【高市発言】中国が日本への猛抗議で持ち出した「敵国条項」とは...の画像はこちら >>



◾️1. 高市失言と“帝国日本”の凋落

 



 今回は前回予告した通り、「ポストコロニアル国家批判理論」を援用して“敵国条項”該当国であることの“帝国日本”の意義について論ずるが、その前に先ずこの《時評》の基本的スタンスを明らかにしておきたい。



 本連載は、“帝国日本”の凋落は不可避との悲観論に立ちながら、それを出来るだけ遅らせるソフトランディングの道を探すことを目的とする。

高市政権の誕生は“帝国日本”の凋落を加速化させた。首相就任後僅か1か月あまりで、自ら後継者を任ずる右翼反中の安倍長期政権下で日中関係が冷え込んだ時期は言うまでもなく、靖国公式参拝が外交問題化した中曽根政権期の冷戦期でさえ現役の首相が国会答弁のような公の場で決して口にしなかった台湾有事における軍事介入を明言し[1]、中国政府に日本非難で史上初めて“敵国条項”に言及して高市を非難する公式文書を国連に提出させるという大失態を演じた。[2]ロシアと北朝鮮の軍事連携で生じた東アジア地域の不透明感への対処に向け日本が中韓とともに役割を果たそうと目論んで日程調整していた日中韓首脳会議(サミット)も年内開催の見送りが確実になり、日中関係の悪化が日本の東アジア外交にも影響を及ぼし始めている[3]



 それにもかかわらず世論調査によると高市政権は高い支持率を維持している。筆者は11月20日の時点で《筆者は高市を首相に選んだ“帝国日本”が大日本帝国の敗戦処理を正しく成し遂げる内発的に自浄、再生する未来の到来については悲観的である。しかし内発的な契機には乏しくとも想定外の外圧によって未来が開ける一縷の望みは残されている。それはニューヨーク市長選でゾフラーン・マムダーニーに勝利をもたらした国際政治上の新潮流である。私見に拠ればその新潮流とはMAGAトランプ(トランプ2.0)の敵であった既存の民主党的リベラルではなく、民主党的「似非リベラル」エスタブリッシュメントの偽善が生み出した対抗勢力であり、MAGAトランプの目指す所謂「ディープステート解体論」と表裏の関係にあるアンチテーゼの「脱植民地主義的知性の再構築を目指すポストコロニアル国家批判理論」である》と書いた[4]





【高市発言】中国が日本への猛抗議で持ち出した「敵国条項」とは? (後編)高市政権は“帝国日本”の凋落を加速化させた理由【中田考】
ューヨーク市長選挙で当選したゾフラーン・マムダーニー(1991〜)



 極右排外主義に支えられて政権についた高市が、自らの失策を認めないことで却って彼らの拍手喝采を浴びて支持率を高めるために反中軍拡路線の方針転換ができず、日本の凋落を加速化させることは、高市が総理に選ばれた時点から既に織り込み済みである。高市発言が「従来の政府見解を完全に維持している」[5]と言い繕って閣議決定として発表してしまった後では、どう言い訳しようと1971年の日中共同声明後も、日本政府は声明を裏切り密かに軍拡を続け台湾を手掛かりに中国の分断、内政干渉を策謀してきた、と中国が“敵国条項”を持ち出し日本を非難する口実を与えるに過ぎない。



 アジアの民衆に塗炭の苦しみを与えた敗戦国の分際で、資源自給率が極めて低く石油の約8割を米国に依存していながら日本が地政学の生存圏(Lebensraum)論を援用し米国による対日石油禁輸(1941年7月)や資産凍結を「実質的な戦争行為」とみなし、南方(英領マレー、欄印)資源地帯、満州への進出を「国家生存のために必要な自衛」と位置づけ大東亜戦争と東アジアへ侵攻した過去の過ちを忘れるな、ということである。



 日本政府がそれに反論するのは、外国政府からの高市批判に対して高市を擁護するのが政府の仕事である以上、高市を批判しないことで政府を責めるのは「ないものねだり」というものである。

外交官のインテリジェンスの実務を経験したこともない国民の絶対多数の「世論」が「常識」に囚われた意見に流されるのは無理もない。問題は高市個人の言動ではない。私見によると、言動が十分に予測できた高市を首相に国民が選んだ時点で、国粋排外主義、強権全体主義による富国強兵による帝国主義列強参入の大東亜帝国回帰路線にブレーキをかけることは内政的には不可能になった。



