2025年11月7日、高市首相が衆院予算委員会において台湾有事が「存立危機事態」に該当し自衛隊による集団的自衛権行使の可能性があると述べた。
それに対し中国側は薛剣総領事がSNSで「日本は敗戦国であり台湾問題に介入する資格はない」と投稿した。
その上で中国外務省の毛寧報道官は17日午後の記者会見で「日本は火遊びをやめるべきであり、高市首相は発言を撤回すべきだ」と改めて表明した。18日には外務省のアジア大洋州局長が高市発言の撤回をめぐって北京で中国外務省アジア局長と協議したが両者の主張は平行線を辿り、中国外務省は改めて発言撤回を要求した。
そして21日には在日本中国大使館がSNS「X(旧ツイッター)」の投稿でいわゆる“敵国条項”に関する国際連合憲章の規定を根拠に挙げ日本が再び侵略に踏み出すような行動を取れば中国には国連安全保障理事会の承認を得ずに「直接的な軍事行動」を取る権利があると主張。国連大使傅聡はグテレス国連事務総長宛てに「日本が台湾海峡を巡り軍事介入すれば、それは侵略行為となり、中国は国連憲章および国際法の下で自衛権を断固として行使し国家主権と領土の一体性を守る」と敵国条項を根拠に高市発言が国際法に違反していると非難する書簡を送った。
“敵国条項(Enemy Clauses)”とは第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国(枢軸国)に対する措置を規定した国際連合憲章第53条及び第107条を指す条項である。第二次世界大戦の敗戦から80年が経ち、列強の指導者たちの中にもはや大戦の経験者は一人もいない。特に若い読者の中には「中国はなぜ今頃になって“敵国条項”などという時代錯誤な要求を持ち出すのか?」と訝しむ者も少なくないだろう。そこで問題の歴史的背景を概観しておこう。
1945年の国連(United Nations)の創設メンバーとなった連合国は51か国であったが、その最高意思決定機関は法的に国連加盟国に拘束力を持つ決議を行うことができる安全保障理事会で、そのうちアメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソビエト連邦(継承国はロシア連邦)、中華民国(継承国は中華人民共和国)の5か国が拒否権を有する常任理事国である。
国連憲章第53条は、日米安全保障条約や「地域ごとの取り決め」やNATO(北大西洋条約機構)のような「地域の組織」は必要に応じて武力行使を含む制裁行動をとることができるが、それには国連安全保障理事会の許可が必要で無許可で勝手に行ってはいけないと定めている。但しそれには例外があり、第二次世界大戦で敵だった国、つまりドイツや日本のような枢軸国の敗戦国がまた侵略を始めそうな時には、それに直面した戦勝国は安保理の許可なしに行動することが許される。そして第107条は国連憲章が枢軸国の敗戦国に対してに限り、強制的制裁などを行うことを妨げない。これが国連憲章の“敵国条項”の主旨である[1]。
注
[1] 当該国連憲章の全文は以下の通りである。なお第77条も“敵国条項”に含めることがあるが「第二次世界戦争の結果として敵国から分離される地域」の句の中で“敵国”の語が使われているだけなので全訳は省略する。
第53条
安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取り決めまたは地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取り決めに基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取り決めにおいて規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。
本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。
第107条
この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。
2.国際連合とは
国際連合(United Nations)はその名からも分かる通り、もともとは第二次世界大戦に勝った連合国(United Nations)が戦後に連合国に都合がよい国際秩序を作るために枢軸国をいかに処分するかが創立当初の最重要課題であった。連合国といっても実際には国連憲章の草案を作ったのは米英中ソであり、特に大日本帝国(日本)とドイツ帝国(Reich)を解体し二度と彼らの脅威とならないように無力化することがその至上命令であった。
