ついに始まった東京電力のイベント。大苦戦したイベントブースのデザイン仕事の結果は…生意気な素人デザイナー=ぼくとシャカイとの和解だったのだ。

そしてそのデザインにかけた10徹の労働時間、いまじゃ完全に「ブラック労働」と言われてしまうけど、後につながる貴重な時間だった。シリーズ「どーしたって装丁GUY」第6回。







■ある秋晴れの日に



前回より続き)1988年秋の週末、日比谷公園。
 
 東京電力のイベントは無事開催されました。雲ひとつない秋晴れの中、多くの人で賑わい、各企業のブースや屋台は予想通りの活況。屋外ステージでは、お目当てのキャラクターショーを前に、ちびっ子たちが大盛り上がり。



 その一角で異彩を放つのが、我が手による、東京電力の大きな展示ブース。



 自分のデザインしたものが、作業机の上から飛び出し、実態をもって現実社会にとつぜん現れる。初めて味わう不思議な感覚をもって、ぼくはブースを遠巻きに眺めていました。



 ブース表面に描かれた地球の絵は、施工前日に、東電広告営業のみっちゃんが掻き集めてきた美大生や美術予備校生たち数人が、スプレーやペンキで描いてくれたもの。そうそう、その中に東京藝大4浪中という強者ツワモノがいて、ぼくの指揮に「絵の方向性が違う」と異を唱えてきた、という小さなアクシデントもありました。



 不満顔の彼には、企画意図を混々と説明し、おだて、なだめすかし、渋々ながらも企画に沿った絵を描いてもらいました。

内心、正直「めんどくさっ」とは思いましたが、ふと、自分が完全敵視していたムサビ教授陣たちの顔が浮かんできた。彼らから見たぼくもこんな手に負えないやつ、だったんだろうか(コラム第2回参照)、彼らも彼らなりに生徒と必死に向き合おうとしていたんじゃないか、なんてことを考えてしまいました。





■フツーと破綻は、和解できる



 さて、ブース内部に足を踏み入れてみると、そこには11枚の大型展示パネルが環状にずらりと並ぶ。あれだけデザインに大苦戦したのが嘘のように、版下屋さんと写植屋さんたちがカチッとキレイに仕上げてくれた。完成してしまえばちゃんとした、とゆうか、よくありがちな、ごくフツーの展示パネルでした。



 ただ、イメージイラストの異物感がすごい。このイラストは、ぼくが毎晩朝までかかってポスターカラーで描いたもの。“フツー”と“破綻”が1枚のパネル上にミックスされ、期せずしてこれが、パネルを読むうえで退屈させない構成になっている。うん、このバランス、意外に悪くないかも。



 パネルからブース内部に目をやると、そこには、老若男女さまざまなお客様がお越しになっていました。家族連れ、カップル、中年の夫婦。冷やかしで寄ったスーツ姿のサラリーマン、走り回る子供たち、その後を微笑みながら追う若い夫婦、パネルを一枚一枚じっくり読み込む老紳士。

なんならホームレスのおじさんも、遠巻きからブースの中を覗き込んでいたのです。



 視覚を通じてヒトに何かを伝える。それがグラフィックデザインならば、伝えるべき相手は、「この人たち」で、マーケティング理論の記号化された「ターゲット」ではない。





■広告業界、オトナの礼節



 ブースの隅っこで人の流れをみつめながら、そんなあたりまえのことをぼんやりと考えていると、



「いやぁ、まさに芸術の秋!って感じですな!」



 めずらしく声を張って、東京電力のワタベ部長が大股でやって来ました。侍従の者のように2歩下がって急ぎ足で付き従うサトウさんの姿も。このイベントのクライアントであり直接の担当者である彼ら。仕事中は、時に厳しく、時に鋭く、東電広告のみんな&ぼくを指揮してくれた2人が、今日は超上きげん。



 手作り感満載とゆうか、よくも悪くも芸祭(藝術大学の学祭)っぽい雰囲気のブースを、ニコニコと嬉しそうに、あちこちほっつき歩きまわって、何事かを喋り笑いあってる。そんなワタベ部長の無邪気な姿が、失礼ながらなんだかかわいい。



 ひとしきりブースを見回り戻った笑顔のワタベさんは、突然表情を引き締め足を揃え、ぼくに向き直り、「斉藤さん、このたびは素晴らしい芸術作品をありがとうございました!」と、深々とお辞儀していただいたのです。



 年齢も、社会的地位も、仕事上の立場もずっと上の彼が、どこの馬の骨とも分からない10代のぼくに敬意を払ってくれる。未熟者だと知ったうえで、それでも相手に礼を尽くす。



 シャカイにはこんなカッコいいオトナがいるんだ。



 ムサビ在学中はすっかり拗らせてスネてフテって、周囲に呪詛オーラを撒き散らしてたけど、じっさいそこから外界へ出てみると、世界は思ってたよりずっとフェアで、素晴らしくて、美しいものがいっぱい自分を待っているのかもしれない。



 黄昏時の日比谷公園、上半分だけの地球に、ゆっくり沈む夕陽。その光景が、なぜだか今も目に焼き付いて離れないんです。





■タイム・イズ・オン・マイ・サイド




 



 ところで、このブースのデザイン作業に費やした時間は10日間。そのすべてを徹夜で乗り切ったことは、前回コラムでも記しました。



 19歳とゆう若さゆえに可能だった無謀、と思いますし、とにもかくにも必死であり、夢中でした。このデビュー戦以降、ワーク・ライフ・バランスが極端に狂った広告業界で、デザイナー人生を歩むことになるのですが、しかし、これよりキツいと感じた仕事はいままで一度もありません。いっとう最初に、もっとも過酷な仕事を体験したことが、その後を相対的にラクなものにしてくれた。



 本来こう使うべき言葉じゃないのだろうけど『時間は味方だった』。この10日間が、ぼくに仕事の基礎をたたき込んでくれた。その基礎とは、テクニックのことじゃありません。

正解のない中ででも、クリエイティブを決して手放さない執念みたいな何か。



 デザインと呼ぶにはまだまだ不完全な方位磁針だけを頼りに、「仕事って、いったい何のためにやるんだっけ?」と問いながら、その解を必死で探し続けた240時間の大冒険。これを単なる『労働時間』や『就業時間』といった言葉には置き換えられない、ぼくにとって特別な意味をもつ体験だったのです。



 いま、2025年の視点から見たならば、



「老害バブルオヤジの徹夜自慢」
「徹夜自慢は無能自慢」
「それ、仕事効率が悪いだけですから」
「やりがい搾取されてる自覚ないんですね?」



 と、冷笑され、言い叩かれ、まるで懸命に働くことが悪かのごとく、即『ブラック』とのレッテルを貼られるのかもしれませんね。



 9時5時の定時であがるのも結構。残業オーライでも残業拒否でも、その人の生き方次第。自由な選択に任せるべき。プライベートの自分時間、休日のレジャー、家族や仲間との語らいもホントに大切。ぼく自身、仕事仲間が、ある日突然亡くなってしまうことを何度も経験し、悲しい思いもしてきました。



 そのうえで、目先のコスパやタイパなるものを重視し、常に効率的な仕事法を選ぶのもひとつの手でしょう。



 しかしそのやり方では、自分の「好き」を信じ、寝食を忘れるほど夢中に打ち込んでる人には、どうやったって勝てない。これも現実リアルなんです。



絵と文:斉藤啓

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