 政権基盤が弱い高市政権が、議員定数削減問題などにおける路線の不一致で維新との協力合意が解消されて議会の解散、総選挙、自民党敗北による高市政権の崩壊の可能性はあるが、その場合は高市政権よりも更に国粋排外主義、強権全体主義の翼賛政権が成立することになるので、台湾問題に干渉し東アジアでアメリカと中国の代理戦争に巻き込まれるリスクが高まることには変わりはない。



 しかし既述の通り、筆者は想定外の外圧によって未来が開ける一縷の望みを託しており、それを理解するには「脱植民地主義的知性の再構築を目指すポストコロニアル国家批判理論」を参照する必要がある。「ポストコロニアル国家批判理論」は《コロニアル(植民地的)な状況や条件、あるいは支配の形態が現在もなお引き続き存続している状況の中で、「コロニアル(植民地的)な状況や支配が終わった後の秩序や世界」を創造し、そのなかで生きるためには、「今何が求められているのか?」》[6]との実践上の問いを私たちに突きつけるものであり、その「問い」に向き合ったことがない限り、高市を政権につけた日本の現在の危機的状況に対応することは言うまでもなく、危機的状況にあることを自覚することもできない。



 なぜ高市政権の振る舞いが日本の凋落を加速化させるのか、なぜ高市政権の登場と同時に中国政府が日本政府批判に“敵国条項”を持ち出したのか、なぜその事の重大性を日本の知識人が誰も指摘できないのかを知るために、“敵国条項”をめぐる議論をまず紹介しよう。





[1] 岡田充「対中国外交でみせた安倍元首相の意外な突破力 「脅威にならない」 との日中合意を引き出す」2022年7月13日付『東洋経済Online」参照。



[2] 中国は2025年11月21日にグテーレス国連事務局長宛に高市発言を1945年の日本の敗戦以来初めて、①台湾有事を日本有事とした上で集団的自衛権行使を公式に結びつけ 、②台湾問題への武力介入の野心を示し 、③中国への武力行使を公然と示唆したものであると「三つの初めて」を列挙して批判した。また日本が中国の抗議を無視し悔悟も撤回もしていないことは、戦後国際法と戦後秩序への重大な違反、挑戦であり、日本は第二次大戦の敗戦国として歴史上の罪を深く反省すべきだとし、日本が台湾問題に関する政治的約束を厳守せず挑発と「一線越え」をやめないなら、中国の「神聖な領土」台湾の処理は中国人民自身の問題で外国は干渉できないにもかかわらず、日本が台湾海峡情勢に武力介入すればそれは「侵略行為」に当たり中国は国連憲章と国際法に基づき中国は自衛権を行使すると警告した。そして中国はこの書簡を国連事務総長に送付し、国連総会の公式文書として全加盟国に回付するよう要請した。



 グテーレス総長宛書簡には「敵国条項(第53・107条)」の直接の言及はないが、日本が敗戦国と名指しされ国連憲章に基づいて日本が台湾に軍事介入すれば自衛権を行使すると述べていることから、これは“敵国条項”を指すと解説されている。

Cf., 孔清江(中国政法大学教授、国際法学院院長、涉外法治研究院院長)「国連敵国条項:日本の右翼勢力の実態を改めて認識する」2025年11月16日付『 中国国際テレビ(CGTN)』.



[3] 日中韓サミットは3カ国で朝鮮半島の安定策や経済協力の道筋を議論する枠組みとして1999年以降、9回開催されており、米国の同盟国の日韓と北朝鮮の後ろ盾となってきた中国が対話する枠組みとして日本の歴代政権が重視してきたもので、前回は日韓関係の悪化や新型コロナウイルス禍を経て4年半ぶりに



2024年5月に当時の岸田文雄首相と韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領、中国の李強(リー・チャン)首相がソウルに集まって開催されていた。日本は議長国を韓国から引き継ぎ2025年3月に都内で日中韓外相会談を開き、早期のサミット開催を申し合わせ12月をメドに具体的な調整に入っていたが、11月の高市早苗首相による台湾有事を巡る国会答弁だった。「日中韓サミット年内見送り 日中対立が波及、東アジア安定へ目算狂う 日中対立」2025年12月4日付『日本経済新聞』参照。



