト』2025年10月17日付(https://new-kokumin.jp/news/business/20251016_2)、



「第三者機関設置で協力を」2025年10月17日付『立憲民主党公式サイト』(URL: https://cdp-japan.jp/news/20251017_9766)、「献金の規制強化へ連携」2025年10月16日付『公明新聞オンライン』(URL: https://www.komei.or.jp/komeinews/p458661/)、URL: https://cdp-japan.jp/news/20251017_9766、「公明党との党首会談「ともに中道とい



う立ち位置で噛み合った議論ができた」野田代表」2025年10月17日付『立憲民主党公式サイト』参照。



[11] 村上弘「日本政治と『維新の会』ー道州制、首相公選、国会縮減の構想を考える」『立命館法学』12巻4号(2012年)85–108頁、樋口直人「極右政党の社会的基盤 ー 支持者像と支持の論理」『アジア太平洋レビュー』第10号(2013年)15-28頁、「起立しない教員は「クビ」橋下知事、国歌斉唱で処分基準」2011年5月17日付『J-CASTニュース』、石橋学「外国人が優遇されているはデマ」2025年8月14日付『週刊金曜日』参照。



【高市早苗】新総理に待ち受ける冷徹な現実。「対中抑止の最前線に立つ地政学的緩衝国家」としての役割【中田考】
高市早苗首相



◾️5.“帝国日本”にとっての高市政権

 前回の【第1章.文明とは何か】で述べたように、日本は他に属する国がない「独立文明」である。しかしそれは日本が世界から孤立していることを意味しない。



 5世紀から6世紀にかけて倭のヤマト政権が南朝の宋・梁など中国王朝に朝貢し、冊封を受け中国の権威を背景に任那に出兵し任那を足掛かりに朝鮮半島南部への進出をはかって以来、“帝国日本”は東アジア中華秩序の主要なプレーヤーの一つであった。奈良時代(8世紀)に収蔵された東大寺の正倉院の宝物群にはササン朝ペルシア風のガラス器、インド・ガンダーラ風の装飾、唐代長安を経由(所謂「シルクロード」)した絹織物、さらにローマ・エジプト由来のガラス技法に由来する工芸品までが含まれており、“帝国日本”はユーラシア文明交流圏の東端に位置づけられていた。



  “帝国日本”が顕著に帝国主義的領土拡大を進めた時期は、①中華文明から独立し任那に侵攻した5~6世紀、②中国(明朝)の征服を目指して抽選半島に出兵した「唐入り(文禄の役:1592年、慶長の役1597年)」、③琉球併合(1879年)から大東亜戦争の敗戦(1945年)に至る大日本帝国期に大別される。第三期において日本は台湾(1895年)、朝鮮(1910年)、南洋群島(第一次大戦後委任統治)などを領有し、東アジア・太平洋にわたる植民帝国を形成した。



 私見によると、“帝国日本”は現在この第三期の敗戦処理の過程にあり、高市政権に委ねられた課題の本質は、大日本帝国の帝国/植民地管理の失敗の後始末である。資料的な限界からその実態が曖昧な任那の侵略は擱(お)くとして、秀吉の唐入りも、大日本帝国の大東亜戦争も、戦争による侵略と力づくの強権的支配であり、帝国内の様々なエスニシティー集団を束ねる普遍的な理念もなければ、それぞれの集団に自治を許し共存を保証するシステムを作り上げることもできなかった。



 逆に“帝国日本”は大日本帝国において朝鮮や台湾のように日本に編入し現地人に日本国籍を与えた者に対しても戸籍上内地人、朝鮮人、台湾人と法的に差別しただけでなく、天皇を現人神として崇拝を強要した。文化的に近い朝鮮や台湾だけではない。イスラーム文化圏のインドネシアやマレーシアなどでも神社を立て、現地人に宮城遥拝をした。そして敗戦で海外領土を失うと「日本人」であったはずのおよそ三千万人の「朝鮮人」、「台湾人」から国籍を奪うと同時に恩給などの権利も奪った。これが高市が言う「日本人」であり、今日の「外国人」差別、「在日特権」などの排外主義的扇動の原点なのである。



 家父長主義的温情であったのか単なる効率的搾取のためであったのか、意図が奈辺にあったのかは問わない。純物質的、経済的には日本の植民地経営は直轄の朝鮮半島、台湾では開発型植民地支配でありインフラ・教育・医療の整備においてはむしろ欧米に比べて相対的に進んでいた。委任統治領として始まった南洋諸島ではドイツ時代に比べて開発は大幅に進んでいた。