しかし大戦中から欧米資本主義諸国はソヴィエト連邦の共産主義をファシズムに替わる脅威とみなすようになり、1945-1949年の中国の国共内戦、1950-1953年の朝鮮戦争により欧米資本主義諸国と世界の共産主義化を目指すソ連の対立は決定的になり、欧米とソ連がアジア・アフリカで代理戦争を繰り広げる東西冷戦が始まると、国連も東西冷戦の外交戦の舞台となった。
第二次世界大戦の敗北後、日本は実質はアメリカ軍である連合国軍総司令部(GHQ)の占領行政下で「天皇制全体主義」から「自由民主主義」への思想改造を施されると同時に、徹底した非軍事化政策が実施された。1947年5月3日に施行された日本国憲法は第九条において「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を明記し旧日本軍は完全に解体され日本は「平和国家」として再出発することを余儀なくされた。
しかし1950年6月に勃発した朝鮮戦争は日本の安全保障政策に決定的な転機をもたらした。大日本帝国から日本国へと転生した“帝国日本”がアジアにおける反共の砦として位置づけられたことにより、「思想改造」は棚上げされ中途半端なものに終わった。公職追放になっていた岸信介をはじめとする大日本帝国の亡霊たちが政界復帰し、戦前の国粋主義、権威主義、全体主義的傾向が復活し日本の右傾化が制度的に定着した。
軍事的にも極東の安全保障を担う在日米軍の多くが朝鮮半島へ出動した結果日本国内の防衛空白が顕在化したため、同年7月8日にGHQのマッカーサー指令により名目上は国内治安維持のための組織であったが実質的には再軍備の第一歩となる「警察予備隊」が創設された。
更に1952年4月にサンフランシスコ平和条約で日本が主権を回復すると同年8月には警察予備隊が「保安隊」に改組され、海上保安庁の一部を「海上警備隊」として編入し保安庁が設置され、1954年7月には防衛庁設置法と自衛隊法が施行され陸海空自衛隊が正式に発足し、日本は憲法九条の制約の中で冷戦下における「反共の砦」として再軍備を進めた。
3.日中国交正常化
大きな転機となったのは1972年の日中国交正常化であった。2月のニクソン大統領の訪中に呼応し9月に田中角栄首相と周恩来首相の間で「日中共同声明」が調印され日本は中華人民共和国を唯一の合法政府と承認し台湾(中華民国)との外交関係を断絶した。
ところが1991年のソ連崩壊による冷戦終結によって、日本の安全保障政策は新たな転機を迎えた。「反共の砦」としての役割は終わり、1990-1991年の湾岸戦争により日本は「国際貢献国家」となることを求められ、1992年にはPKO協力法が制定され、自衛隊の海外派遣が初めて合法化された。
2001年9月11日の米同時多発テロ以降、国際安全保障の焦点がテロ対策へと移ると日本は「テロ対策特措法」を制定してインド洋で給油活動を行った。さらに2004年にはイラク特措法に基づき、自衛隊が戦闘地域以外で活動するなど、国際貢献の幅は拡大した。2007年1月9日に防衛庁が「防衛省」に昇格し、国防政策の政治的地位は格段に強化された。2014年には安倍政権が集団的自衛権の限定的行使を容認し、翌2015年には安保法制が成立して自衛隊の活動範囲は大幅に拡大した。
以上が、高市発言に対して中国が“敵国条項”を持ち出した歴史的背景である。それに対して、高市は発言撤回を拒否しており、日本政府は“敵国条項”は死文化していると反論している。しかし実はこの反論は目新しいものではない。日本政府は国連に加盟した1956年以来再三再四“敵国条項”が死文化していると訴え削除を要求し続けているが、70年かけて削除を実現できずにいるというのが現状である[2]。
冷戦が終わると国際情勢の変化の中で、二国間関係では当時のソ連大統領ゴルバチョフとの間で1991年4月18日に日ソ共同声明(後のロシア連邦へ継承)で“敵国条項”について「その規定は既に時代遅れであり、意味を失っている」との認識を共有するとの文言を盛り込むことができた[3]。
そして国連創立50周年にあたる1995年12月11日の第50回国連総会では「国際連合憲章第53条、第77条および第107条に含まれる“敵国条項”が、すでに obsolete(死文となっている)ことを認識し(notes)、憲章が次に改正される際にそれらの条項が憲章から削除されることを期待する(notes)」との決議(Resolution 50/5)が中国を含む賛成155か国、反対ゼロ、棄権3カ国で採択された。外務省はこの決議を根拠にその後も「旧敵国条項は実質的効力を失った」と繰り返しているが、それから既に30年が過ぎてなんら進展はない。
注