[4] 中田考「台湾有事が起きてもアメリカは助けてくれない...高市首相はトランプに戦略的に利用される」2025年11月20日付『みんかぶマガジン』(有料プレミアム会員記事限定記事)



[5] 「高市首相の「存立危機事態」答弁、従来の政府見解を「完全に維持」閣議決定」2025年11月25日付『読売新聞オンライン』参照。



[6] 池田光穂「ポストコロニアル」(https://navymule9.sakura.ne.jp/post-colonial.html:2025年12月6日閲覧)参照。



【高市発言】中国が日本への猛抗議で持ち出した「敵国条項」とは? (後編)高市政権は“帝国日本”の凋落を加速化させた理由【中田考】
中国外務省報道官の会見(2025年12月8日)



◾️2.死文化(obsolete)とは何を意味するか



 日本の外務省は中国の批判に対して11月23日にⅩで公式に「1995年の国連総会で同条項は死文化したとの認識を規定した決議が採択され、中国も賛成票を投じていると強調し、死文化した規定がいまだ有効であるかのような発信は、国連で既に行われた判断と相いれない」と反論した[7]



 まず基本的な概念から説明しよう。「死文化した」とは英語の「obsolete」の訳語であるが、Cambridge Dictionary が not in use anymore, having been replaced by something newer and better or more fashionable と定義しているように、時代遅れ、使われていない、のような事実を表す形容詞でしかなく、法的な「無効(void, invalid, null, invalidated, annulled, nullified)」を意味しない。



 特に国連憲章は改正手続きを第110条5項及び6項で、憲章の改正は総会の加盟国3分の2の多数による決議と安全保障理事会の常任理事国を含む加盟国の3分の2による批准を必要とすると定めているため、「死文化した(obsolete)」と決議しても、それは法的には改正されておらず有効なままであることを意味するに過ぎない。



 日本政府が国連で4回にわたり敵国条項の削除を公式に申し入れているがいずれも相手にされなかったことは既に述べた。1995年の国連総会は敵国条項がobsolete(時代遅れ)であると確認し、将来の憲章改正に際して当該条項の削除に向けて作業することを決議している。更に2005年の国連総会は加盟国首脳が次回の憲章改正の際に国連憲章から「敵国」の言及を削除することを決意すると表明したことを成果として決議した。

これらも外務省は中国への反論としてあげているが、“敵国条項”は現在もいまだ法的に有効であることだけが厳然たる事実である。



 日本はこれまで何度も敵国条項の削除を公式に求めてきた。私見では「戦略的曖昧さ」に照らして、それも下策であった。なぜなら削除されない限り日本は“敵国”のままでありその法文も法的に有効であり続けることが分かっているからこそ削除を求めたと、削除要請自体が“敵国条項”の法的有効性を認めたことになり、それにもかかわらず削除されなかったという事実によって、更にそれを再確認することになったからである。



 それゆえ外務省は“敵国条項”の「厳密な法的議論」から故意に論点を逸らし“敵国条項”が「時代遅れ(obsolete)」で現在の状況では時代錯誤で適用できない、という「政治的」議論に逃げ、あたかもそれが「合法性」の問題であるかの如き「印象操作」をしているのである。それが悪いと言っているのではない。むしろそれこそが戦勝国クラブとしての国連が、改正のハードルが限りなく高い国連憲章に“敵国条項”を書き込んだ立法意志だからである。



 第一次世界大戦で戦勝国は1919年のヴェルサイユ条約で敗北したドイツ帝国が軍事大国として再び帝国主義的拡大を行えないようにドイツ帝国を解体し、軍事的、領土的、政治的、経済的に苛酷な制裁を課した。にもかかわらずナチス・ドイツの台頭を抑えられなかった反省から、民衆の強い反撥を招いた経済制裁を緩和する一方で武装解除と思想統制を組み合わせたハイブリッドな敗戦国処理体制を構築した。“敵国条項”は事実上国連憲章を作った後の拒否権を持つ安保理常任理事国である米英仏中ソが、敗戦国によって再び侵略を被ったとみなした場合には国連の許可なく独自に制裁を加えるフリーハンドを確保することで、敗戦国の帝国主義・覇権主義的軍拡への抑止効果を狙って挿入されたものだからである。