 経済的な一定の開発の成功を勘案するなら大東亜戦争期の“帝国日本”の植民地経営の文明論的「不徳」は目を覆いたくなるレベルである。「原住民」を見下し、搾取することにおいては大日本帝国は欧米帝国主義列強と変わるところは無かった。しかし「原住民」の内心に土足で踏み込み神道、天皇崇拝を力づくで強制しようとしたナイーブな「皇民化」政策は現在に至るまで大きな禍根を残す世界の植民地政策の中でも稀に見る大失敗に終わった。



 その最も顕著な例が神道の海外布教であった。日本は海外植民地の至る所に神社を建て皇民化を推し進めたがその全てが跡形もなく消え去った。言い換えれば大日本帝国の植民地経営は非文明的な覇道による侵略でしかなく、中華文明の徳治の王道による「王化」を模し「八紘一宇」のような身体化されない新造語で飾り立てて「原住民」を現人神の臣民に仕立て上げようとした神道による「皇民化」の宣撫工作の象徴であった神社も奉安殿も全て雲散霧消したのである。



 極右排外主義者も例外的に好意的に位置づけ大日本帝国の植民地経営の成功例であり「価値を共有する友邦」「対中最前線」とみなす台湾でさえすべての神社が取り壊され、僅かに桃園神社のみが1950年に桃園忠烈祠と改名されて歴史的記念物として保存され観光名所となっているのみであり、現在まで現地の人々が参詣する宗教施設としての神社はただの一社すら残っていない。まさに「不徳の至り」と言えよう。



 テキサス州立大学の日本文学研究者セス・ジェイコボウィッツは「日本は戦争に勝った ―修正主義的歴史叙述、異歴史フィクション、そして帝国ノスタルジアにおける記憶の政治」において、「大日本帝国の栄光の回復を夢見る復古的ナショナリズム(imperial revanchism)」がいかにして陰謀論、オルタナティブ・ヒストリー、及び歴史修正主義を生み出し、世界的な極右運動とどのように連動しているかを分析している。



 「自由で開かれたインド太平洋」、「基本的価値を共有する同盟国」、「グローバルサウス諸国との連携」などの空々しい美辞麗句を並べただけの総理就任所信表明演説は玉虫色の文字通りの外交儀礼であり論ずる価値がない。



 しかし「南京事件はデマ」とする映画に賛同者として名を連ねていた松本洋平を文部科学相に任命し、首相就任の所信表明で憲法改正への意欲を示し、韓国メディアからの関係悪化の懸念に対し「未来志向で発展させたい」と回答したことが、高市には自らの課題が大日本帝国の帝国/植民地管理の失敗の後始末であるとの意識がないことを自ずから示している。



 「歴史修正主義者」と呼ばれている(“Sanae Takaichi, Opponent of Gender Equality, Becomes Japan’s First Female Prime Minister”, Democracy Now, 2025/10/21)高市は「不徳」な大日本帝国の植民地経営の文明論的失敗を直視し、敗戦によって庇護の責任を放棄し見捨てた三千万もの「日本人」に対して償うことこそが日本が取るべき道とは考えていない。むしろ逆に大日本帝国の統治は優れていたが傲慢で狡知に長けた欧米列強と頑迷な忘恩の「外地人」の被害者であった、との方向で歴史を改竄して大日本帝国を免責し他者に責任を押し付けるばかりか、「内地人」の日本人でさえ自分流の神道解釈、皇国史観に忠誠を誓わない者は「非国民」として切り捨てることによってこそ日本が栄光を取り戻せると信じているのである。



 玉虫色の所信表明演説の中で唯一はっきりしているのはアメリカには何があっても付いていく、という対米盲従政策である。強い者には諂い弱い者は居丈高に踏みつけにする。“帝国日本”は黒船来襲のアメリカの砲艦外交で開国を余儀なくされ、脱亜入欧殖産興業富国強兵政策によって日清日露戦争で勝ち第一次世界大戦でも米英に追随し勝馬にのってせっかく列強の仲間入りを果たしたにもかかわらず、アメリカに逆らったために敗戦国に転落し海外植民地を全て失う羽目になった。



