白洲次郎は「日本も、ますます国際社会の一員となり、我々もますます外国人との接触が多くなる。西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である」と言った。

では、国際社会の一員どころか外国人との接触もない自宅に引きこもりがちな厭世ライフを送るわれわれは、プリンシプルを持つべきなのか? 作家・適菜収氏が「適当」の本質を探った。当サイト「BEST T!MES」の長期連載「だから何度も言ったのに」が大幅加筆修正され、単行本『日本崩壊  百の兆候』として書籍化された。連載「厭世的生き方のすすめ」では、狂気にまみれたこのご時世、ハッピーにネガティブな生活を送るためのヒントを紹介する。



「プリンシプルがある男」より「プリンシプルがない男」を目指せ...の画像はこちら >>



◾️一貫性のない男のほうがカッコいい



 多くの人は「ブレない」ことを美徳だと思い込んでいる。政治家は「私はブレない」と胸を張る。吉田茂の側近の白洲次郎は「プリンシプルがある男」と持ち上げられた。しかし、人生に原則はいらない。



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 中学生のとき小川という数学教師がいた。彼の口癖は「原則」だった。「この問題の解は原則としてこうなる」みたいな。子供心に原則以外の解は存在するのかと思った。なお、彼のあだ名は「原則」だった。



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 原則を曲げない人間は面倒である。作家にもそういうタイプがいる。その作家の本が売れるのならまだしも多くの場合は、思い込みが激しく、自分のやり方にしがみついているだけなので、編集者からも嫌われる。客観的な指摘をされても怒り出したり、些末なことにこだわるので、結局うまくいかない。私は60冊くらい本を出しているが、最初のころは細部にこだわっていたが、今はほとんどお任せ状態。こだわりを捨て、朝令暮改の一貫性のない男を目指したい。



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 岡田斗司夫が言っていたが、ジブリの宮崎駿は妥協しなさそうな人物に見えるが、実際には妥協しまくっていたと。そうしないと作品は完成しない。現場も回らない。



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 こだわりがある男はみっともない。チャーチルはマティーニを飲むときベルモットを入れずにベルモットの瓶を眺めながらジンを飲んだという。アホかと。

私はジンの瓶を眺めながらベルモットを飲む男になりたい。



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 某編集者にこう言われた。「適菜さんはこれまで政治家の言葉の一貫性のなさを批判してきましたよね。それなのに、一貫性のなさを肯定するのですか?」と。まさにそのとおりで、自分のことは棚に上げる。人生「ブレすぎ」くらいが調度いい。



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 高田純次は「適当」を高度な芸能に高めた。そこに「適当さ」はなく、ビジネスとしても成功させた。それが高田の限界である。私がそう言うと、某編集者は「適菜さんだって、こんな適当な話を商売にしているじゃないですか」。これも棚に上げておく。





◾️マダムルミの魔法の手帳



 私の知り合いにマダムルミという女性がいる。

あまりにも適当な人なので私は衝撃を受け、『マダムルミの魔法の手帳』『マダムルミの秘密のレシピ』という本を企画したことがある。私が好きな彼女のツイートをいくつかピックアップしておく。



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《ザ・たっちのいつも右にいるほうが好みだわ》



《ほしがりませんカツサンド》



《イーデス・ハンソンに「イーデスって呼んでいい?」って訊いたら、「イヤデス」と言われたわ》



《両国でちゃんこ鍋を食べたこともあるわ。あれは鍋に野菜や肉を入れるだけでしょ。頭を使わない料理だから相撲取りでもつくれるの。相撲取りにそういったらおこられたわ》



《世の中、簡単に答えが出ないことなんて山ほどあるわ。白身が先か黄身が先かって言うじゃない》



《地底人が悪さをしているという陰謀論者がいたから「それなら地底人は何人いるの」と訊いたら2000人だって。バカじゃないかしら。私の計算では3000人はいるわ》



《掃除をするときは、ティッシュペーパーを水で濡らして、ちょいちょいと拭いたりするといいのよ》



《料理の「かきくけこ」ってのがあるでしょう》



《大輪の花を咲かせるという言葉はあるけど、乳輪の花を咲かせるという言葉はないわ》



《鰻味の鯰というのが出たらしいの。だから、今度は鯰味の鰻をつくればいいと思うの》



《私、金さん銀さんを食事に誘ったことがあるの。なにを召し上がるって訊いたら、ソーセージを食べたいと。やっぱり双生児だと思ったわ》



《「レンジでは調理しないでください」と書いてある食品も、こだわらずにレンジで調理するわ》



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 私はこれまでズボラな生活を送ってきたので、これからは几帳面な人間になりたい。

例えばどこかの企業の面接を受けたとして、「あなたの良いところはどこですか」と聞かれたら、「几帳面なところです」と答えたい。



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 インド人はいろいろ適当である。かつてのアジア諸国では電車やバスなどが遅れることがよくあった。インドはそのさらに上を行った。今ではさすがに改善されていると思うし、インドで聞いた話に過ぎないが、出発時刻の前に出発してしまうことがあるという。しかも1時間前とかに。適当すぎる。やはりインドにはかなわない。



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 若い頃は白黒をはっきりつけたくなる。グレーを許せない。しかし年齢を重ねると、世の中のほとんどはグレーでできていることが分かってくる。



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 自衛隊の存在もグレーになっている。

普通に憲法を読めば、どう理屈をこねくり回そうが、自衛隊の存在は違憲である。よって、憲法を変えるか自衛隊を解体するかの二択しかない。だから憲法を改正するのは筋が通っている。しかし、日本がアメリカの属国である以上、改憲すれば都合よく使われるだけ。「白黒はっきりつけろ」というのが頭がプレーンな人たち。



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 白洲正子は夫の白洲次郎について、「まことにプリンシプル、プリンシプル、と毎日うるさいことであった」と回想している。白洲次郎は『プリンシプルのない日本』を書いた。日本は依然としてプリンシプルのない国であるが、そこらへんも適当でいい。プリンシプルがある国は脆い。





文:適菜収

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