曖昧な告発と世間の空気によって犯罪者にされたジャニー喜多川と、潰されてしまった事務所。その流れは、今年の中居正広、さらには国分太一をめぐる騒動にも引き継がれている。

悪役を作って叩きまくる快楽。しかし、その流行は誰もが叩かれる対象になる時代の到来ではないのか。そんな違和感と危惧を、ゲス不倫騒動あたりまで遡り、検証していく。



長嶋茂雄を超えたキムタク、新時代の芸能人・櫻井翔。そして、S...の画像はこちら >>



 



第10回 長嶋茂雄を超えたキムタク、新時代の芸能人・櫻井翔。そして、SMAPと嵐が国民的になれた理由

  



 このシリーズの第9回が配信されたあと、国分太一に大きな動きがあった。番組降板を決めた日本テレビの対応に問題があったとして、日弁連に人権救済の申し立てを行ったのだ。



 10月23日の代理人弁護士による会見では、話し合いが不意打ち、騙し打ちのようなもので、かつ誘導的だったこと、その結果、誰に対して何をしたことでこのような処分になったのか、本人ですら具体的にはほとんど把握できていないことなどが語られた。この内容について、日テレが抗議していることから、両者は平行線の状態だが、ひとつの推理は成り立つだろう。



 人気漫画の実写化にともなうトラブルで激しい批判を浴びたこと、その後、フジテレビがトラブル対応でさらに深刻な窮地に陥ったこと、こうした流れが日テレに、国分の件での性急かつ一方的な判断をもたらしたのでは、という推理だ。そこには当然、2023年のジャニーズ騒動勃発以来、ジャニーズ系芸能人にはぞんざいな扱いをしても大丈夫、むしろそうしたほうが安全だという業界内の空気も影響していたと考えられる。



 ただ、フジテレビ騒動のきっかけとなった中居正広と女子社員(当時)のトラブルについても、状況が変わり始めている。22日に配信された週刊女性PRIMEの記事によれば、この女性に密着取材していたNHKの番組がお蔵入りになっているらしい。

NHKの上層部がトラブルの経緯を見守る方向に転じ「待った」をかけたのだという。



 また、中居が昨年まで司会を務めていたプロ野球ドラフト会議の特番では、新聞のテレビ欄に表示された解説文が話題に。いわゆる縦読みをすると、SMAPの曲名が浮き上がる、という趣向になっていた。スタッフから中居へのねぎらい、あるいはエールだったのかもしれない。



 国分に対しても、同情的な声が目立つ。二年以上吹き荒れてきたジャニーズ系芸能人への逆風もそろそろおさまるのだろうか。



 



 とまあ、前フリはこれくらいにして――。今回のテーマへと行こう。SMAPと嵐、このふたつのグループが国民的人気を得ることができた決め手は何か、である。



 まず、嵐についてよく言われるのは仲のよさだ。芸能人としての晩年、プロデューサーとして冴えを見せていた島田紳助は09年に自分がMCだった番組でこんな発言をした。



 「嵐のどこが人気やねん、と聞いたら、一番は、5人の仲がいい、5人の仲がいいってことによって、パワーが『×5』になってると。

そのエネルギーが観てる私たちまで、幸せにしてくれるんだって、ウチのチビが言ってましたけど」



 このとき、ゲストだった二宮和也は「他のグループにいたことがない」からよくわからないとしつつ「でも、仲いいっすよー」と返していた。では、他のメンバーはどうか、あちこちから拾ってみると「この楽しそうな雰囲気こそが『嵐の空気』」(相葉雅紀)「平和なところが好き」(大野智)「(芸能界での味方は)4人だけ」(松本潤)「1回くらい、ケンカしてもいいかな」(櫻井翔)などなど、仲のよさを裏付ける言葉が見つかる。



 グループ初期には二宮と松本が口をきかない冷戦状態だったという話もあるが、コアなファン以外には知られていないだろうし、仲のよさが彼らの魅力であることは間違いない。



 ただ、嵐というグループ名からはちょっとした違和感も。それこそ「名は体を表す」でいえば、KAT-TUNのようにやんちゃでワイルドなグループのほうが「嵐」というグループ名にふさわしかった気もするのだ。



 だとしたら、彼らが嵐としてこれほど売れたこと自体にも意味があるのではないか。日本中がイケイケだった昭和の後期、だが、その勢いは平成初頭のバブル崩壊で止まり、若者は閉塞感を抱えながら、平和なつながりを求めて葛藤する傾向が強くなった。そんななか、仲のよさをパワーに変えられる5人がふりまく穏やかな嵐が、心地よい安らぎになっているのではと。



 驚くのは、令和の今なお、活動休止中の嵐が高校生世代にもわりと人気だという現実だ。おそらく、若者の閉塞感はまだ続いていて、彼らの安らぎが依然として有効なのだろう。



 