 冷戦の開始によって日本をアジアにおける反共の橋頭保とするとのアメリカの政策転換によって新たにアメリカに次いでGDP世界第二位の経済大国として生まれ変わり「名誉白人」としてアジアで唯一のG7加盟国となった“帝国日本”が、敗戦のトラウマから今後は二度とアメリカに逆らわないと誓い「ホワイトハウスに朝貢して属国の代官の地位に冊封される」ことに「居つく」(©@levinassien)ことは理解できる。特に党内の基盤も弱く、分極的多党制下で極右排外主義ポピュリスト政党との連携の困難な政権運営を強いられる高市であるならば、局面を単純化し「寄らば大樹の陰」とアメリカを宗主国として崇め奉り盲従し属国の代官、「虎の威を借りる狐」となることを外交の支柱とすることはむしろ合理的な選択とも言える。



【高市早苗】新総理に待ち受ける冷徹な現実。「対中抑止の最前線に立つ地政学的緩衝国家」としての役割【中田考】
U.S. President Donald Trump speaks to reporters aboard Air Force One en route to Asia, October 24, 2025. REUTERS/Evelyn Hockstein (United States) 写真:ロイター/アフロ



◾️6.第二次トランプ政権は属国日本を見捨てるのか

 しかし問題は第二次トランプ政権が第二次世界大戦後のアメリカの覇権の漸進的衰退に伴い19-20世紀の欧米主導のルールチェンジャーとなったことで世界におけるアメリカの立ち位置が決定的に変わったことである。[12]



 「欧米vsグローバルサウス」の大きな構図が、諸文明圏の国々のブロック形成とその離合集散による再編の過程で、冷戦終結(1991年)以降軍事力、経済力、文化的影響力において他国を圧倒し唯一の超大国として国際機関や地域紛争への介入を通じて自由主義的国際秩序の維持を試みたアメリカによるユニポール(単極支配)時代が2003年のイラク戦争、2008年のリーマン・ショックを経て終った後に立ち現れたのである。



 続いて2016年に「アメリカ・ファースト」を掲げる第一次トランプ政権が欧米自由主義諸国の盟主の座から離脱し19世紀以来続いた欧米列強の覇権自体が終焉し、欧米も多極文明世界の一地方文明圏となり、「欧米vsグローバルサウス」の構図が出来上がり、更に欧米自由主義ブロックの内部でも、アメリカはもはやかつての「自由民主主義」の盟主ではなく、先の見えないディールによるルールチェンジャーとして近代西欧文明を分裂させかねない撹乱要因となっている。



 欧米主要メディアは、高市新総裁を一貫して「極右」「超保守」「タカ派」として報じている。たとえば Reuters は “hard-right”、Associated Press は “ultraconservative”、Financial Times は “hardline conservative”“arch-conservative”、AFP は “China hawk”、New York Times は “hard-line conservative”、Washington Post は “nationalist and security hawk” と表現している。



 これらの呼称は単なる政治的分類にとどまらず、欧米文脈では排外主義的傾向や対外強硬姿勢と結びついた否定的ニュアンスを帯びる。英英辞典において “hard-right” は “extremely nationalist or anti-immigrant in political outlook” と定義され、報道上のラベリングとして機能している。すなわち、第二次世界大戦の旧敵国であり、西欧的リベラル秩序とは異質の文化的コードを持つ日本に対し、高市政権の志向を警戒的に描く言説装置として作用しているのである。[13]「岸田文雄、石破茂両政権が疎かにした「安倍晋三路線」を復活させ、離反した多くの保守層を取り戻して党勢回復につなげ、国家を再起するため尽力すべきである」との統一教会系の韓国メディアの全面的バックアップの姿勢と対照すれば、欧米の報道との違いは明白である。



 ところが、統一教会と欧米諸国には一つの戦略的共通点が見られる。それは、日本を対中外交・軍事対立の前線に立たせようとする意図である。欧米がウクライナを支援し、ロシアとの直接衝突を回避しつつ、代理戦争の形でロシアを消耗させている構図と同様に、統一教会は台湾有事や東アジアの緊張を見据えた対中戦略において地理的・歴史的に中国と領土問題(尖閣諸島)を抱える日本を戦略的資源として位置づけている。すなわち「価値観を共有する同盟国」といった外交辞令を剥ぎ取った時、欧米が日本に期待しているのは、対中抑止の最前線に立つ地政学的緩衝国家としての役割である、との冷徹な現実が露わになるのである。