 そして“敵国条項”が削除もされず、法的に破棄される(abrogated)こともなく時代遅れになって事実上死文化されている(obsolete)が、法文として有効な(valid)ままに残っている現在の状態こそ、「戦略的曖昧さ」に照らして最適解であるからこそ日本などの再三にわたる削除要求にもかかわらず、法的に無意味な決議には賛同しても、同意が必要などの常任理事国も真剣に廃棄の手続きを進めようとしないのである。



 常任理事国は自国の判断で“敵国”の侵略に対して国連憲章に妨げられることなく合法的に武力制裁を加えることができる。

そして国連安保理における拒否権を有する国は、国連安保理が唯一合法的武力制裁を科しうる機関である以上、国連軍による合法的な制裁を科されることは有りえない。そのため、核兵器を有する安保理常任理事国による攻撃を受ける可能性が否定できない。それゆえ“戦略的曖昧さ”に照らして、“敵国”条項を適用される敗戦国は、常任理事国に再び覇権主義的侵略を準備しているので制裁を加えたとの口実を与えないように慎重に行動する、つまりもはや第二次世界大戦を引き起こした「不法な」行動を取らず、“敵国条項”がもはや時代にそぐわず現状では実際に適用する必要がない死文と化している(obsolete)とみなされるように、旧悪を悔い改心し戦勝国が定めた秩序に忠実な優等生として振る舞うことを余儀なくされる。それがまさに“敵国条項”が死文化しており使われる状況にない、という国連決議が中国も含めた絶対多数の賛同により可決された1995年の現状であった。



 それ以降も歴代首相たちは中曽根元首相、安倍元首相でさえ在任中は中国にとって「核心的利益に関わる」台湾問題に武力干渉するとの言質を与える発言は決してしない「戦略的曖昧さ」を守ってきた。中国もこれまで日中関係がどんなに悪化した時でも日本の政権を名指しして“敵国条項”を公式に持ち出して非難することは決してしなかった。それは戦勝国の国連安保理常任理事国である中国は、国連軍による合法的制裁を恐れることなく“敵国条項”の独自解釈により一方的に敗戦国日本を懲罰することができるが、その解釈が他の常任理事国などの他国によって支持されるとは限らず、国連軍による法的制裁は受けなくとも、アメリカの“戦略的曖昧さ”により日米安全保障条約による米軍の反撃を含む政治的に好ましくない問題を引き起こすリスクを犯すことになるからである。 



 つまり“戦略的曖昧さ”に照らすと、“敵国条項”を実際に適用することは「合法」ではあっても、適用してしまうことで、政治的に支持されるか、支持されないかの不確定な結果のどちらかを確定させてしまい、政治的に好ましくない結果をもたらしうるリスクを伴うので実際には使用しないことが中国にとっても最適解である。





[7] 「中国大使館「敗戦国に軍事行動取れる」とXに投稿、外務省反論「国連の旧敵国条項の死文化に中国も賛成」」2025年11月23日付『読売新聞オンライン』参照。2025/11/23 20:32





【高市発言】中国が日本への猛抗議で持ち出した「敵国条項」とは? (後編)高市政権は“帝国日本”の凋落を加速化させた理由【中田考】
高市政権の閣僚



◾️3.“戦略的曖昧さ”と“敵国条項”



 高市政権が既に中国の主権を犯し侵略する具体的な準備を整えておりその阻止のためには武力制裁を加える以外に選択肢がないとの独自解釈に基づく“敵国条項”の実際の適用ではない。中国政府が実際に行ったのは、日本がなし崩し的に国連憲章を破り軍拡により中国の主権を犯しその領土に介入する大日本帝国の好戦的覇権主義への回帰を食い止めるためで、“敵国条項”の適用が相応しくない事実上の死法(obsolete)になっていたのは高市の「台湾有事存立危機事態」発言以前の状況に即した状況判断でしかなく、その判断自体が、高市の日本の台湾問題に関する従来の「戦略的曖昧さ」政策の根本的否定で、「事情変更の法理(「法条項は、事情がそのまま存続している限り(適用される)である:Clausula rebus sic stantibus」によって、時代に即さなくなり(obsolete)、法的に失効していない有効な法文が存在している、という原状に戻った。ゆえに中国は”敵国条項”が現在でも有効である、という法的事実を再確認し、日本政府の法的事実と政治的状況判断の混用による詭弁を黙認しなかった。