  そんな嵐に対し、昭和の熱気が残るなかで世に出たのがSMAP。こちらが国民的人気を得たのはやはり、木村拓哉の存在が大きい。

出世作の『あすなろ白書』以降、数々のドラマで高視聴率を記録し、音楽面でもいちばん歌えるメンバーとしてグループを牽引。「最後の国民的スター」と呼ばれる彼なくして、SMAPの国民的グループ化はあり得なかった。



 その、何かにつけて話題になるスター性は持って生まれた「天然キャラ」のたまものでもある。たとえば彼はかつて「キムタク」と呼ばれるのを嫌がり「キムタクのルーツを探して、2000年までに撲滅しよう」という企画を自分のラジオで展開したことがある。



 しかし、リスナーから彼自身がデビュー直後「拓哉くんでーす。名付けて、キムタク」と自己紹介していたこと、それを3年くらい普通に使っていたという情報が寄せられた。彼は驚き、この企画をこう締めくくることに。



「公共の電波を使って、大々的に、募集してたわけじゃん。で、これがもしホントだったら、結局、犯人は俺でしょ? ってことは、俺、バカじゃん」



 天然キャラ界のレジェンド・長嶋茂雄も顔負けのエピソード。大スターたるゆえんだ。



 とはいえ、ジャニーズはグループのなかの誰かが突出して目立つことをよしとしない。雑誌などに対しても、グループ内格差が見えるような扱いは避けるように要請してきたりするのが伝統だった。



 そこがSMAPでは有効に働いた。キムタクが突出したことで、他のメンバーのレベルアップが課題となり、それを推進した結果、大成功したからだ。リーダーの中居正広は司会業、稲垣吾郎は芸術路線、香取慎吾はコスプレ系で独自のポジションを獲得。最後に残った草彅剛も「いいひと」キャラでブレイクした。いちばん地味で目立たなかったことを逆手にとり、ギラギラガツガツしていない感じを売りにして好感を得たわけだ。これには当時の「草食男子」ブームも味方していた。苗字に「草」が入っているのも何かの縁だろう。



 それぞれ自分の冠番組を持つ5人が週に一度集合して、豪華なゲストもまじえながらわちゃわちゃと遊ぶ『SMAP×SMAP』。あれはバブル崩壊後の日本で最も贅沢な国民的番組だった。



 



 一方、嵐にも、ジャニーズの「横並び」志向は反映されている。国民的グループ化のきっかけを作ったのは、松本潤の『花より男子』シリーズだが、その直後に二宮和也がハリウッド映画で注目された。さらに、櫻井翔がキャスターを始め、相葉雅紀は志村けんの動物番組に登場。

また、ジャニーズJr.時代から歌とダンスを買われてきた大野智は、総合的な芸能スキルを広く認められるようになった。



 なかでも、嵐の安定感を語るうえで欠かせないのが櫻井の存在だ。東大卒で総務省の事務方トップにまで登りつめた父を持ち、自身も小学校(慶応義塾幼稚舎)からの慶應ボーイ。もはややくざ者の世界ではなくなりつつあった平成中期の芸能界において、一般社会でも通用、いや、成功しそうな人がメンバーにいることは、グループの信用みたいなものを大いに高めたといえる。



 音楽的には、歌謡曲とJポップの距離がどんどん広がっていくなかで、両者を接続する役割を果たしたのがSMAPと嵐。どちらのジャンルのファンも楽しめるヒット曲の多さという点で、この二大グループは抜きん出ている。それゆえ『NHK紅白歌合戦』で重宝されたのだ。



 もっとも、ジャニーズの音楽自体、和洋折衷的な伝統を持ち、日本人の「洋楽慣れ」にいろいろと貢献してきた。郷ひろみから田原俊彦、少年隊へとつながれたバトンは、SMAPのファンク路線、嵐のラップ路線が受け継ぎ、日本人の耳に、さらには体に、洋楽っぽさを馴染ませてきたのである。



 そのバトンリレーは今も続いているものの、ここ10年くらいのいくつもの騒動で、事務所はズタズタになった。SMAPの解散と木村以外の4人の離脱は内輪もめがきっかけだから仕方ないとはいえ、事件化もしていない故人のセクハラ騒動で大混乱が起き、嵐でいえば二宮と松本が退所することに。嵐が会社を作ったことにより、再始動はそこを母体にしたかたちでやれるとはいえ、悔しさは残る。



 この、わけのわからない騒動を改めて呪いたい気持ちだ。



 が、呪うことがこのシリーズの目的ではない。騒動について検証し、ジャニーズの復権につなげていくために、前に進むとしよう。次回は、ジャニーズの伝統、いわばジャニーイズムという財産が今後どう受け継がれていくのか、ということについて考えてみる。



  



文:宝泉薫(作家、芸能評論家)

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