[2] 国連加入以来、1960年代を通じて日本は削除を働きかけてきたが、1970年の第25回国連総会で当時の中山外相が“敵国条項”の削除を訴え、同外相は1990年10月の第45回総会でも同様の訴えを行ったが、それは日本政府代表による公式削除要求としては4回目であった。
実は最近公開された外交文書によると、中山外相(当時)は村田良平駐米大使を通じて、当時のブッシュ(父)大統領に、自発的申し出として日本の安全保障理事会理事国入りと併せて“敵国条項”の削除を提案してもらえないかと打診していたが、結局ブッシュ大統領と直接交渉する段階までいくことができず頓挫した。藤田直央「「日本は世界平和に貢献していく」旧敵国条項の削除、米へ異例の打診」2021年12月26日付『朝日新聞』参照。
[3] 駒木明義「コメントプラス」(「「日本は世界平和に貢献していく」旧敵国条項の削除、米へ異例の打診)2021年12月26日付『朝日新聞』参照。
4.戦略的曖昧さ
外交には「戦略的曖昧さ」という概念が存在する。実際には数百発の核兵器を保有しているイスラエルが核兵器を持っているとも持っていないとも明言しないことがその典型的な例として挙げられるが、アメリカの台湾支援もその一例である。ハーバード大学のアラステア・イアン・ジョンストン(Alastair Iain Johnston)教授らは米国の対台湾政策の「戦略的曖昧さ(strategic ambiguity)」について以下のように述べている。
米国による台湾に対する「戦略的曖昧さ」とは、中国が台湾を攻撃した際に、米国がどのような軍事的・外交的支援を行うのかについて、その範囲や規模を意図的に明確にしない(あえて不明確にする)政策である。これにより、中国の指導者に対して、中国が台湾を攻撃した際の米国の対応に不確実性を持たせ、米国の対応に最悪のケースを想定させて紛争の抑止につなげる。また、台湾が米国の支援の範囲と規模に確信を持てなければ、台湾の独立への動きを抑止することにもつながる[4]。
アメリカは1913年に中華民国(国民党)政府を正式承認し、中華民国は国連創設時の安保理常任理事国であった。朝鮮戦争後、台湾海峡危機(1954年9月~)を受けてアメリカは、1954年12月に中国共産党政権(中華人民共和国)の軍事的脅威に対抗するために中華民国との軍事同盟条約(米華相互防衛条約)を締結していた(1955年3月3日発効)。
1971年のキッシンジャー秘密訪中を経て、1972年のニクソン訪中で共同コミュニケ(上海コミュニケ)[5]が発表され、米国は「一つの中国」を認めつつ台湾の地位については「平和的解決」を期待する立場を示した。
しかし米華相互防衛条約や台湾への軍事支援は継続され、台湾問題は米中関係改善の 最大の障害となった。フォード政権期も膠着が続いたが、カーター政権下でソ連牽制の必要性が高まり、1978年から国交正常化交渉が本格化する。中国は「台湾との断交・防衛条約破棄・米軍撤退」を要求し、米国はこれを受け入れる一方、台湾への武器供与継続と平和的解決の明記を条件とした。1979年1月1日、米カーター政権は中華人民共和国と国交を樹立し、台湾とは断交し、米華相互防衛条約も1980年1月1日に失効させたが、国内法「台湾関係法」により非公式関係を維持した。
5.上海コミュニケ
上海コミュニケは米国は「台湾は中国の一部」という中華人民共和国側の主張に異議を唱えないとしつつ、「平和的解決」を強調し、武力による統一を牽制し、台湾からの米軍撤退を最終目標とすると明記しつつ、「緊張緩和に応じて漸次削減」という曖昧な条件を付けた。この条項は、後の「一つの中国政策」と「戦略的曖昧さ」の基盤となり、1979年までの米中交渉の核心となった。
1979年1月1日に発効した「米中外交関係樹立に関する共同コミュニケ」[6]は、中国は一つで中華人民共和国が唯一の合法政府と明言しつつ、台湾との非公式関係を維持するという、「中華人民共和国を中国の唯一の合法政権として承認」、「台湾との関係の戦略的曖昧さ」という現在まで続くアメリカの対中政策の出発点となった[7]。
このアメリカの対台湾「戦略的曖昧さ」外交政策において最も重要なのが(国際条約ではなく)国内法として制定された「台湾関係法(1979年4月10日制定)」である。同法は台湾本島と澎湖諸島を「台湾」と定義し台湾を国家とは認めず台湾当局(the governing authorities on Taiwan)と記し、台湾の安全保障を脅かす事態は米国の重大な関心事であると明記しつつも、米国大統領に台湾防衛のための軍事行動を選択肢として認めるが、義務とはしていないのがその好例である[8]。