それは“敵国条項”挿入の本来の目的である日本の大日本帝国回帰の抑止を達成するための警告であり、極めて合理的なものだと言える。



 中国の“敵国条項”への言及は極めて合理的なものであるとすれば、欧米によるその批判は、日本、ドイツ、イタリアが現在は西側自由民主義・資本主義陣営に属するためのポジショントークに過ぎず、明白に国連憲章の法理に背く強弁である。しかしそれはあくまでも実際には「戦勝国(より正確に言えば欧米帝国主義列強)クラブ」のルールが正しいとの前提に立つものであり、実際には「戦勝国クラブ」のルールは、欧米帝国主義列強がアジア・アフリカの民に何世紀にもわたって行ってきた搾取、人権蹂躙を不問に付した不正なものであることは明白である。その意味では欧米諸国が中国の“敵国条項”の言及を批判するのと日本がそれを批判するのは位相が違う。というのは、高市の批判には、日本の東アジア侵攻には欧米の帝国主義列強からのアジア解放の大義があったとの「歴史修正主義」が垣間見られ、高市への国民の高い支持率も日本における歴史修正主義の強まりと連動しているからである。しかしそれは今回の議論の主旨ではなく、「ポストコロニアル国家批判理論」による分析を必要とするので別稿で改めて論じたい[8]



 最後に、高市の台湾問題をめぐる中国の“敵国条項”言及問題に関する日本・西欧の批判を国連憲章に照らして浮かび上がるもう一つの大きな問題点を指摘しておこう。



 それはそもそも一つの中国原則、台湾の独立を支持するかどうかが、「戦略的曖昧さ」であるという欧米や日本のナラティブそのものである。国家承認は法的に曖昧性がなく定義されており、承認と非承認の二値であり曖昧性はない。たとえばアフガニスタンを実効支配するタリバン政権(イスラーム首長国)は日本を含む多くの国々と実質的な外交関係を結んでいるが正式に国家承認し国交を結んでいるのは現時点ではロシア一国だけである。中国は正式にタリバン政権が派遣した大使の信任状を受け取り大使として正式に受け入れているが、正式な条約や承認声明などの国家承認の法的手続きを取っていないため、あくまでも事実上の承認であり、法的承認ではない[9]





【高市発言】中国が日本への猛抗議で持ち出した「敵国条項」とは? (後編)高市政権は“帝国日本”の凋落を加速化させた理由【中田考】
タリバンの幹部たち。右端からふたりめがアブドゥル・ガニー・バラーダル師。2021年9月7日に公表されたタリバンによる暫定政権において副首相を務めている。



 日本は1979年のアメリカによる国家承認に先立ち1972年9月に中華人民共和国を中国の唯一の合法政権として国家承認し、中華民国との外交関係の終了を宣言した。

そのため中華民国は日本と断交し、日本も「法的」に中華民国との国交を終了した。そこには「戦略的曖昧性」は存在しない。当時の中華民国は現在のような超大国ではなかったが、日本は長年にわたって友好関係にあった中華民国、そしてなによりもかつて大日本帝国に併合されその住民が日本人であった台湾であるところの中華民国を見捨てたのである。それは信義に悖る行為であり、中華民国が「蒋総統の指導する中華民国政府は、日本の敗戦後における降伏を受理した政府であるとともに、一九五二年サンフランシスコ条約に基づき、日本と平和条約を締結し、戦争状態を終結させ、両国の外交関係を回復している」と指摘。日本政府の中華人民共和国の国家承認と中華民国との外交関係終了を「背信忘義の行為」と呼び、日外交関係の断絶を宣言したことも無理もない。そしてその後時代が移るにつれて中華民国を国家承認する国は減り続け、現在では12カ国[10]が残るのみである。これが冷徹な国際政治における現実である。日本は他の国々と同様に信義を裏切り国益の為に中華民国(台湾)と断交し中華人民共和国と国交を結んだのであり、そこに「曖昧性さ」は存在しない。