 統一教会に関しては、韓国における韓鶴子総裁の裁判を通じてその政治的実態が明らかになるまでは、陰謀論的な憶測の域を出ない。しかし、副島隆彦が「日本が中国と戦争をするように仕向ける勢力は、すべて統一教会につながっている」(「石破新政権の統一教会系の議員たちの落選、追放の策を強く支持する」2024年10月25日『副島隆彦学問道場:重たい掲示板』)と指摘するように、同教団が冷戦期以来の反共・反中国的イデオロギーを保持し続けていることは、勝共連合などの活動からも示唆される。[14]こうした文脈を知るなら、高市早苗のような中国強硬派(China hawk)の政治家が、欧米諸国にとってのみならず、韓国および統一教会にとっても、対中対決構造における格好の手駒、地政学的な代替戦力(proxy actor)として戦略的に位置づけられていることが見て取られるのである。



 このように独立文明のトインビー的意味での“世界国家”[15]であるが故に真の意味での「価値観を共有する」友邦がない“帝国日本”が、アメリカの属国となりトランプに臣従し冊封されアメリカの代官となることで国益を守り続けることができるのだろうか。



 トランプの戦略的ブレーンであり、国防次官(政策担当)に指名されたエルブリッジ・コルビーは、著書『アジア・ファースト』において「拒否戦略(Denial Strategy)」を提唱し米国の主戦場はアジアであると明言している。この戦略は中国の地域覇権を断固拒否するために、米国が軍事・経済資源をアジアに集中させるべきだというリアリズムに基づく。コルビーは、欧州の安全保障は欧州自身に委ねるのと同じく、米国は中国との直接衝突を避け、台湾・日本・フィリピンなど第1列島線の「同盟国」に防衛の責務を分担させるべきだと主張し、日本に対しGDP比3%以上の防衛費増を要求し、米軍の直接介入を前提としない「自助努力」を強く促している。





【高市早苗】新総理に待ち受ける冷徹な現実。「対中抑止の最前線に立つ地政学的緩衝国家」としての役割【中田考】
米国防次官のエルブリッジ・コルビー



 この構図において日本は最前線に立たされる。『フォーリン・アフェアーズ』誌も、トランプ政権の外交は「選択的関与」と「同盟国の自立」を軸とする現実主義的再編であると分析しており、日本が「属国」として米国の庇護に依存し続ける構造は、戦略的に持続不可能と見なされている。したがって、第二次トランプ政権下での日本の地位は、従属的同盟国から戦略的緩衝国家=準主権的防衛主体へと転換を迫られる可能性が高い。[16]



 同じ近代西欧文明圏の友邦である欧州諸国の安全保障でさえ手を引こうとしているMAGAトランプ政権が「属国」でしかなかった日本を本当に守るのだろうか。「従属的同盟国から戦略的緩衝国家=準主権的防衛主体へと転換」と言えば聞こえはよいが、状況次第では日本の防衛は放棄し、頭越しに中国と手打ちをするということである。



 こうした「頭越し外交」の前例として最も象徴的なのが1972年の米中共同コミュニケ(上海コミュニケ)とニクソン訪中による米国による中華人民共和国の国家承認と中華民国(台湾)との断交であった。冷戦構造の転換点において米国は日本との事前協議なしに台湾との外交関係を事実上断絶し中国との国交正常化に踏み切った。これは当時の佐藤栄作政権にとって衝撃であり日本の対中政策が米国の地政学的再編に従属していたことを露呈した。



 この「台湾切り捨て」を思い起こせば、米国がこれまでも自国の戦略的利益を優先し同盟国の安全保障上は二の次にしてきたことは明らかである。現在のMAGAトランプ政権が掲げる「America First」路線は、このようなリアリズムをさらに加速させるものである。コルビーらが提唱する「拒否戦略」は、米国が直接的な軍事介入を避け、同盟国に前線の防衛責任を押し付ける構造であり、日本が「戦略的緩衝国家」として位置づけられることは、防衛義務の放棄と地政学的リスクの転嫁を意味する。



 既存の法秩序を軽視し全てを「ディール(取引)」の対象と考えるルールチェンジャー第二次トランプ政権が「日本を守るか否か」という問いにおいては形式的な同盟の有無は大きな意味を持たない。台湾の前例は米国が必要とあらば同盟国の主権や安全保障を犠牲にしてでも戦略的妥協を選ぶ現実を示している。トランプ政権がかつてニクソンが新設の「米国在台協会(American Institute in Taiwan)」を通じての外交、軍事、経済支援という「捨扶持」与えて台湾を切り捨てたように日本にも「捨扶持」を与えて切り捨てる可能性は決して小さくはない。