中華人民共和国側の台湾問題にとっての最重要な「戦略的曖昧さ」は、上海コミュニケにおいてもアメリカとの国交樹立のコミュニケにおいてもそれ以降も、中国統一の為に台湾に侵攻するとも侵攻しないとも明言せず、侵攻しないとの法的拘束力のある公式な条約、協定、声明などを行わず、侵攻しないとの言質を与えていないことである。
一方で上海コミュニケにおいて「台湾の解放は中国の内政問題であり、いかなる国も干渉する権利を有しない」と台湾問題が中国の内政問題で内政干渉を許さないこと、そして「一つの中国、一つの台湾」、「一つの中国、二つの政府」、「二つの中国」、「独立した台湾」、「台湾の地位は未定」と主張するいかなる活動にも「断固として反対する(firmly opposes)」と述べるにとどまり、治安出動を匂わせながらも、台湾の独立運動の抑圧に武力に訴えるとも明言していない[9]。
確かにアメリカに従来の「戦略的曖昧さ」を放棄して台湾防衛の為なら中華人民共和国との全面戦争、第三次世界大戦に陥るリスクがあっても戦争をするとの意志を明確にすべきとの「戦略的明確さ」に戦略転換すべき、との主張があることも事実である[10]。
注
[4] 坂田靖弘『文献紹介 018 仮訳:米国の対台湾政策が内包する抑止効果の不確実性(Alastair Iain Johnston, Tsai Chia-Hung, George Yin, and Steven Goldstein,“The Ambiguity of Strategic Clarity”, War on the Rocks, 2021/06/09)防衛戦略研究室(2021年6月21日)1頁参照。
「戦略的曖昧さ」についての理論研究においては「階層的組織において“戦略的曖昧さ”は支配層の意図を意図的に不明瞭化することによって統制を維持し、相互に矛盾する利害を調整する手段として機能する。その中核的メカニズムは選択的コミュニケーションであり、トップマネジメントは権威を保持しつつ明確なコミットメントを避けるために、戦略的に曖昧なメッセージを発信する。そうすることで支配者は裁量権を確保したまま、組織活動の方向性にきめ細やかな影響を及ぼすことが可能となる。もう一つの重要なメカニズムとして逆説的ナラティブが挙げられる。それは相矛盾するか、あるいは意図的に曖昧にした言説で、対立する利害の均衡を図り、組織の安定性を維持するものである。こうしたナラティブは、具体的行動への明示的な拘束を伴うことなく、統一性あるいは柔軟性の印象を与え、組織内諸部門にまたがる資源の調整を容易にする役割を果たす」などと論じられている。Cf., Louisa Selivanovskikh, Pier Luigi Giardino, Matteo Cristofaro, Yongjian Bao永建宝, Wenlong Yuan文龍元, Luming Wang王魯明, “Strategic ambiguity: a systematic review, a typology and a dynamic capability view”, Management Decision, Volume63, Issue13, 2025/02/27, 141頁参照。
[5] 台湾問題の関連条項は以下の通り。
アメリカ合衆国は、台湾海峡両岸のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であると主張していることを認知する(acknowledge)。アメリカ政府はその立場に異議を唱えない。中国人自身による台湾問題の平和的解決に関心を持つことを再確認する。この見通しを念頭に、台湾からのすべての米軍および軍事施設の撤退という究極の目的を確認する。その間、地域の緊張が緩和されるにつれて、台湾における米軍と軍事施設を漸次削減していく。
[6] 主な台湾関連条項は以下の通り。
アメリカ合衆国と中華人民共和国は、1979年1月1日をもって互いを承認し、外交関係を樹立することに合意した。アメリカ合衆国は、中華人民共和国政府を中国の唯一の合法的政府として承認する。
この文脈において、アメリカ国民は台湾の人々と文化的、商業的、その他非公式の関係を維持する。
[7] 問題となるのはアメリカ政府の英語の正文では同コミュニケの第7パラグラフ「アメリカ合衆国政府は、中国は一つであり、台湾は中国の一部であるという中国の立場を“認める(acknowledges)”」と“承認(recognizes)”の語を用いていないのに対して、中華人民共和国の正文では第2パラグラフの合法政権として承認する(承认中华人民共和国政府是中国的唯一合法政府)と同じ“承认”を用いている(承认中国的立场即只有一个中国台湾是中国的一部分)ことである。