 今になって日本が中華人民共和国を非難し「戦略的曖昧さ」を主張して台湾問題に介入しようとするのは、鉄面皮な恥知らずの行為と言うしかない。台湾の自由民主主義を守るなどといかに美辞麗句を日本が並べたてようとも、所詮は裏切者が台湾問題における「戦略的曖昧さ」を口実にアメリカの陰に隠れて中国を再び征服する野心を隠して中国に内政干渉し、中国の「非合法組織」に肩入れして独立による内戦を煽って東アジアの不安定化とそれに乗じた覇権の拡大を狙っているとして、中国が“敵国条項”を持ち出して日本を批判するのも無理はないと筆者は考えている。



 戦勝国クラブとしての国連の論理に基づく台湾問題と“敵国条項”の問題の整理はここまでで終わりとし、最後に「ポストコロニアル国家批判理論」を援用して、“帝国日本”にとっての“敵国条項”の意味の本質を考察することにしたい。





[8] 高市の歴史修正主義とそれをめぐる欧米での議論については、アゴラ編集部「高市早苗新総裁の過去ブログが再注目:沈静化していた歴史問題、欧米で再燃の兆し」2025年10月8月6日付『アゴラ 言論プラットフォーム』参照。



[9] 畑宗太郎「中国、タリバンの大使を承認 国家承認も前向き」2023年12月5日付『朝日新聞』参照。



[10] ベリーズ、グアテマラ、ハイチ、パラグアイ、セントクリストファー・ネーヴィス、セントルシア、



セントヴィンセント・グレナディーン、マーシャル諸島、パラオ、ツバル、エスワティニ、バチカン市国。







◾️4.臨界点としての台湾――破滅の始まり



 ポストコロニアル国家批判理論の視座に立つとは何か。それはまず、現行の国際秩序を19世紀を頂点とする西欧帝国主義列強の表層的な政治的軍事的な覇権が終了した後も植民地支配の過程で植えこまれ内在化され残存した旧宗主国の価値観を対自化し再評価することである。



 この視点から見ると、日本語の空間で支配的な言説とは全く別の光景が見えてくる。『ガメ・オベールの日本語練習帳』の著者でニュージーランド在住のイギリス人ジェームズ・フィッツロイのネット上の論考「臨界点としての台湾――破滅の始まり」の高市発言の評価を長文になるが以下に引用する。





 地理的には国境の外だが、日本の安全保障のための「国家政治的境界線を揺るがす事態」として認識され、事前阻止(先制)を含む武力行使の可能性を前提に語られているという点で、高市の「台湾有事存立危機発言」が先ほどあった危機と朝鮮半島へのロシア南下危機はよく似ている。



 これは実は欧州ではロシア人の考え方として知られているのですが、高市政権は「周辺の安全保障は直接の自国防衛である」というバッファ国家防御論がある。プーチンと寸分違わぬ話です。



 良い悪いというよりも、この「敵とのあいだにバッファとなる国が挟まっていないと安心立命が得られない」というのは、してみると、確かに噂通りたいへんアジア的な思考なのかもわかりません。



 考えてみると、「バッファ」と目された国のひとびとにとっては、複雑な気持ちを通り越して、いい迷惑というか「なに言ってんのあんた」的な主権無視もいいところの考え方で、伝えられる、もっか台湾の人の心の中に芽生え始めた日本への不信感はそういうことです。



 「あのお、わたしたちも一応あなた方とおなじ生活がある人間なんですけど」と思っている。陸奥宗光や山県有朋、大隈重信といった明治の政治家らは、「朝鮮は日本の生命線」と何度も繰り返していて、よく考えてみれば現実への誤認識も甚だしい、この恐怖過剰のヘンテコリンな地政観を、公理のように信じていました。読んでいて頷く人もいるでしょうが、これが、今度は破滅の原因になる。「満洲は日本の生命線」に真っ直ぐ到達していきます。



 台湾が併合された瞬間「日本は詰む」という恐怖心は、日本人であれば一般的なものです。それで当然出た段階で「武力阻止」まで飛躍して、中国側がびっくらこいてそうなるような反応が、慎重な口から出てくる。実際、日清・日露戦争が、このロジックに支えられていたのは、当たり前だが、中国の人なら、誰でも忘れようにも忘れられない史実で、「またか。日本人は、こりない人々だなあ」という辟易した気持ちになるのは、これほど当然のことはないでしょう [11]



 



