今の世の中、誰もかれもが人の言うことを聞きすぎていないか。もちろん反発するには勇気がいる。

しかし、人生には反発しなければいけない局面もある。古今東西の賢者は戦い続けてきた。その「抵抗の思想」とは何か。作家・適菜収氏が新しい抵抗の道を探った。当サイト「BEST T!MES」の長期連載「だから何度も言ったのに」が大幅加筆修正され、単行本『日本崩壊  百の兆候』として書籍化された。連載「厭世的生き方のすすめ」では、狂気にまみれたこのご時世、ハッピーにネガティブな生活を送るためのヒントを紹介する。



不服従と抵抗の哲学。マハトマ・ガンディーとキング牧師に学ぶ!...の画像はこちら >>



◾️絶対的権力は絶対に腐敗する



 私は根からの平和主義者なので、マルコムXよりマーティン・ルーサー・キング・ジュニアに共感する。マハトマ・ガンディーの「非暴力・不服従の原則」もいい。ガンディーは「非暴力運動において一番重要なことは、自己の内の臆病や不安を乗り越えることである」と言った。われわれの敵は臆病と不安である。しかし、非暴力も行き過ぎると暴力を招く。キング牧師は白人男性に、ガンディーは「ムスリムに対して譲歩し過ぎる」としてヒンドゥー原理主義団体の男に殺された。



   *



 だから、不服従を貫くとしても、あまり気合を入れずに「不服従気味」「ちょっぴり不服従」「プチ不服従」くらいでいい。ガンディーの菜食主義もいいが、完全な菜食ではなく「野菜多め」くらいにしておく。



   *



 先日、野菜が食べたくなったので、某所でサラダランチを注文した。目の前にボトルに入った水と小さなアルミのカップがあったので、そこに水を注いで飲んでいると、女性店員が近づいてきて、テーブルの奥に置いてあるグラスを指さし、「こちらをお使いください」と言った。私が「じゃあこのアルミのカップは何?」と聞いたら、気まずそうな顔で「会計伝票を入れるところです」と。私は店員の指示に従い、グラスに水を注ぎ飲んだ。「紛らわしいわ!」と手をあげることもない。人を許し、あくまで非暴力を貫くのだ。



   *



 詩人のヘンリー・デイヴィッド・ソローは、「不正な国家に服従すること自体が不正である」と言った。



   *



 歴史家のジョン・アクトンは「権力は腐敗する傾向がある。絶対的権力は絶対に腐敗する」と言った。保守主義の本質は、あらゆる権力を警戒するところにある。

なぜなら人間理性を信仰していないからだ。



   *



 不服従は小さなことから始めるのがいい。なにかを頼まれたら、やんわりと断る。カウンターで横に座った人が「タバコを吸ってもいいですか」と聞いてきたら「嫌です」と断る。家族から買い物を頼まれても安易には従わない。上司から仕事を頼まれても無理ならはっきり断る。「仕事なんだからやれ」と言われても「できません」と断る。「じゃあ、クビにするぞ」と言われたら「それも嫌」と断る。その積み重ねが「あいつは全然言うことをきかない」という評価につながっていく。



   *



 「あれも嫌、これも嫌」という幼児的万能感に満ち溢れ、不服従を貫いた男と言えば、石原慎太郎を思い出す。自分より強そうなものは全部嫌い。アメリカが嫌い、ロシアが嫌い、中国が嫌い、皇室が嫌い、官僚が嫌い。

皆、大嫌い。童話『いやいやえん』の世界そのものである。これからの時代は石原の駄々っ子ぶりに学んでみるのもいい。



不服従と抵抗の哲学。マハトマ・ガンディーとキング牧師に学ぶ!【適菜収】 連載「厭世的生き方のすすめ」第19回
マハトマ・ガンディー



◾️自分の「心の声」に従うな!



 不服従が板についてきたら、自分の「心の声」にも従わないほうがいい。その積み重ねが、つまらない「自己」を解体する。



   *



 これに関しても、身近なところから始めればいい。ハンバーグを食べたくなったらハンバーグは食べない。牛乳が嫌いだったら、牛乳を飲む。大切なものを守るのはやめる。人間は大切なものを守ろうとするから戦争をするのである。だったら、大切なものをなくせば戦争はなくなる。戦争では怪我をしたり死んだりする。

危険なことはやらないほうがいい。ロクでもない連中が、自分の「心の声」に従わなくなったら、世界は平和になる。



   *



 私はなるべく自分の「心の声」に従わないようにして生きてきた。だからなるべくやりたいことはやらずに、やりたくないことをやるようにした。泳ぐのが大嫌いなのでプールに通うようになり、歌うのが嫌だからカラオケに行くようになった。人前で喋るのが嫌だから、大きな会場で講演をしたり、ラジオ番組に出演したりするようになった。これは苦手意識を克服するためではない。自分の「心の声」に対する不服従である。



   *



 以前某編集者から「会ってみたい人はいますか?」と聞かれた。考えてみたが一人も思いつかない。過去の人、たとえば17世紀、18世紀の人ならたくさん思いつくが、存命中の人は浮かんでこなかった。一方、会いたくない人なら星の数ほどいる。

そこで、「適菜収のこの人に会いたくない」という企画を作った。会いたくなくて会いたくなくて仕方がない人をゲストに呼んで嫌々トークする。もちろん、タイトルは「週刊文春」の阿川佐和子の連載のパクリである。



   *



 しかし、阿川は本当に「この人に会いたい」と思っているのだろうか。会いたくない人でも、連載を続けるために、嫌々会っているのではないか。そこには欺瞞がある。その点、私が予定していた連載に嘘はない。本当に会いたくないのだから。ここに長期連載のヒントがあるような気がした。



   *



 数年前、「日刊ゲンダイ」か「ベストタイムズ」で企画が通りそうだったが、始めるのがのびのびになってしまい、第1回のゲストを予定していた安倍晋三さんが暗殺されたため、出演が不可能になってしまった。第2回のゲストは橋下徹さんを予定していたが、警戒して来てくれないかもしれない。その場合は、出演依頼の手紙やエールの言葉などを載せることにした。



   *



 ちなみに、第1回の見出しは「敗軍の将、兵を語る」、第2回は「しくじり先生 大阪都構想の薄汚い目的」にする予定だった。元みじめアタッカーの百田尚樹さんもゲストに呼びたいが、私の遊びには付き合ってくれないかもしれない。



   *



 なお、不服従は、単なるわがままではない。歪んだ世界に対する意思表示でもある。歳をとると頑固になるという。どうせ頑固になるなら、早く頑固になったほうがいい。



   *



 不服従運動のスローガンとして「嫌だね」というのはどうか。スパゲッティを「箸で食べてください」と言われたら「嫌だね」と拒絶する。



   *



 普段は傲慢不遜な態度をとっている自民党の西田昌司が2025年の参院選で窮地に追い込まれると「みなさん、何とか助けてください」と言い出した。ツイッターにも西田の「助けてください」という画像が流れてきたので、私は即座に「嫌だね」と引用ツイートした。



   *



 座り込みもいい。地べたに座り込む若者が大人たちに白い目で見られるという構図がある。私が大学生の頃は、友達と地面に座り込んで話をしていたが、今考えるとあれも社会に対するレジスタンスの側面があったのかもしれない。今の時代は、新宿や渋谷の繁華街で座り込んでいるとすぐに排除されるらしい。「そこをどきなさい」と言われたら「嫌だね」と答えればいい。



   *



 この連載について、「少しはまともなことを書け」というご意見があるかもしれない。嫌だね。





文:適菜収

編集部おすすめ