[8] 同法2章(b)6項は「米国は台湾人民の安全、社会、経済体制を危険にさらす武力行使や強制に対し抵抗する能力を維持する(maintain the capacity to resist)」定めているが、これは国際法上も国内法上も台湾防衛のための軍事介入の義務を意味しない。
[9] 1972年の上海コミュニケ、1979年の国交樹立コミュニケに立ち合い、その後も対中外交に深くかかわったキッシンジャーの回顧録によると、私的な会話では北京政府の首脳たちは台湾進攻を時間の問題であることを明言していたが、具体的な時期は誰も口にしなかった。
1973年に毛沢東はいつの日にか武力行使をするが100年待つこともでき、当面はそれを先延ばしにすると述べた。352-354頁。1975年には、今ではないが、5年、10年、20年、100年後かいつになるのか言うのは難しい、と述べた。387-388頁。1995年に「100年待つとの毛の約束はまだ有効か」と尋ねられ江沢民主席(当時)は後77年だと答えたが、2001年には台湾問題について、「平和的解決、一つの国家に二つのシステム」と普段は言うが「武力を使わないと約束はできない」と付け加えることもある、と江は述べた、という。ヘンリ-・A・キッシンジャー『キッシンジャー回想録 中国(下)』岩波書店(2021年1月15日)352-354、387-388、593、602-603頁参照。
防衛研究所中国研究室の五十嵐隆幸が指摘する通り、中国が「〇〇年に侵攻する」と明言 したことは一度もなく、2027 年侵攻説の発信源は米国であり、中国は「そのような計画はない」と明確に否定している。五十嵐隆幸「トランプ 2.0 と「台湾問題」の行方」『NIDSコメンタリー』第365号(2025年2月4日)参照。
[10] 坂田は「「戦略的曖昧さ」に対して、最近の米国では、むしろ「戦略的明確 さ(strategic clarity)」政策を採用すべきとの考えがシンクタンク等を中心に論じられている」と述べている。坂田『文献紹介』1頁参照。また元外交官の宮家邦彦も、アメリカで曖昧戦略を見直せとの声が高まっているとし、リチャード・ハース米外交問題評議会名誉会長(元国務省政策企画局長)が2020年9月2日付『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿した論考「米国は台湾を防衛する意図を明確にせよ」と元下院軍事委員会副委員長エレイン・ルーリア民主党下院議員が2021年10月11日付『ワシントンポスト』紙で発表した記事「米議会は台湾に関しバイデンの制約を解くべし」を紹介している。しかし宮家も「米国が曖昧戦略を一方的に放棄すれば -中略ー 中国は、台湾問題を平和的に解決するとの約束を公然と反故にする口実を得るため、台湾の安全はむしろ害されることになる。ー中略ー 米国の戦略的曖昧さが続く限り同盟国が台湾問題に巻き込まれる可能性は低いので米国の曖昧戦略は同盟国にとっても利益となっている。-中略ー 仮にこの戦略を転換するなら ー中略ー 新たな抑止メカニズムを欠くいかなる政策変更も成功せず、逆に米国は台湾防衛という実行困難な「レッドライン」の罠にはまることになる」と述べて、「戦略的曖昧さ」を続けるべきであると結論している。宮家邦彦「"もしトラ"で台湾有事となれば「米国は台湾を見捨てる」のか」2024年08月27日付『PRESIDENT Online』参照。
6.MAGAトランプ政権と“戦略的曖昧さ”
しかしMAGAトランプ政権成立後に『フォーリン・アフェアーズ』5月号に掲載された「東アジアと台湾を捉え直す―― 中国のアジア覇権を阻むには」、7月号に掲載された「台湾侵攻を阻む抑止力の強化を―― 軍事・外交・経済の適切なバランスを」はそれぞれ「アジアにおけるアメリカの利益を台湾の運命と切り離す必要がある。台湾防衛へのコミットメントを明確にするのではなく、曖昧な姿勢を維持し、台湾が北京に支配されないようにすることの重要性を引き下げるべきだ」、「アメリカは戦略の強化を公に発表したり、大げさに取り上げたりすべきではない。北京を安心させることも、抑止戦略を成功させる重要な要素だ。しかし(第1次)トランプ政権もバイデン政権も、長年維持してきた(ワシントンが台湾防衛に介入するかどうか、その条件が何かを意図的に曖昧にする)「戦略的曖昧さ」を緩めてきた」と戦略的曖昧さを維持すべきであると述べている[14]。
カバナー(ジョージタウン大学 安全保障研究センター教授カバナー)、ワートハイム(カーネギー国際平和財団アメリカ政治プログラムシニアフェロー)が述べる通り
「台湾はアメリカにとって重要だが、中国との戦争を正当化するほどの価値はない」[15]。