 《憲法無視戦術に出た安倍首相が絞め殺しにかかり、高市首相が、台湾問題についての曖昧のカーテンを破り去ることによって、非暴力主義としての戦後民主主義は、ひと頃は試みられた蘇生どころか、埋葬されて、実質、すでに歴史になりつつある》と述べ、フィッツロイは高市が契機となり構造的変化が炙り出された日本語空間における表層的な平和主義をめぐる論戦の下に隠蔽された現実世界の暴力的支配構造を「ポストコロニアル国家批判理論」の道具立てを使って暴きだす。



 フィッツロイは敗戦後の日本の「非暴力(平和)主義」の暴力の隠蔽による存立のメカニズムを冷徹に描き出す。 





 マジモンの北朝鮮というか、なんだか、やたら知力が高い国民が全力を挙げて、自分の生活さえどうでもいい「軍事物狂い」で、全身これ暴力のような周縁文明を築き上げて、自分より弱いとみれば襲いかかる東海の夜叉のような印象であった大日本帝国が、ものの見事に非暴力国家に変身することに成功したが、それはアメリカ軍という巨大な暴力の手によったことは、世界史の最大の皮肉のひとつだ [12]





 フィッツロイによると、敗戦後に米軍によって民主化された日本の非暴力主義の社会は二重構造で出来ている。表層は、平和国家・軍事力放棄・平和憲法主義であるが、その隠された下層には、国民に対して隠蔽された密約だらけの日米軍事同盟、地位協定下で暴力的な異物のような米軍基地の存在など、表層を維持するための、無数の「嘘」が潜んでいる。つまり暴力は実際に否定されているわけではなくて、政府とメディアによって管理され、米軍に委託されているわけである。戦争も主体たることを拒否する代わりに、秩序維持や抑止のための暴力を、軍事同盟や国際秩序への組み込みを依願することによって引き受けてもらう、アウトソーシング(外部化)することで、国内は清浄な「非暴力文化」で満たされる、という構造を有していた。



 警察権力や自衛隊などに表象される国家が「国民にやさしい」わけではない。国家暴力発動の閾値が制度手続きで高く保たれて恣意的な運用を阻止されてきた、つまり国家暴力を縛ってきたことによって、戦後の平和(非暴力)主義はかろうじて実現されていたに過ぎなかった。そういう意味でも安倍政権につづく高市政権によって、戦後民主主義は命脈を絶たれたといってよい、とフィッツロイは診断する。



 日本の戦後民主主義が生んだ非暴力社会の弊害として、まずフィッツロイは「暴力の外部化」による歪みを挙げる。自分では「非暴力」を謳いながら、抑止や戦力投射をアメリカに委ねると、アメリカの側から見て、日本側の受益(国の安全)と負担(戦争を始めることによる国家リスク、自国民が流す血、コスト)のバランスが崩れた場合に「おれは利用されているのか?」という疑問が起きやすいことである。



 そしてまさにそれが現在MAGAトランプが日本に突きつけている不満であることは、前回の連載「【高市発言】中国が日本への猛抗議で持ち出した「敵国条項」とは?「日本政府が国際政治を全く理解していない」と分かる理由【中田考】《中田考 時評》文明史の中の“帝国日本”の運命【第4回】」2025年12月10日付『ベストタイムズ』の《7.トランプ・習会談(5頁)》で詳述した通りである。



 フィッツロイは《いまの日本が、どちらへ進むかは、一にも二にも、日本語という言語が、どれだけ健康を取り戻すかにかかっていると考えています。正語を取り戻し、より多くの観点を持ち、どれだけたくさんの有効な「補助線」が引けるかで、直ちに日本の未来が決まってしまうところまで、日本は社会として、国として、追い詰められている》との言葉で「対抗民主主義非暴力主義の終焉」を締めくくっているが、筆者はその「補助線」の一つがイスラームのカリフ制だと考えている。





[11] ガメ・オベール(JAMESJAMES)「臨界点としての台湾――破滅の始まり」2025年11月25日付『Substack』(https://substack.com/home/post/p-179860453)誤字脱字を一部修正の上で引用。



[12] 以下の引用は全てガメ・オベール(JAMESJAMES)「対抗民主主義非暴力主義の終焉」2025年12月14日付『Substack』(https://substack.com/inbox/post/181544399?utm_source=post-email-title&publication_id=4834262&post_id=181544399&utm_campaign=email-posttitle&isFreemail=false&r=6tdk5o&triedRedirect=true&utm_medium=email)誤字脱字を一部修正の上で引用。



文:中田考

編集部おすすめ