早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。

いったい自分は何者なのか? 「私」という存在を裸にするために、神野は言葉を紡ぎ続ける。連載「揺蕩と偏愛」#16は「「ファミレスのボックス席」と「無邪気な彼女」」



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◾️金曜日の20時。ファミレスのボックス席



 私の目の前に座る彼女は眉間に皺を寄せて、テーブルに置いてあるタブレット画面を凝視していた。「目玉焼きをつけるか、いやでもこっちも捨てがたい」なんて唱えていると思ったら、パッと顔を上げて、「目玉焼きつけた上に、若鶏のグリルをつけるのってありかな?」と私に尋ねてきた。あまりにも真剣な顔つきをしているので、思わず笑ってしまいそうになる。



 「別にいいんじゃない。クーポン使えばやすくなるし」



 「あ、ほんと!大人だしこれくらいつけちゃっていいよね、若鶏分チャラになるし!」と迷いなく指を動かしていく。その後満足げな表情で私に端末を差し出してきた。



 金曜日の20時。幹線道路沿いにあるファミレスのボックス席で2人揃ってハンバーグを食べすすめていく。もちろんドリンクバーの炭酸飲料もセットだ。炭酸なんて合うわけがないのに、ドリンクバーを前にすると結局選んでしまう。

子どもの頃からずっとそうだ。



 目玉焼きとハンバーグを器用に切り分けている彼女とはもう4年の付き合いだ。顎のラインで切り揃えられたショートボブに小動物のようなくりんとした目。それでいて、笑うときにちょっと歯を見せる。その表情がいつも印象に残る。



 彼女は時折私を昔の名前で呼んでは「あ、間違えた!」と言って本名で呼び直してくる。「無邪気」という言葉を人間にしたら彼女の形になるだろうなといつも考えている。



 この1週間で顔を合わせるのは3度目で、週末に旅行に行き、週の半ばは彼女の家に雨宿りに行き、そして今日はファミレスに一緒にいる。「作業しよう!」という名目で集まったものの、お互いにパソコンを開く素振りも見せない。頻繁に顔を合わせても口を閉じる時間が生まれないのはいつものことだ。



 家で会っているときよりも、酔っているときよりも、こうしてファミレスのボックス席に収まっているときの方が、ずっと核心に近い話をしている気がする。少し炭酸の抜けた液体をストローで吸いながら、そんなことをぼんやり考えていた。



 そういえば、高校生の頃から似たようなことをしていた。



 模試終わりに学校の近くのガストに集合し、女子5人がぎゅうぎゅうになりながら山盛りのポテトをつつきあっていた。恋愛の話も勉強の話も、あの四角い席の中だけではやけに饒舌だった。



 その癖が身体に染み付いているのか、26歳になった今も同じように目の前の彼女に赤裸々に打ち明けている。きっと表情をころころ変えている彼女の身体にも同じようにある種の習性として身についているのだろう。



「ファミレスのボックス席」と「無邪気な彼女」【神野藍】連載「揺蕩と偏愛」#16
写真:著者提供



◾️しんとした空気が漂う 22時30分



 器についたアイスクリームが完全に液体になった頃、「そろそろ帰るかー」と彼女が切り出した。しばらく放っておいたスマホの画面には、22:30と表示されていた。外に出ると数時間前よりもしんとした空気が漂っている。



 「結局何も作業してないけど、まあいっか」と悪戯な表情で、バイクのヘルメットを差し出してくる。彼女が運転するバイクの後ろに乗って、少し肌寒い空気が服の間をすり抜けていく。彼女の腰をぎゅっと掴みながら、後ろから道案内をしていく。「なんでバイクに乗り始めた私より、東京の道分かるんだよー」なんて軽口を叩く彼女に、私も「道覚えるの得意だから」と得意げに返答をした。





 冷たい夜風の中に2人の笑い声が溶けていく。



 出発するよりも身体が軽くなったのを感じていた。





文:神野藍

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