 私見では、日本の長期的な凋落と構造的衰退はもはや不可逆的であり、リアリズムに基づく冷徹な現状認識に則った戦略的選択が急務である。最悪のシナリオは、中国との全面的軍事衝突によるハードランディングである。これを回避するためには、米中二極構造の狭間において日本がいかにして生存空間を確保するかが鍵となる。そのために近世における琉球王国の外交的立ち回りを参照することができよう。琉球は大清帝国の冊封体制に組み込まれつつも、実質的には薩摩藩の支配下に置かれた「両属体制」の中で、形式的には清朝への朝貢を継続しつつも実質的には“帝国日本”の幕藩体制に従属するという複雑な政治的均衡を維持した。こうした琉球王国の生存戦略は、地政学的板挟みの中での柔軟な外交調整と象徴的忠誠の使い分けによって成立していた。現代日本においても、米中両大国との関係を硬直的な同盟構造ではなく、戦略的自律性を伴う多層的関係として再構築し、軍事的対立の回避と経済的生存の両立を図る「困難なソフトランディング」こそが、短期的に最も現実的な生存戦略であると筆者は考えている。[17]





[12] 田所昌幸『世界秩序 グローバル化の夢と挫折』(中央公論新社2025年9月9日)『世界秩序 グローバル化の夢と挫折』91-101頁参照。



[13] 靖国神社参拝問題は、こうした「イメージの政治」を象徴する論点である。なお、人種・民族的ステレオタイプや排外主義的態度は日本固有の現象ではなく、欧米社会にも広く見られる。AP通信とシカゴ大学(AAPI Data / AP-NORC Center)による共同調査(2023 年 11 月 14 日発表)によれば、アジア系・ハワイ系・太平洋諸島系住民の約 3 人に 1 人が過去 1 年間に差別的言動またはヘイト・インシデントを経験したと報告している。



[14] 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は1968年に文鮮明によって設立された政治団体・国際勝共連合(IFVOC)を通じて反共・反中国的活動を展開してきた。勝共連合は「共産主義打倒」を掲げ、日本では岸信介・笹川良一ら保守政治家の支援を受けて設立され、自民党との協力関係を築いた。冷戦期には韓国中央情報部(KCIA)と連携し、1970年代以降は中華人民共和国の国連承認反対運動やスパイ防止法制定運動を推進し、反中国的言説を国内世論に浸透させる役割を果たした。そしてポスト冷戦期においては現会長渡邊芳雄が「世界は今、「新冷戦」の様相を呈している。とりわけ思想・価値観における闘いである文化闘争と、国際秩序の頂点に立つための100年計画を遂行しつつある中国(中華人民共和国)の覇権を阻止する外交・安全保障面における闘いである」(渡邊芳雄「『勝共連合かく闘えり』 はじめに」『国際勝共連合公式サイト』https://www.ifvoc.org/hajimeni/)と公言している通り、その主要敵は中国なのである。黒井文太郎「統一教会と昭和裏面史」2022年09月09日『Friday Digital』参照。



[15] “世界国家”概念については、拙稿「自民党新総裁・高市早苗、公明党の連立解消で排外主義ポピュリストへの接近と政界再編。一挙に右傾化が加速する危険性大」【8.孤立文明の世界国家“帝国日本”の取るべき道】2025年10月10日『ベストタイムズ』参照



[16] 佐橋亮「トランプ外交は現実主義か、イデオロギーか」2024年6月24日『日本国際問題研究所研究レポート アメリカ外交の展望(2)』参照。



[17] 副島はこうした日米中関係の現状を分析して≪トランプ大統領は、自分の国の中でも、内戦が起きそうで、かつ、イスラエルのガザ戦争の終結やら、ウクライナ戦争の停戦やらで、頭と体が一杯だ。だから、東アジアのことは「お前たちに任せた。好きなようにやれ」である。大きな世界政治の駆け引きでは「なかなか出て来ない、中国の習近平が、取引に応じるように、一番、イヤなことをやれ」だ。すなわち「日本(韓国、台湾も)という、中国との最前線にいる国を中国に嗾けて、ぶつけるように仕組め」だ。日本はアメリカの噛ませ犬だ。中国が一番、嫌がることをやれ、である。自分が生き残るために、デープステイトと野合( シークレット・ディール)をしたトランプは、自分の延命のために、属国群を犠牲にする。資金を奪い取る。 私たち日本国民は、今も、それに必死で耐えている。これでいい。このまま、じっと、じっくりと持久戦で、苦しみに堪えて堪えて、耐え抜くことが大事だ≫と乱暴に纏めている。副島「重たい掲示板【3196】」2025年10月6日付『副島隆彦の学問道場』参照。