Victor Ferguson(一橋大学講師) & Audrye Wong(南カリフォルニア大学助教)による2025年12月1日付の『ザ・ウォールストリート・ジャーナル』(日本語版)の記事「中国の対日「制裁」 経済的威圧が復活 正式な制裁ではなく渡航自粛勧告や輸入停止を駆使」は、高市発言撤回を求めて、中国は日本に対して、アメリカを真似た反外国制裁や輸出規制を強めているが、非公式で曖昧であることを特徴とする。この“戦略的曖昧さ”は「曖昧な方策は評判への悪影響をより小さくする。中国は西側諸国による一方的な制裁を長年批判してきており、否認可能な圧力は、自らに対する「偽善」との批判を最小化するのに役立つ。曖昧さはまた、国際的な貿易ルールに明確に違反することによって生じ得る、法的および外交上の異議申し立てのリスクを低減させる」ということである。同記事は高市が中国政府による発言の撤回の要求に屈すれば国内で政治的に大きな代償を払うことになり、日本でも中国でも世論の圧力が緊張緩和を難しくしており公の場での一つの出来事が幅広い対立に発展するリスクが高まっている、と指摘する。
“戦略的曖昧さ”が訳として一番多く使われているので、本稿では一応この語を多用しているが、個人的には日本語としては「曖昧戦略」がすっきりしているように感じる。要は相手に言質を与えずにのらりくらりと言い逃れて時間を稼ぐ「戦略」で、理論的に把握していなくても、古今東西通文化的に子供から大人まで日常的に用いている言語コミュニケーションの形態の一つであり、勿体ぶって術語化しなくても、「暗黙知」としては誰もが知っているはずの現象である。
しかしそれが法律言語ゲーム、特にアナーキーとも言われる国際関係、国際法では、全てがポジショントークであり、報道やSNSの「世論」に接する限りでは、その言葉遣いに慣れない者にはそれぞれの立場の論者たちの意図と国際関係におけるさまざまな国家主体、非国家主体、国際組織、運動体などの様々なプレーヤー、アクターの政策決定者たちの間での標準的共通理解を知ることが一般読者には困難なようである。長字数を割いて“戦略的曖昧さ”を詳述した所以である[16]。
“敵国条項”が持ち出された意味を説明するために、回り道をして“戦略的曖昧さ”の解説をしてきたわけであるが、要言するならば、12月1日付の『ウォールストリート・ジャーナル』の記事が「公の場での一つの出来事が幅広い対立に発展するリスクが高まっている」と指摘している通り、アメリカの半世紀以上にわたる台湾政策の“戦略的曖昧さ”の経緯と意味に無知な高市の不用意な発言が、国内事情から引くに引けなくなり、関係諸国を巻き込んで大きな対立を引き起こした、ということに尽きる。
注
[14] ジェニファー・キャバナー(Jennifer Kavanagh)、スティーブン・ワートハイム(Stephen Werthheim)「東アジアと台湾を捉え直す―― 中国のアジア覇権を阻むには」『フォーリン・アフェアーズ』(2025年5月)、オリアナ・スカイラー・マストロ(Oriana Skylar Mastro)、ブランドン・ヨーダー(Brandon Yoder)、「台湾侵攻を阻む抑止力の強化を―― 軍事・外交・経済の適切なバランスを」『フォーリン・アフェアーズ』2025年7月参照。
[15] 台湾を「先進的な民主主義であるだけでなく経済、安全保障における死活的なパートナー」と呼んだ2021年3月にバイデン政権が発表した「国家安全保障戦略指針(暫定版)」を承けて、台湾に従来の戦略的重要性に加えて、①民主化が定着した台湾が世界的に見ても民主主義のモデルケースとなった、②半導体関連企業、電子機器受託生産企業の成長により台湾経済が世界のサプライチェーンにとってチョークポイントとなった、などと言われたが、MAGAトランプ政権の成立により「民主主義のモデルケース」といったナラティブはすっかり色褪せた。また経済的重要性についても、台湾が世界の最先端半導体の約90%を生産しているが、台湾の半導体は欧米製の部品と知財なしではやっていけず、アメリカはすでに国内に半導体製造工場を建設することで、台湾半導体へのアクセスを失う可能性に備えており、試算ではアメリカは2032年までに世界の先端半導体の28%を生産する軌道にあり、中国が台湾を支配しても、東アジアの価値ある経済市場へのアクセスをアメリカが失うと危惧すべき理由はほとんどない。「東アジアと台湾を捉え直す」『フォーリン・アフェアーズ』(2025年5月)参照。