◾️7.結語

 2025年10月21/22日に読売新聞社が実施した全国世論調査によると高市政権に対して「優先して取り組んでほしい政策や課題」として最も多く挙げられた(複数回答可)のは物価高対策(92%)であり、リアルポリティクスにおいて最も国民の関心を引く問題は経済問題だろう。



 しかし今日の世界は緊密につながっており、国際的なサプライチェーンの維持は経済に大きな影響を与える国民生活に直結する問題である。特に天然資源の自給率が12.6%(天然エネルギー庁2022年)、食料自給率(カロリーベース)が38%(農林水産省2025年)しかない“帝国日本”にとって外交は死活的重要性を有する。大日本帝国が無謀な大東亜戦争に突き進んだのも富国強兵政策の一環として海外に資源を求めざるをえなくなったからである。



 そして外交は決して経済的合理性による利害損得の計算だけで動くわけではない。本稿で扱っただけでも、創価学会・公明党、統一教会、靖国神社などの「宗教」が外交の大きな争点になっている。しかし私見によると、これらの「宗教問題」を理解するにあたって、「仏教」、「キリスト教」、「神道」などの西欧的な宗教学の概念枠組みにおける定義と分類に従って、それぞれの教団の信徒についてその教義を参照して政治行動の分析を行うことはかえって問題の本質を見誤らせるものでしかない。特に歴史的に儒仏道の三教合一が人口に膾炙していた中華文化圏、東アジア、仏教、神道、儒教が社会空間においても一個人の中においても共存、混淆が常態であった日本においてはそれらの「宗教」は分析概念として役に立たない。



 E.デュルケームとM.ヴェーバーは社会学の祖とも呼ばれる。前者は「人間は人間に対して神になった」(デュルケーム『個人主義と知識人』)、「(現代の道徳は)人間を信徒とし、同時に神ともする宗教」(デュルケーム『個人主義と知識人』)、後者は西欧近代の価値観の相違をめぐって人々が争う時代精神を「神々の闘争」(ヴェーバー『職業としての科学』)と診断している。しかし動植物は言うまでもなく木石までが神として祀られる日本においては、人間が神となることなど取り立てて言うまでもない、誰もが当然視している些末事でしかない。



 東アジアや日本が世俗化において西欧より進んでいた、などということを言いたいわけではない。またグローバル化が進んだ現代においては東アジアだけでなく世界中で諸宗教が混交しさまざまな宗教の信徒たちが共存していることを「人神の多神教」と呼べばそれで現代の宗教状況を把握できると考えているわけでもない。



 筆者は現代の資本主義社会における主神はリヴァイアサン(国家)、その配偶神はマモン(銭神)だと考えている。しかし現代における神々は、リヴァイアサンとマモンだけではない。日本神話では「八百万神」とも言われるように何もかもが神となり、その数に限りはない。八百万の神々がいると言っても、誰もその総体を知る者はなく、それらの神々が全て崇められているわけではない。



 宗教学には「交替一神教(henotheism, kathenotheism)」という概念がある。多くの神々が知られており、ある時点ではその中の一柱の神を崇拝されるが、時に応じて崇拝される神が換わっていくという信仰形態のことである。人の意識は移ろいゆくものであり、一度に意識できる志向対象は限られている。その意味では、交替一神教とはむしろ多神教の常態とも言える。



 現代人の主神がリヴァイアサン(国家)だとしても、人々が日常生活において常にリヴァイアサンを崇拝しているわけではない。人は日常においてはマモン(銭神)や自分の地位、仕事、見栄、家族、趣味、欲望などの神々に目移りしながらその時々にそれらのどれかを奉って生きている。交替一神教としての多神教には総体としてみた場合も、個々の成員を取り上げても、一貫性も整合性もない。それが多神教であり、現代世界の実相であるというのが本連載における筆者の立場となる。



 リヴァイアサンを主神、マモンを配偶神とする人神の多神教が現代世界の宗教の実相であり、そしてそれを「交替一神教」として捉え直すことが、現代の人類社会の動態を分析する上で有効だと筆者は信じているが、交替一神教の概念を用いた分析は具体的な事例に即して次回以降の時評において適宜行っていくことにしたい。





文:中田考

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