[16] “戦略的曖昧さ”の会社などの民間の組織、団体における日常的な使用については、前記の“Strategic ambiguity: a systematic review, a typology and a dynamic capability view”, Management Decision, Volume63参照。国際法のアナーキー的性格については、ヘドリー・ブル [著] 臼杵英一訳『国際社会論 : アナーキカル・ソサイエティ』岩波書店(2000年2月)参照。
7.トランプ・習会談
国際関係、外交における“戦略的曖昧さ”を理解するなら、2025年11月27日付の『同紙』のLingling Wei(中国主任特派員)& Brian Schwartz(記者)& Meridith McGraw(ホワイトハウス担当記者)& Jason Douglas(東京支局長)による記事「トランプ氏、台湾巡り日本に抑制求める 習氏と会談後 日本の当局者はトランプ氏のメッセージに懸念を示す」の《トランプ氏が習氏との関係を築こうとする中、高市氏はトランプ氏にとって悪いタイミングで習氏を怒らせる形となった》《トランプ氏は高市氏との電話会談の中で、台湾に関する発言のトーンを和らげるよう提案したと、事情に詳しい米国の関係者は述べた。トランプ氏は高市氏の国内政治的制約について事前に説明を受けており、中国政府を怒らせた発言を完全に撤回することはできないと認識していたという》《習氏にとっては台湾が最優先事項だった。複数の関係者によれば、、同氏は日本を名指しせず、トランプ氏に対し日本政府に直接圧力をかけるよう求めることもなかったが、戦後秩序に関する習氏の議論は、日本を敗戦国として暗に示すものであり、最近の緊張に対する同氏の懸念の深さを示している》との“プロのジャーナリスト”たちの抑制されたニュアンスのある言葉の意図が読み取れるだろう。この《日本を敗戦国として暗に占めるものであり、最近の緊張に対する同氏(習近平)の懸念の深さを示している》の句が“戦略的曖昧さ”と“敵国条項”の繋がりを直接に示しているのである。
伝統的な“戦略的曖昧さ”から逸脱したバイデン政権と比べると、MAGAトランプ政権の“台湾政策”がまた“曖昧”になったのは「事実」であるが、そもそもそれがキッシンジャーが練り上げ半世紀以上に亘って維持されてきた“戦略的曖昧さ”と同じものであるかどうかは実は疑わしい。
元外交官で評論家の宮家邦彦も前述の論考の中で《台湾有事の際の米国の行動の有無およびその態様は、日本の国家安全保障を左右する重要な要素》でありトランプが《この問題の微妙かつ流動的な本質を正確に理解するか否かは将来のインド太平洋地域の同盟ネットワークの将来を左右しかねない大問題》とした上で《こんなややこしい説明をトランプ氏は理解できるだろうか》と率直に述べている。それは『ザ・ウォールストリート・ジャーナル』紙も同じで、トランプが《ただひたすら短期的な取引に集中していることを受け、ロシアと中国は、両国が長年抱いてきた目標に向けて前進する好機が訪れたと考えている》と批判し、トランプが高市の前に習近平と電話会談を行ったのは《米中関係の最近の機運を維持し貿易に関する合意の可能性を高く保ちたいという願望の表れと解釈できる》との中国研究者の分析を紹介している。
アメリカのエスタブリッシュメントの言語ゲーム、行動様式を「ディープステート」の名で一刀両断、全否定し、アメリカだけでなく19世紀以来の欧米の覇権を根本的に組み直そうとしている“ルールチェンジャー”のMAGAトランプの行動を理解するためには既存の近代西欧の「リベラル・デモクラシー」の価値観を自明の前提とする国際関係論、国際法学などの「理論枠組み」はむしろ理解の妨げになる場合があり、まさにそのことが筆者が専門外の国際政治の短期・中期分析の《時評》の執筆を敢えて引き受けた理由でもある。
2025年12月3日にトランプはアメリカの『フォックス・ニュース』で「日本を名指ししないし、韓国の名前をあげるのも拒むが、アメリカの同盟国たちは長年にわたって合衆国を搾取してきた」と述べている。これは同盟国は防衛費を増やせとの、トランプのNATOや台湾、フィリピンなどに対する発言とも平仄があっており、また『フォーリン・アフェアーズ』誌の論説の提言とも一致する。
高市は2025年度補正予算で約1.1兆円を追加計上して総額約11兆円とし、岸田政権が掲げた2027年度までに防衛関係経費をGDP費2%まで増額するとの目標を2年前倒しで実現した。11月に発表された『アメリカ合衆国国家安全保障戦略』に明記された「トランプ大統領が日本と韓国に対して一層の負担分担を求めている現状を踏まえ、これらの国々が防衛費を増額しとりわけ抑止や第一列島線(First Island Chain:東シナ海、台湾海峡、南シナ海を外側から囲む日本列島/沖縄/台湾/フィリピン/ボルネオを南北に連ねる弧状の島嶼群)の防衛に不可欠な新たな能力も含めた軍事的諸能力の強化に重点を置くよう働きかけなければならない」[17]との提言を踏まえ、極右対中タカ派軍国主義として知られる高市はトランプの国防費増額要求も利用し、中国の軍拡、台湾海峡の緊張を口実に軍拡に踏み切った。
しかし軍拡は軍拡競争を招き、それに勝てるとの保証はない。マストロとヨーダー(「台湾侵攻を阻む抑止力の強化を」2025年7月号『フォーリン・アフェアーズ』)も冷戦期の米ソの軍拡競争と比較した上で、中国が限定的予算で短期戦争で優位に立つための的確な投資を実施することで国防支出の無駄な増大を抑えおり、これまで経済発展と軍の近代化を両立させ冷戦型の軍拡競争を回避してきており、経済が停滞してもGDPに占める軍事支出の割合を高めれば軍の近代化路線を今後も維持できると論じている。
トランプの国家安全保障戦略の特徴はトランプ付論モンロー主義であり、一言で言うと、アメリカ大陸の外で起きることは、すべてアメリカを中核とするアメリカの利益のための手段であるということである。
バイデン政権と比べトランプ政権は中国を守るべき国際秩序を脅かす敵ではなく経済的トラブルの相手とみなしており、中国が軍事的脅威であるとしてもアメリカ軍だけで対抗する必要はなく、むしろ日本をはじめとするインド太平洋の同盟国が集団防衛のための支出を増やし行動を大幅に増やすべきだと述べる[18]。その含意するところは、台湾の防衛の目的は民主的価値は言うまでもなく台湾そのものや第一列島線でさえもない。第一列島線もアメリカの通商に支障がなければ特別な意味はない。
トランプはアメリカが単独で中国を倒せるとも倒すべきだとも考えていない。台湾防衛の目的は、台湾問題で中国に軍事、経済、外交、文化的負担をかけ消耗させることであり、出来る限り台湾や日本などの同盟国に肩代わりさせることが望ましい。アメリカは単独で中国と軍拡競争を戦い抜く経済力はないが、NATO諸国とアジアの同盟国を巻き込めば勝算があり、同盟国が軍備増強のために米国製武器を買い米軍の駐屯費を払ってくれれば一石二鳥との合理的な打算である。
最も望ましいのは、ウクライナがロシアを消耗させる代理戦争の場になっているように、台湾を中国を消耗させる代理戦争の場としてアメリカは台湾の後方支援に徹し直接の軍事衝突はアジアの同盟国に任せることである。高市の「台湾有事存立危機事態」発言はその意味でトランプの意に沿うものであり、トランプが習との会談を受けて高市に電話をしたのはアメリカとしては事態の収拾に努めたが日本が聞き入れなかったのでエスカレーションの責任は日本にあるとのアリバイ作りとも考えられる。
トランプ付論モンロー主義『国家安全保障戦略』は、軍事戦略において極めて合理的・打算的であるばかりでなく、西欧的価値観を他文明圏に押し付けることの放棄を公式に認めたことにおいて、19世紀以来の西洋の覇権主義の歴史の中で画期的なものである。そしてそのことの意味は「ポストコロニアル国家批判理論」を参照することではじめて明らかになるが[19]、与えられた字数は既に尽きている。「ポストコロニアル国家批判理論」を援用して“敵国条項”該当国であることの“帝国日本”の意義を明らかにすることは次回の課題としたい。
注
[17] National Security Strategy of the United States of America, The White House, Washington, November 2025, p.24.軍事評論家の小西誠は2022年のバイデン政権下の「国家安全保障戦略」(NSS)は、同年12月の日本の「国家安全保障戦略」(NSS)「国家防衛戦略」(NDS)など安保関連3文書で「敵基地攻撃能力」を軸とする自衛隊の大増強(軍事費2%)を促したが、今回のアメリカの「国家安全保障戦略」は台湾介入を想定してGDP比3・5%かそれ以上の日本の超軍拡の動きを加速させると予想している。小西誠「2025年米国国家安全保障戦略(全文)・補注2025/12/5」2025年12月6日付『note』参照。
[18] フォーサイト編集部「モンロー主義のトランプ流「補論」で分断される中南米」2025年12月7日付『フォーサイト』参照。
[19] 中田考「台湾有事が起きてもアメリカは助けてくれない...高市首相はトランプに戦略的に利用される」2025年11月20日付『みんかぶマガジン』(有料プレミアム会員記事限定記事)
文:中田考
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